夕星 9



昼食に蕎麦を食べてから蔵元に向かった。
蔵元の敷地の中には白い土蔵がいくつも並び、その中の一つが見学出来るようになっていた。
飲めない者ならそれだけで酔いそうな香りの中、酒造りの行程を見学する。
出口では出来上がったばかりの濁酒が振舞われ、小さなカップに入ったそれをイルカ先生と舐めるように飲んだ。
酒の香りが鼻腔に抜け、甘味が口の中に広がる。

「美味しいね」

これはイルカ先生の好みだと思って聞けば嬉しそうに頷く。
これもお土産に買って帰ろう。
入ってすぐのところにあった売店へと戻り、自宅用とお土産用のお酒を見て回った。
イルカ先生と試飲しながら昨日の酒を見つけて濁酒と一緒に注文する。
珍しいつまみは無いかと探していると、いつの間にかイルカ先生がいなくなっていて、店内を見回すと窓際に並んだ銚子を見ていた。
青いガラスに彫刻を施した切子の銚子を顔を寄せて熱心に見ている。

「・・キレイだね」

声を掛けると余程見入っていたのか、弾かれたように銚子から離れた。

「ええ・・。光がキラキラしてすごく綺麗・・」

切なく眺める様子に欲しいのかな、と思う。
ふと脳裏に、青い銚子を満たした白い濁酒が浮かんだ。

「あのー、すみませーん」

店員を呼ぶとイルカ先生がぎょっとした。

「カ、カカシさん?」

期待と緊張の面持ちでやって来た店員にコレ、と指差すと包んでくれるように頼む。
隣で慌て始めたイルカ先生を宥めて、銚子とおそろいの盃も包んでもらう。
極上の笑みを浮かべた店員が離れると、イルカ先生が泣きそうな顔でオレの袖を引いた。

「カカシさんっ!もし俺のためだったら要りません。断ってください」
「どうして?気に入ったんでしょ?」
「要りません、あんな高いの・・」
「でもオレも気に入ったし。いいじゃない、自分たちへのお土産ってことで」
「でも・・っ」
「ずーっと長く使えば値段なんて問題ないよ。大切に使ってくれるデショ?」
「カカシさん・・」

うりゅっと瞳を潤ませたイルカ先生が深く頷いた。
感極まったように、今にも泣き出しそうな顔でイルカ先生が笑う。

「どうしよう・・」
「・・どうしたの?」
「今凄く、カカシさんに抱きつきたい」

赤く頬を染めたイルカ先生に言われて心臓が跳ねた。

アナタ、今、ココで、そんな事を言いますか。




酒は送ってもらい、切子の入った箱を大事そうに抱えたイルカ先生と旅館に戻る。
嬉しそうに箱を見るイルカ先生を見るにつけ、心臓がトクトクと早くなる。
抱きつきたいと言われても、あんな人目につくところでは「はい、どうぞ」と言うわけにはいかず、胸の奥に火をつけたまま店を出た。

抱きしめたい、抱きしめたい、抱きしめたい。

ぷすぷすと燻り始めた火にイルカ先生と二人きりになれる所を探すが、こんなときに限って路地ですら人がいてく、思うようにイルカ先生を抱きしめることが出来ない。
こうなったら一刻も早く宿に帰りたいが、イルカ先生は自分の言ったことを忘れてしまったのか、蔵元を出ると甘味屋へ寄ろうと言い出した。

――責任とって!

一瞬、かあっと火照った頭の中でイルカ先生を裸に剥いてしまった。
オレは往来だろうが人がいようが構いやしない。
そうしないのは、イルカ先生の泣き顔が目に浮かぶからだ。
それがなければあの場で抱きしめている。
みつまめ屋を指差すイルカ先生を宿でも食べれるからと宥め、先に割れ物を部屋に置こうねと言い聞かせて宿に連れ帰った。

一夜過ごしただけなのに、部屋に着くと家に帰ってきたようにホッとした。
銚子の入った箱を脇に退けると、イルカ先生を抱き寄せる。

「・・カカシさん・・?」

やはり忘れてしまったのか、きょとんとするイルカ先生に苦笑する。
汗に湿ったTシャツを腕に感じつつ、首筋に顔をうずめて息を吸うとイルカ先生がやんわり肩を押した。

「・・たくさん汗掻いたから・・」

あんなに我慢したのに抱擁は一瞬で口が尖りそうになる。

「イルカせんせい、待って・・」

追いかけると、部屋の外から声が掛かり、宿に戻ってきた際に頼んだカキ氷が届けられた。
イルカ先生が嬉しそうに受け取り、テーブルへ運ぶ。
それから思いなおしたように縁側に運び直すとオレを呼んだ。

「カカシさん、早く食べましょう?溶けちゃいますよ」

スプーンとカキ氷を手に、オレが来るのを待ちわびている。
隣に座るとにかっと笑って、しゃくしゃくカキ氷の山を崩し始めた。

「ん〜、旨い」

みつまめからグレードアップした宇治金時を嬉しそうに頬張り、時折きーんとしたのか顔を顰める。
甘いのが苦手なオレはみぞれをゆっくりほじって口に運んだ。
それにしてもイルカ先生は旨そうに食う。

「イルカ先生、それおいしいの?」
「おいしいですよ。カカシさんも宇治金時にしたら良かったのに」

無理!

メニューを見て思った事をまた思う。
でも――。

「イルカ先生、それ一口ちょーだい」
「いいですよ」

ずいっと向けられた皿に顔を背けた。

「?カカシさん・・?」
「あーん」

口を開けるとイルカ先生が引いた。
それでも、「あ」と口を開けると、イルカ先生が素早く辺りを見渡して、スプーンで氷を掻いた。
期待にとろっと頬が笑み崩れる。

「アンコはやめてね」
「我侭だなぁ・・」

ぶちぶち言いながらも、抹茶色に染まった氷だけをスプーンに乗せると、そうっとオレの口へと運んだ。
むすっとしながらも恥かしげに。
だからさっきのぶちぶちは照れ隠しだ。

「ん」

舌の上に乗った冷たさに口を閉じると、するりとスプーンが引き抜かれる。

「おいしいですか?」
「ん、・・あまい」

オレの答えを想像していたのか眉尻を下げてイルカ先生が笑った。

人の来る気配に視線を向けると渡り廊下を大きな盆のようなものを持った仲居さんがやって来た。
こちらの様子が見えるとぺこりと頭を下げるのに、入り口まで迎えに行くと盆の中には浴衣が何着か並べられていた。

「イルカ先生、浴衣が来たよー。どれにする?」

と言いつつ、一着の浴衣が目についた。
藍よりも淡く、浅葱よりも濃い青色。
この色はイルカ先生に似合う。
広げてみると白抜きで竹の絵が描かれていた。

「イルカ先生、これにしよ?これがいい」
「えっ、派手じゃないですか?」
「そんなことないよ。着るの夜だし。派手に映らないよ。ネ?これにして?」

この浴衣を着たイルカ先生が絶対見たい。

その思いが伝わったのか、イルカ先生がしぶしぶ頷いた。
しぶしぶなのを見るとイルカ先生の着たいのを着せてあげたい気もするが・・、

――だめだめ!

だって、イルカ先生ラクダ色の浴衣を見ている。
イルカ先生のセンスに任せると、すっごく爺むさく仕上がりそうだった。
イルカ先生のが決まったから自分のを選ぶ。
イルカ先生のはなだに合わせて、隣に立った時に合う色を。
その条件さえ満たせばどれでもいいと思ったら、イルカ先生の手が伸びて褐色の生地に藤や鼠の縞模様の入った浴衣を引っ張り出した。

「それがいーの?」

こくんと頷いたイルカ先生に何故だか心臓がどきどきする。
遅れてイルカ先生がオレのを選んでくれたのが嬉しかったのだと気が付いた。
嬉しくても、心臓がどきどきする。

「この2着でお願いします」
「はい、かしこまりました」

決めた浴衣をハンガーに吊るすと、それに合った帯と草履を用意してくれた。
花火が始まるのは夜の8時前だと言う。
夕飯はどうするか聞かれ、少しだけ食べていくことにした。
屋台も出ると言うので、そこで食べることを見越してのことだ。
一通り今夜の予定を決めて仲居さんが去ると、イルカ先生がバスタオルを出してきた。

「浴衣着る前にお風呂入ろうと思って」

そうだね、と同意するとイルカ先生がオレのバスタオルも用意した。
部屋着の方の浴衣に着替えると下着をタオルでくるんで立ち上がる。
そして入り口へと向かうのに、

「え、どこ行くの?」

お風呂ならこっちだよと庭を指差せば、

「せっかくだから大浴場にも行ってみましょう?」
「えっ!なんで!?」

なんでもなく言うイルカ先生に慌てる。
そんなことしたら、他の男にもイルカ先生の裸を見られるじゃないか。

「・・・・ちょ、ちょっと待った!」

にっこにっこと笑いながら爆弾を投下して、そのまま部屋を出て行こうとするイルカ先生の腰を捕まえて足止めした。








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