夕星 10



「どうしたんですか、カカシさん?」

腰を掴まれ、肩越しに振り返ったイルカ先生が不思議そうにオレを見た。
これから大浴場に行ける事を全く疑ってない眼差しに心が痛くなるが、ここは引き下がるわけにはいかない。

「こんな時間じゃ、大浴場はまだやってないよ。こっちのお風呂に入ろ?」

上目遣いに強請る。

「あ、それなら大丈夫です。戻って来たときに見たらやってましたから」

オレの色仕掛けをあっさり無視してイルカ先生が言った。

「帰ってきたばっかりだし、もうちょっとゆっくりしてから・・」
「でも夜出掛けるし・・。それまでにご飯食べて浴衣に着替えたりしてたら、あっという間に時間が過ぎちゃいますよ」

じゃれてると思ったのか、イルカ先生が腰を掴んだオレの手の上に手を重ねて撫ぜた。

「俺、銭湯とかおっきいお風呂大好きなんです。一緒に行きましょう?カカシさん」
「・・ウン」

可愛く小首を傾げられて、考えるより先に頷いていた。

あー、オレのバカ!

結局、イルカ先生の意思に背けないのだ。
オレは。



『男』と染め抜かれた暖簾を潜って脱衣所に入った。
畳と湯の湿った匂いがして鼻をひくつかせる。
棚に目を走らせれば脱いだ着物を入れたカゴが3つ。
浴場へと続くガラス戸は湯気で曇っていたが、中の気配も3つあった。
イルカ先生が無造作に帯を解いて浴衣を脱ぐ。
パンツまであっさり脱ぐとカゴの中に放り込んだ。

・・オレの前じゃあ、自分で脱いでくれないくせに。

閨でのイルカ先生を思い出して独り愚痴る。
でも、ま、それはそれで楽しいんだけど!と思い返していたら、タオルを掴んだイルカ先生が浴場へ向かった。

「イルカセンセ!前隠して!」
「アハハッ・・、誰も気にしませんよ」

無邪気に笑ってガラス戸を開けると先に行ってしまった。

「あ、待って」

慌てて浴衣を脱いで追いかけるが、

その前に――。

これ以上人が入ってこないように入り口に結界を張った。
騒ぎになるといけないから、それとなーく入りたくなくなるよう暗示付きで。
イルカ先生にも気付かれないような薄いのを張ると、これで安心と浴場に向かった。
ガラス戸を潜って、湯気の中にイルカ先生を探せば、すでに湯船に浸かっている。
3つの気配を探せば、一人は洗い場でこちらに背を向け、一人はサウナ室。
もう一人は外から気配がして、洗い場の脇に外へと続くガラス戸を確認した。
その上に『露天風呂』と書いてある。
掛け湯するとイルカ先生の隣に体を沈めた。

「気持ち良いですね」

内風呂よりは少し熱めのお湯に頬を上気させながらイルカ先生が手足を伸ばした。
それからバシャバシャ顔を洗って、すいーっと泳ぐように水を掻いてオレから離れた。
ただ広いところに行きたかっただけだと思うが、寂しくなる。
後を追いかけて近くに行きたいが、うっとおしいかと我慢した。
こっちを振り返ったイルカ先生がニコニコ笑う。
やっぱり広いところに行きたかったのかと安心して笑い返した。
だけどやっぱり近くに行きたい。
目の前にいるイルカ先生に手を伸ばすことも出来ず、イルカ先生を遠く感じた。
これなら内風呂の方が良かった。
あそこなら人目を気にせずイルカ先生とイチャイチャ出来た。
イルカ先生にうっとおしがられたって引いたりしない。
もっと構ってと、嫌がるイルカ先生に抱きつくのに――。
・・それでもオレはイルカ先生を引き寄せる術を心得ている。

「イルカセンセ、こっち。ここからお湯が湧き出してるよ」

湯の中を探って見せると、イルカ先生が興味深そうに寄って来て手を伸ばした。

「ホントだ」

湧き出る水流を手の平に受け、楽しそうに笑う。
その手をきゅっと握った。
湯の中だから誰も気付きやしない。
指を絡めて握ったまま、素知らぬ顔で湯船に浸かる。
イルカ先生は静かになって、オレに手を繋がれたまま横に並んだ。
ほくほくと湯気の上がる温泉に肩まで浸かる。
引き寄せることは出来ないけど、それでも十分幸せだった。
洗い場の方でコンと桶が鳴り、体を洗い終えた人が立ち上がった。
湯船に向かうのを見て、そうっと手を離す。

「・・カカシさん、露天風呂に行ってみませんか?」

戸口を見れば外に居た人が中に入ってくるところだった。
これで露天風呂には誰も居ない。

「うん、行ってみよう」

湯船から上がると外に出た。
夏の日差しが目を焼き、眩しさに目を細めるが、内風呂とはまた違った造りに首を傾げた。
随分あっさりした造りで、湯船の回りは木の塀に囲まれている。
露天には違いないが、これでは空しか見えず、周りの景色は見えない。
あれほどの庭を有する旅館なのに、と不思議に思っていたら、イルカ先生がとことこ歩いていった。

「なんだろ・・?」

不自然に途切れた木の囲いの向こうを覗き込む。

「わあっ、すごい!カカシさん、こっち!」

誘われて覗き込めば大パノラマが広がっていた。
ちゃんと柵はしてあり外から風呂場は覗き込めないようになっているが、柵の向こうには山並みと青空が広がっている。
湯船も泳げそうほど広く、開放的な空間にイルカ先生がはしゃいだ。
ざぷんと湯に浸かってしゃがみこむ。
そうかと思えば、すいーっと泳ぎ出した。

やると思った。

両手で大きく水平に湯を掻くと平泳ぎする。

「ぶっ!」

続いた足の動きに思わず鼻を押さえた。

すごい目の毒!!

大胆にもほどがあるってくらいの一瞬の大股開きが目にこびりついて離れない。

ヤバい、やめさせないと・・。

「イルカセンセ、はしゃぎすぎ!」

注意するとイルカ先生が照れたように笑った。
さばっと立ち上がると歩いてこちらに戻ってくる。
笑い返しながら、それとなく湯に浸かって下肢を隠した。
こんなとこでサカったらどうしてくれるんだ。

・・だから前隠してって言ってるのに。

無邪気に歩いてくるイルカ先生から視線を逸らす。

「すいません。嬉しくて、つい・・、・・!」
「!」

気付いたのは同時だった。
きゃっきゃと女の声がして向こう側の木の囲いから体にバスタオルを捲いた3人が現れる。

「!!・・ご、ごめんなさい!あ、あの・・」

声も出ないくらい驚いたイルカ先生が慌てて湯に沈んで、謝罪した。
おろおろする様子に、気付いた女が声を掛けた。

「大丈夫ですよぉ。こっちは混浴だから」
「あ・・、そ・・ですか」

茹蛸のように真っ赤になったイルカ先生に女たちが笑った。
「照れてる」だの、「可愛い」だのと聞こえてくる。

オマエらにイルカ先生の可愛さが分かってたまるか。

「上がろ」
「・・はい」

頷いたものの、恥かしいのかイルカ先生が湯船から上がろうとしなかった。
広い湯船の隅っこで女たちに背を向け縮こまる。

・・まさか、立ち上がれない理由が下半身にあったりしないでしょーね。

タオルに隠れてるとは言え目の当たりにした女の体にイルカ先生が欲情したんじゃないかと疑いの目を向けるが、小さくなったイルカ先生にそこまで見えない。
いつまでも上がろうとしない女たちに、次第にこっちが上せてきて額に掻いた汗を拭った。
上半身を湯から上げて熱を冷ます。
イルカ先生も辛いだろうに、眉を顰めたままじっと俯いている。
そうしているうちに、「お先に」と声が掛かり、女たちが湯船から上がった。

「イルカセンセ、――」

そろそろ上がろ?

促す前にイルカ先生が勢い良く立ち上がった。

「わっ、イルカセンセ!?」

そのままオレを振り返らずにずんずん歩いていくのに、慌てて後を追いかけた。
中に入ると洗い場に向かい、体を洗うのかと思えば桶に溜めた水を2,3杯被って外に向かう。

「イルカセンセ??」

入り口に張った結界を思い出して、イルカ先生にバレる前に解くと後を追った。
脱衣所では乱暴に体を拭ったイルカ先生が浴衣に袖を通す。

「イルカセンセ、背中がまだ濡れてるよ?」

オレの言うことを聞かずに帯を締めると濡れた髪を纏めて暖簾を潜った。
明らかに怒った顔をしている。

「イルカセンセ、待ってって」

ワケが分からないまま追いかけた。

「ちょっと、どうしたの?」

聞いても半分小走りで部屋に向かう。
渡り廊下で走り出したイルカ先生を追いかけて、部屋に入ったところで捕まえた。

「なに?どうしたの!?」
「はなせっ」

抗うイルカ先生の腕を捕まえると、イルカ先生がくしゃりと顔を歪めた。

「おっ、女の人の方がいいんですかっ」
「は?」
「ずっと気にして・・、カッコつけて、髪なんか掻き上げたりして――」

なに言ってやがる。

カッとして、イルカ先生の足を払うと畳の上に押さえつけた。
あっとイルカ先生の喉から小さく零れた悲鳴に嗜虐心が湧く。
手首を押さえつけると、イルカ先生が痛いと呻いた。
今にも泣き出しそうな顔でオレを見上げる。

「アンタそれ、本気で言ってるの?」
「だ、だって・・」
「・・ふぅん」

オレの愛情を疑うなんて許さない。
お仕置きが必要だ。
自分が疑ったことは棚に上げて、イルカ先生の手首を一纏めに押さえなおすと、片手でイルカ先生の浴衣を割った。

「や、やだっ」

何をされるのか気付いたイルカ先生が足をバタつかせる。
さーっとイルカ先生の体を肩から大腿までひと撫ぜするとイルカ先生の体が戦慄いた。
恐れても、イルカ先生の体はオレの手をよく覚えている。
胸に顔をうずめて乳輪をぐるりと舐めると、剥きだしにした太腿を足の付け根へと撫ぜた。

「やっ・・、やあっ・・」

甘く鳴いたイルカ先生の手首を解くと肩を押された。
その動きに合わせて体を離すと、しおしおと項垂れた。

「カカシさん・・?」
「ゴメンナサイ。・・でもイルカ先生がオレのこと疑うから・・」

寝転がったままのイルカ先生の手を引いて体を起こさせると、そうっと抱きしめた。

「女いいなんてあるわけなじゃないですか。気にしてたのはアイツ等がイルカ先生を見ないかと思って――、それで・・」

すりっと首筋に頬を擦り付けるとイルカ先生の体から力が抜けた。

「なんだ・・。俺の方こそご免なさい・・。ずっとカカシさんの意識があの人たちにいってたから・・」
「ん、勘違いならいーよ」

額を合わせて笑いあうと、ちゅっと口吻けて仲直りした。
安心したようにイルカ先生がぎゅうううと抱きついてくる。
その背中を撫ぜてから、体を離した。

「さ、そろそろご飯にしてもらおう?お腹空いちゃった。浴衣にも着替えなくちゃいけないし」
「ぇ・・、・・・・はい」

オレの態度に戸惑い、切なくイルカ先生が目を伏せた。
おずおずと閉じた膝の間で緩く立ち上がっていたものには気付かないフリをする。

しばらくの間、焦がれるといい。

これがオレが与えるイルカ先生への罰。
そうしてオレのことを強く想って。








text top
top