夕星 4
里から着ていた忍服を着替えて、Tシャツとジーパンというラフないでたちで琉の里に入った。
頭の中ではさっき河原で着替えたイルカ先生の肢体がチラつく。
キラキラと水面に反射した光がイルカ先生の体の上を走り、触れようとして怒られた。
・・誰も居ないのに、イルカ先生のケチ。
昼間だろうが、外だろうが、オレはいつだってイルカ先生に触れていたい。
里から離れた開放感が更にその欲求を膨らませた。
土産物屋の並ぶ大通りを進みながらイルカ先生の横に並ぶ。
日の暮れかけた通りは薄暗く、店から漏れた明かりが砂道を照らしていた。
居酒屋から一際賑やかな声が上がる。
「イルカ先生、こっちだよ」
中に気をとられていたイルカ先生の腰にさりげなく手を回して行き先を誘導した。
「あ、はい」
見上げたイルカ先生が何かもの言いたげなのは気付かないフリ。
「このまま宿に向かって荷物置こ?」
「はい」
「お腹空いたね」
「はい・・」
疲れた顔して見せればイルカ先生は何も言わなかった。
内心ぺろっと舌を出すが、オレだってイルカ先生に優しくされたい。
寄り添うように歩きながら宿に向かった。
「わあ・・っ」
宿を見上げたイルカ先生が感嘆の息を吐いた。
屋敷と呼ぶのが相応しい外観は歴史を感じさせ、黒い暖簾の揺れる玄関は老舗の風格が漂っている。
「凄く立派なところですね・・。合ってるのかな・・」
イルカ先生がポケットから引っ張り出したチケットと旅館の名前を見比べた。
商店街の福引で、こんなところに泊まれるとは思ってなかったのだろう
だけど、驚くのはまだまだ早い。
「とにかく入りましょう?」
「えっ、はい・・」
先に暖簾を潜ると名前を告げた。
「まあ、いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
床に手をついて頭を下げる女将にイルカ先生がどぎまぎしている。
簡単に挨拶を済ませ記帳すると、今晩から泊まる部屋に案内された。
「こちらへどうぞ」
しずしず歩く女将の後に続いて歩く。
広いロビーの向こうに障子が並び、そこは宴会場になっているらしく賑やかな声が聞こえた。
部屋に向かう道すがら施設を紹介され、
「こちらが大浴場になっております」
それぞれの入り口に、紺と紅で白く『男』と『女』と染め抜かれた暖簾を目にして眉を寄せた。
隣ではイルカ先生が嬉しそうな顔をしている。
あの暖簾を潜らせるべきか、否か――。
答えは否だが、それをなんと言ってイルカ先生に納得させるか悩んだ。
男なら、誰だって自分が抱く人の体を他人になんて見せたくない。
だけどココまで来てダメと言うと、イルカ先生が拗ねかねない。
そしてイルカ先生も男だ。
オレが止めたって馬鹿馬鹿しいと聞いてくれないだろう。
どうしたものかと考えてる間に女将は宴会の喧騒から離れ、渡り廊下を進んだ。
周りは外で塀に囲まれているが、明らかに旅館の建物外だ。
「・・カカシさん」
聞こえない声で袖を引かれて微笑み返した。
行く先に人気はなく、暗く静まり返っている。
どこいくんだろう・・?そんな顔できょろきょろするイルカ先生の手を女将に隠れてこっそり引いた。
不安なのかイルカ先生は何も言わない。
少しして、小さな庵が現れた。
先を行く女将がスイッチを入れると、部屋に明かりが燈り、周囲も明るくなった。
「わっ!」
夜の闇からぱっと浮かび上がった庭園にイルカ先生が声を上げた。
剪定された木と大きな岩が配された庭は人が作ったものでありながら、自然が凝縮されたようでもあった。
どこからか流れる水音が聞こえ、
「これは見事な・・・・」
「ありがとうございます。先代の趣味なんですよ」
思わず漏れた呟きに返事を返され、頭を掻いた。
ウワサには聞いていたけど、これほどとは――。
イルカ先生が陶然と庭を眺めている。
きっとここはイルカ先生の好みだろう。
「さ、中にどうぞ」
促されて部屋に入った。
鼻腔を擽るイグサの香りに、体が条件反射でホッとする。
広い和室が二つと襖の奥にもう一つ、――さっと目を走らせてから腰を下ろした。
改めて挨拶をする女将にイルカ先生が恐縮している。
緊張した面持ちのイルカ先生に女将がお茶とお菓子を進めるが、そっと熱い茶を口に含んだイルカ先生が恐る恐る聞き出した。
「あの・・、なんだか凄いお部屋なんですけど・・ここで合ってるんでしょうか・・?俺たち、その福引の懸賞でここに来て・・」
明らかに別格、――どうみても高そうな部屋にイルカ先生が当然の疑問を口にした。
その横で、ずずっとお茶を吸いつつ、女将がなんと答えるか静かに待つ。
「ええ、合ってます。木の葉商店街さまからご依頼を受けましてお部屋を用意させて頂いてたんですけど、あいにく団体さんで本館の方がいっぱいになってしまって・・。急遽こちらを用意させていただいたんです。離れで少し寂しくなってしまいますけど、自分の家と思って気軽に使ってください」
「そうですか・・!」
目に見えてイルカ先生の肩から力が抜けた。
――ナイス、女将。
本当は少し手を加えた。
一番下のランクから最上級へと。
イルカ先生には内緒で。
連れには内緒と伝えていたが口裏は合わせていなかった。
バレなくて良かったと内心で安堵の息を吐きつつ、女将の機転に心付けをたっぷり弾んでおこうと決めた。
部屋の説明を始める女将にイルカ先生がとことこついていく。
開けられた障子に先ほどの庭が見えて、ぱっとイルカ先生が顔を輝かせた。
「あとここから降りて石沿いに行ったら内風呂があります。この辺りは天然の温泉が湧いてて、ここのお風呂もそうです。24時間いつでも入れますから好きなときに入れますよ」
「・・・!」
声もなくイルカ先生が頷く。
その顔に大きく嬉しいと書いてあって、女将が満足そうな笑みを浮かべた。
夕食の支度に女将が部屋を下がるとイルカ先生がオレを呼んだ。
「カカシさん!お風呂見に行きましょう?」
「ええ」
すでに下駄を履いて待つイルカ先生に笑みを向ける。
イルカ先生が楽しげなのが嬉しい。
カランコロン音を弾ませて歩くイルカ先生の頭の上のしっぽもぴょんぴょん跳ねた。
見えてきた木戸を開けて、下駄を脱いだイルカ先生が中に入って「うわーぁ」とはしゃいだ声を上げた。
「カカシさん!凄いですよ!」
「どれ」
纏わり付くようにイルカ先生の背中から中を覗きこむと岩に囲まれた温泉が見える。
そこは露天で木戸の内側だけ床場があって脱衣所になっていた。
ふんだんに溢れ出るお湯が岩肌を濡らし、流れ行く。
さっき聞こえてたのはこの音かと納得しているとイルカ先生の体重が胸に掛かった。
「入るのが楽しみですね!」
頬にイルカ先生の息が触れる。
腕をイルカ先生の体に回すと頬を寄せてぎゅっと抱きしめた。
「ホントに。・・お風呂が先の方が良かった?」
「ううん、俺もお腹減ってましたから・・。カカシさん、お月様が見えますよ。後でここで月見酒しましょう?」
「うん、いいね」
空を見上げるイルカ先生の瞳から首筋へと視線を移して顔を埋めた。
うん、ホント楽しみ。
部屋に戻ると同時に声が掛かって障子が開いた。
運ばれて来た豪華な料理に、イルカ先生がそれはもう嬉しそうな顔で目の前に並べられるのを待っている。
仲居さんが下がるのを待ってビール瓶に手を伸ばすとイルカ先生のコップに注いだ。
コップがいっぱいになると、すかさずイルカ先生がビンを奪ってオレのコップに注いでくれる。
「あ、ども」
「いえいえ・・」
そんなやり取りに懐かしさを感じて、出合った頃を思い出した。
今では家で缶ビールだが、あの頃は緊張しながらイルカ先生を食事に誘ってビールを注いだ。
当時は上忍と中忍という関係だったから、イルカ先生も緊張してオレに付き合ってくれた。
その緊張の違いが寂しかったのを思い出す。
今となってはいい思い出だ。
「乾杯」とコップを合わせてビールを飲んだ。
「くーっ」と喉を震わすイルカ先生の半分空になったコップにビールを注いで、自分にも足した。
「あっ」
「後は手酌で、ね」
「・・はい」
気を使わなくて良くなった関係を嬉しく思う。
あの頃よりずっとイルカ先生との距離は近い。