夕星 15
明るくて目が覚めたけど、イルカ先生がまだ眠っていたから目を閉じた。
背中を向けて眠るイルカ先生の首筋に顔を埋めてたっぷり息を吸い込めば、心地よい眠りが迎えに来てくれる。
次に目が覚めた時もイルカ先生はまだ眠っていて、背中に張り付きながら珍しいと思った。
いつもはもっと早く起きるのに。
・・疲れさせてしまっただろうか?
連日の情交を思い浮かべて反省する。
それでも体はこれ以上ないほど満たされていて上機嫌になった。
体が満たされれば、心も満たされる。
喘ぐイルカ先生の可愛らしい姿を思い出して、幸福感が込み上げた。
すりすりと顔を擦り付けるとイルカ先生の声が聞きたくなって、肘を突いて体を起こすと眠るイルカ先生の髪を掻き上げた。
「イルカセンセ、朝だーよ」
ちゅうっと額を吸い上げると、程なくイルカ先生の瞼が開いた。
その色合いにおや?と思う。
寝起きではなく、ずっと起きていた様な瞳の色。
「・・イルカセンセ、起きてたの?」
答えないままイルカ先生が瞼を閉じた。
「・・疲れちゃった?」
心配になって顔を覗き込む。
思っていた以上に無理をさせてしまったかと申し訳なくなって何度も頭を撫ぜていると、急にイルカ先生がくるんと体の向きを変えた。
胸にぎゅっと顔を押し付けて、背中に腕を回す。
えっ!
突然の行動にどきどきしながらイルカ先生の背中に手を回した。
薄い浴衣を通してイルカ先生の熱が伝わる。
甘えたかったのかな・・?
イルカ先生の髪に鼻を埋めて抱きしめた。
自分からこんな風に甘えてくることなんて滅多にないから胸のどきどきが収まらない。
「イルカセンセ?」
呼んでも顔を上げない。
胸に額を付けられて、どきどきはイルカ先生に伝わってしまっているだろう。
それが少し恥かしい。
だけど腕を解く気にはなれなかった。
遅めの朝食を取って身支度を整えると買い物に出かけた。
お土産を探して大通りへと向かう。
目の前に、昨日買った髪紐がイルカ先生の頭のてっぺんで役目を果たしていた。
その紺色はイルカ先生の黒髪に良く似合っている。
「なにかあったんですか?にこにこして・・」
「なんでもなーいよ。それより何買うの?」
「えっと・・、受付と職員室にお菓子と大家さんにお饅頭と・・、あっ、清水屋のゼリーも」
「うん、わかった。じゃあ、あそこから入ろう」
お菓子の箱を積み重ねた店を指差す。
それから試食品を摘んで味を見ながら一軒一軒店を回った。
漬物から洋菓子まで、相手の嗜好を考えて懸命にお土産を探すイルカ先生に、渡す相手が透けて見えてくるようだった。
お昼にラーメンを食べて、最後に清水屋のゼリーを買うとお土産はすべて買い終わったようで、両手に荷物を抱えて宿に戻った。
その途中で、
「あ、カカシさん」
イルカ先生が民芸品店の前で足を止めた。
何か気になるものが見えたのか、表から中を覗いて店の様子を窺っている。
「いいよ、行っておいで」
イルカ先生の荷物を受け取ると、「待ってるから」と促した。
大荷物で入ると棚のものを引っ掛けてしまいそうだから、オレは外で待機。
入り口で見ていると、イルカ先生は箸を手に取り選び出した。
螺鈿の埋め込まれた漆の箸。
誰へのお土産なのか選ぶ視線は熱心なものだった。
「・・・・・・・・・」
じっと見ているとイルカ先生がゆっくり選べないかもしれないので店先から離れた。
・・・と言うのは建前で、臍が曲がりかけたので離れた。
あれを貰える奴が羨ましい。
日頃からあんまりヤキモチは焼かないようにしようと心がけているのに、イルカ先生といるとダメだった。
小さなことでもすぐに妬いてしまう。
3年も一緒にいて、イルカ先生がオレを大事に思ってくれてるのは知っているのに、イルカ先生の関心がオレに向いてないのが嫌で、時々そんな自分を持て余した。
もっと大人になろう。
三十路を前にして何度も思う。
イルカ先生を包み込むような大きな男になりたかった。
イルカ先生の気配が近づいてきて、振り向こうとしたらいきなりシャツの袖を掴まれた。
二の腕に触れる手に臓が跳ねる。
あまり意識したこと無かったけど、オレはイルカ先生からの接触に弱いらしい。
振り向くと、心配そうな顔をしたイルカ先生がいた。
「どうしたの?良いのなかった・・?」
ドキドキしながら首を傾げると、イルカ先生が首を横に振った。
「カカシさん、いなかったから・・。待たせてごめんなさい」
「えっ、いいよ、気にしなくて。見えるところにいたつもりなんだけど・・、心配になった?ゴメンネ」
両手に持っていた荷物を片手に待ち直すとイルカ先生の頭を撫ぜた。
にやけそうになる顔を必死に引き締めた。
「気に入ったのあった?」
手ぶらのイルカ先生の頬に指を滑らせる。
「・・はい」
「じゃあ、買っておいで。ここで待ってるから」
頷いて、足早に店に戻っていくイルカ先生に堪えきれず頬を緩めた。
たまらなく嬉しい。
オレの不在がイルカ先生を不安にするのを目の当たりにして、とめどなく喜びが溢れた。
旅行最後の夕食だけど、豪華な料理に飽きてしまって箸が進まない。
イルカ先生は美味しそうに食べているからいいけど、オレはもうイルカ先生の料理が恋しい。
明日の帰りを思って、小さな卓袱台と馴染んだ畳へ心は馳せた。
旅行は楽しかったし旅館も良かったけど、オレはイルカ先生の家の方がスキ。
デザートのメロンを口に運ぶとフォークを置いた。
貰ってきた箱にお土産を詰めると火の国へ送る手配をした。
民家を装った集荷所から自宅へと宅配忍が届けてくれる。
明日の晩には届くだろう。
もう使わなそうなものもリュックに詰めてお風呂に入る準備をしていると、イルカ先生がオレを呼んだ。
「カカシさん、花火しましょう?」
「花火?」
「はい。お土産屋さんで貰ったんです」
手にした小さな袋を掲げるイルカ先生に、縁側から外に出てしゃがんだ。
袋を開けて一本オレに渡すと、旅館の名前の入った箱からマッチを取り出し、しゅっと擦る。
オレを手を引き腕を伸ばさせると、点いた火を花火の先に近づけた。
しゅわっと点いた火が引いてじりじり音を立てる。
ぱちぱちと火花が飛び出し、花火の先に小さな火の玉が出来ていった。
「動いたら駄目ですよ」
しゅわしゅわと小さな火の玉から花火が飛び出す。
良く見ようとしたら、ぼたっと火の玉が落ちてしまった。
地面に落ちた火は消えて、持っていた花火からも火花が咲かない。
「・・ナニこれ?」
「線香花火ですよ。火の玉が落ちたらおしまいなんです」
「えーっ、それなら早く言ってよ」
花火ってもっと勢い良く火花が飛び出すものじゃないのか。
一瞬で終わってしまった花火に口を尖らせると、イルカ先生が笑って二本目を差し出した。
火を擦る音に緊張が走る。
「最後まで落ちなかったら火花の形が変わるんですよ」
そんなこと言うから、ますます緊張が高まる。
花火の先端で丸まっていく火の玉を、息を潜めてじっと見つめた。
その玉からぱちぱちと火花が飛び出す。
それから勢い良く玉の周りで花が開いて賑やかになった。
千鳥に似た形の火花も飛び出す。
少し静かになって、ぽとりと落ちた火に、「今ので最後?」と聞くとイルカ先生が首を横に振った。
「落ちずに消えたら最後です。でも最後まで行くのはなかなか難しくて・・」
「もう一回!イルカ先生もしよ?」
「ええ」
並べて点してぱちぱちと光る火に見入っていると、オレの方はあっという間に落ちてしまった。
「なんで?動いて無いのに・・」
ぱちぱちと爆ぜるイルカ先生の花火を見つめる。
それも途中でぽとりと落ちて、二人で溜息を吐いた。
続けて火を点け息を潜める。
またしてもオレの方が早く落ちてしまったけど、イルカ先生の方はさっきより長く点いてイルカ先生の顔が綻んだ。
しゅわしゅわと爆ぜていた火花がしゅばしゅばに変わる。
「千鳥みたい」
呟くとイルカ先生が緩く瞼を伏せた。
暗闇の中、花火の光がイルカ先生を照らす。
瞬間、その光景が脳裏に強く焼きついた。
オレはこの光景を一生忘れない。
イルカ先生と花火した事を、立てた膝に頬を乗せて柔らかく微笑むイルカ先生の姿を。
いつか息を止める瞬間にも思い出して胸を温かくするだろう。
イルカ先生の持つ花火の先から細い光が飛び出して、やがてそれも止んでしまう。
火の玉が黒く燃え尽き、辺りを闇が包んだ。
「今ので終わり?」
「はい」
満足そうなイルカ先生に胸が満たされ、もう一回と手を伸ばす。
「カカシさん競争をしましょう。先に落ちたほうが負け」
「いいよ」
笑って火を点け目を凝らす。
火花は形を変え、最後までいかなかったもののなかなか良い勝負だった。
「もう一回」
「カカシさん、これが最後です」
イルカ先生が残念そうな顔で花火を差し出す。
「うん、わかった」
二つ並べて火を点けて、灯った瞬間言った。
「イルカ先生、今度も勝負ね。負けた方が勝った方にキスすること」
「えっ!」
一瞬イルカ先生が焦った顔をするが、オレはまだ一度もイルカ先生に勝っていない。
それを思い出したのかイルカ先生が余裕の顔で頷いた。
「いいですよ」
結果が楽しみで口角が上がる。
しゅわしゅわと開いた花火が辺りを照らした。
「なんでこんな時ばっかり!」
「いいから、ホラおいでよ」
おいでおいでとしゃがんだまま両手を伸ばすと、長く燃え残った花火を手にしたままイルカ先生が後退った。
オレが手にした花火は最後まで燃え尽きて、イルカ先生のは途中で落ちた。
その瞬間のイルカ先生の顔といったら!
こういうときの勝負強さには自信があった。
「逃げるのはナシ!イルカ先生、男に二言はないデショウ?」
追いつめると悔しそうにしながらイルカ先生が近づいてきた。
両手の中に入ったイルカ先生を抱きしめようとすると手を叩かれる。
「カカシさんは何もしないで下さい!」
「ちぇっ」
とは言え、イルカ先生からキスされるなんていつ振りだろう?
余裕の顔で笑って見せるけど、内心ドキドキしてたまらなかった。
「んっ」
どうぞと唇を突き出すとぺしっと額を押し返された。
「動くのもなし!」
「えーっ」
「えーっじゃない」
顔を真っ赤にしたイルカ先生がオレの両頬を掴んだ。
火薬の匂いが強く香る。
温かな手に頬を包まれて、慎重な面持ちになった。
「目、閉じてください」
「ん」
そんな風にされると余計ドキドキするんだけど・・。
唇に、イルカ先生の息を感じて薄く瞼を開いた。
目を閉じて、顔を傾けたイルカ先生の顔が近づいてくる。
焦点が合わないほど近づいて、もう一度目を瞑るとイルカ先生の唇が重なった。
「・・・・・・・・・」
息を止め、ぴったりと唇を重ねてくるイルカ先生に思案する。
嬉しいけど、ちょっと物足りなくて唇を開いた。
そのまま何もせずイルカ先生から動くのを待つ。
じっとしていたイルカ先生の唇が動いて、ちろっと舌先が唇に触れ、おずおずと口の中に入ってきた。
かーっと体が熱くなり、下肢が反応しだす。
イルカ先生が腕を掴んで唇を強く押し付けてきた。
たどたどしく触れてくる舌に舌を触れ合わせて重ねる。
拙い動きで口の中を探られて、深く入り込んできた舌を吸い上げると、ビックリしたようにイルカ先の舌が逃げた。
「おっ、おしまい!」
「ええーっっ!!」
立ち上がり、真っ赤になったイルカ先生が飛ばしならが下駄を脱いで部屋へと入っていく。
その慌てた様子が可笑しくて、笑いながら花火を片付けるとイルカ先生の後を追いかけた。