夢見る頃を過ぎても 22




 元気のないイルカの傍にいると、いろんな人間がイルカの心配をして声を掛けた。その度にイルカは笑顔でなんでもないと答えていたが、親しい人間はそうでないと気付いた。
 砂糖を買った後でわざわざ戻って来て、イルカに薬草をやったり、花や菓子を手渡したりした。
 ミズキなんかはイルカを引き留めて、悩みを聞き出そうとした。
 並んで座る後ろ姿をギリギリしながら見守った。
 面白く無い。イルカの相談なら自分が乗りたいのに、今のカカシはイルカの悩みの一部でもある。
 不甲斐なさと腹立たしさでいっぱいになっていると、イルカが笑い声を上げた。
 久しく聞いていなかったイルカの笑い声だった。
 楽しそうな二人を見ていられなくて、何も無い空間に戻った。
「クソッ」
 悔しさで頭が焼けそうだった。
「どうすればいいんだ」
 カカシだってイルカに笑って欲しかった。前みたいに可愛い顔が見たい。甘えてだって欲しかった。
 ここに物があれば全部破壊したいぐらいの衝動が込み上げる。カカシは激しく渦巻く衝動を堪えた。
 その時、何も無い空間に声が響いた。
 ――カカシさん?
 イルカがカカシを呼んでいた。
 ――カカシさん、カカシさん
 一瞬にして切ないほどの恋しさが込み上げる。カカシは荒れ狂う気持ちを抑え込んだ。
 ――カカシさん
「どうしたの? イルカ」
 イルカの正面に舞い降りて笑顔を浮かべた。イルカに不機嫌な顔なんて見せたくない。カカシを見たイルカが嬉しそうに合巻を差し出した。
「カカシさん。はい、これ。前に読みたいって言ってた合巻です」
 受け取るより先にイルカを抱き締めていた。
「カカシさん…?」
(誰とも仲良くしないで!)
 そう言えたらどれほど楽だろう。
「…ウン。ありがとう」
 合巻を受け取ったカカシがあまり嬉しそうでないのを見てイルカが沈んだが、自分を抑えることに気を取られて気付かなかった。




 イルカとどこか気まずい雰囲気のまま数日が過ぎた。
 イルカは以前の元気を無くしたままで、お見合いの話が無くなった今も、元の状態に戻る切っ掛けを無くしていた。
 沈んだイルカを見たくなくて、また誰かと楽しそうに話すイルカはもっと見たくなくて、カカシは部屋に閉じ籠もった。
 前ほど面白く感じなくなった合巻をパラパラ捲って時間を潰す。
 昼をだいぶ過ぎたぐらいに、イルカの足音が近づいて来た。
障子を開けたイルカは嬉しそうで、カカシもつられて嬉しくなった。
 だがイルカが嬉しそうなのは縁日に行くからだった。浮かれたイルカは羽織に袖を通しながら、カカシに出掛けないのかと聞いてきた。
(どこに行けと言うのよ…)
「行かないよ。イルカの傍にいるのが一番だもん」
「そうですか…」
 カカシの返事にさっきまで楽しそうだったイルカは沈んだ顔をした。
 イルカは、カカシに何処かへ行って欲しいのだろうか?
(…もうイヤだ)
「いってらっしゃい。気を付けてね」
 辛くなったカカシはイルカを追い出すように声を掛けた。
「…はい。行ってきます」
 対するイルカも笑顔を浮かべたが、決して楽しそうでなかった。己がイルカにそんな顔をさせていると思うとイライラした。
 堪らなくなってカカシは何も無い空間に逃げ帰った。そこで心を閉ざして世界を遮断した。
 イルカの傍にいるのが辛い。
 スキなのに、どうしてこんな気持ちにならなければならないのか分からなかった。苦しくて堪らなかった。
 どれくらいそうしていたのか。イルカの哀しむ気配が伝わって来た。世界を遮断しても、イルカとは滑石を通じて繋がっていた。
 慌ててイルカの部屋に戻るが、入ってきたイルカは平気そうな顔をしていた。
(あれ…? 気のせい?)
 首を傾げながらイルカを見ていると、イルカがカカシのお土産を買ってくるのを忘れたと言った。
 気にしなくて良い、そう言おうとしたのに突然イルカが大粒の涙を零した。
 その泣き方は苦しげで、見ているこっちが辛くなる。
「どうしたの? イルカ」
 何があったのか知りたかった。
「…縁日で、お見合いの相手に会ったんです。じい様も、店の者も私が結婚するのを望んでいて…、逃れられそうにないんです。結婚…、させられそうです…」
 黒塗りの絶望が押し寄せてきた。
(またその話か…。もう聞きたくない)
 聞いても答えは変わらない。
「そんなに悩まなくてもしたら良いじゃない」
 一体いつまで同じ所で悩むつもりなのか。無理なことはさっさと受け入れてしまった方が楽だ。
 だけどイルカは抵抗する。
「でも私は結婚したくないんです!」
「なら、しなければ良いじゃない」
「そうはいかないから困ってるんです!」
 イルカが吐くように泣き出した。
 こんな風に泣くイルカは見たくない。
「もうこんな話止めよ? それより楽しい話しようよ」
「勝手なこと言わないで下さい。こんな状況で楽しい話なんて出来る訳ないでしょう。もう黙ってて下さい。邪魔なんです!」
 刹那カカシは己がカッとなったのか哀しくなったのか
分からなくなった。感情が凍って、きっと何も感じなくなった。
「イルカはオレが邪魔? だったら、オレを消せば良いよ」
 衝動のままイルカの胸に手を入れた。
「この石を砕けば、オレはいなくなるよ」
 イルカの胸に温められ、同じ温度になっていた滑石を引き摺り出した。イルカの体から力が抜けて、畳の上に崩れ落ちた。
 これでイルカとの唯一の繋がりは無くなった。
 カカシの目から涙が零れ落ちた。


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