夢見る頃を過ぎても 21
四
カカシはいつもイルカの傍にいた。イルカが一人の時は姿を現して傍にいた。イルカが働いている時は何も無い空間から現を眺めた。
イルカとは胸に埋めた滑石を通じて繋がっていたし、温石の入れ物をいつも持ち歩いていたから、離れていても傍にいられた。
ある日、一人になったイルカが押し入れに何か隠していた。見られたら困るものなのか、しきりに辺りを窺っている。
(なんだろ?)
イルカが行った後、引っ張り出してみた。それは挿し絵の入った合巻だった。イルカには刺激の強すぎる、人間同士が絡み合った絵が描いてあった。
「くくくっ…」
カカシは可笑しくなった。あんな必死な顔で隠すなんて。イルカは可愛い。自分はこれよりもっと凄いことをしているくせに。
カカシは退屈しのぎに合巻を読み出した。字はイルカが寺子屋に行っている間に覚えた。合巻には人間の話が書いてあった。
日々の暮らしや恋愛の事。そして契り方も。
この合巻はとても役に立った。早速実践で営んでみると効果は素晴らしく、イルカに合巻の前後を強請った。
イルカは困った顔をしていたが、カカシの願いを聞き入れて前編を持って来てくれた。
ある日、店に行くイルカを追っていると、障子の向こうからイルカの名が聞こえてきた。
イルカのじい様の声だ。カカシは興味を持って部屋に入った。そこにはじい様と番頭がいた。
「イルカにいくつか見合いの話が来ておっての」
「そうでしたか。それはおめでたい話ですね」
「うむ。どれか進めてみようと思うんじゃが――」
(見合い? イルカがお見合いするの?)
見合いについては合巻に書いてあった。
物語の中で、女主人公は気に食わない相手とお見合いをさせられようとしていた。女は別に好きな相手がいて、なんとか見合いを断ろうとした。だがすでに両家の間で話が決まり、結納へと話が進んでいく。
つまり見合いをすれば、イルカに将来を共にする伴侶が出来てしまうのだ。
(ダメダメダメ!)
カカシは慌ててイルカの元へ戻ったが、イルカはじい様の部屋の前まで来ていた。中に入ると見合いの話をされ、目を白黒させた。
「見合いなど、私にはまだ早すぎます」
(そうだ、そうだ!)
心の中でカカシは声援を送った。イルカには自分がいるのだから、ちゃんと断って欲しい。
だけど良い返事をしないイルカに、じい様が「好いたおなごでもおるのか?」と聞いた時にはっとした。
きっとイルカはカカシを好いている。だけど妖であるカカシを、イルカは誰にも紹介出来なかった。現(うつつ)で誰もが認めてくれる形でイルカと結ばれることはない。
それはイルカも分かっているのだろう。じい様に、好きな人はいないと答えた。
じい様の部屋を出るイルカの背中は寂しげに丸まっていた。一旦は見合いを断ったものの、断り切れないでいた。
イルカは知らないが、三河屋を断っても次の話がある。イルカに全ては断り切れないだろう。
カカシは覚悟を決めなければならなかった。
いつもより早めに部屋へ戻って来たイルカは、泣きそうな顔でカカシの胸に飛び込んできた。
「お見合いをさせられそうなんです!」
イルカが全身でイヤだと訴えていた。だけどカカシはそれに気付かぬフリをした。
「お見合い?」
「カカシさんお見合いって言うのは――」
「知ってるよ。結婚を前提にした人と会う事デショ?」
カカシが平然と言うと、イルカが傷付いた顔をした。でもここで動揺してはいけない。すればイルカが苦しむだけだ。
「…カカシさんは私が結婚してもいいのですか? 別の人と一緒になっても気にならないのですか?」
イルカが縋るように強くカカシの腕を握った。
例えイルカが誰かと結婚しても、ずっと傍に居る。イルカが好きでいてくれたら耐えられる。だから、
「イルカの好きにすればいーよ」
「え…?」
「結婚。イルカの好きにして良いよ」
負担にならないようにあっさり言うと、腕を掴んでいた力が抜けていった。
「イルカ、ねぇしようよ」
そんな気分じゃないだろうと思ったが誘わずにいられなかった。イルカの気持ちを確かめたい。
「…今日はしたくありません」
「どうしたの? いつもしてるのに…。オレの事、キライになった?」
聞いた瞬間しまったと思った。イルカの背中が小さく震え出して、泣くのを堪えていた。
(ゴメン…、ゴメン、イルカ。でもずっと傍にいるから安心して。離れないよ)
抱き締めてもイルカの震えは止まらなかった。
早くこの苦境を乗り越えたかった。見合いを断れば、それだけイルカが長く苦しむだけだ。
夜が明けて、目を覚ましたイルカの目元には隈が出来ていた。よく眠れなかったのだろう。
哀しげなイルカに唇を重ねると、イルカは拒むことなくカカシを受け入れてホッとさせた。
(あまり悩まないで)
そっとイルカの頬を撫でると笑みを浮かべた。
「元気になった?」
「…はい」
そうは見えない顔でイルカは頷いた。
(酷な事をしている…)
イルカの顔を見ていると決心が揺らぎそうな気がしたが、これが一番マシな方法だと己に言い聞かせた。
カカシの態度はイルカを落胆させたようで、少し距離を置かれてしまった。昼になってもカカシに会いに来ようとせず、一人で昼餉を摂っていた。
思い悩むイルカは溜め息ばかり吐いていた。
夜も抱かせてくれず、イルカは一人で眠ろうとする。
翌朝、イルカはいっそう疲れて見えた。このままでは倒れるのではないかと心配したが、イルカは仕事に行くと言う。
口数も少なく、カカシは不安になった。
もしかして、嫌われてしまったのだろうか?
その日もイルカは昼に戻ろうとしなかった。確かに店は忙しかったが、昼食を母屋で食べるなら、少し足を伸ばして部屋に戻っても良い筈だ。
(オレに会いたくないんだ…)
そう思うと、カカシは焦燥に駆られた。イルカが見合いしても良いと思ったが、カカシを好きでいてくれることが大前提だ。嫌われてしまったら存在すら意味が無い。
(どうしよう…)
やはり見合いをするなと言った方が良いのだろうか。言った所で何も変わらないのに。
悩んでいる間にイルカの態度が変わった。カカシが声を掛けてもこっちを見ようとしない。
「イルカ、どうしたの?」
「別に…。なんでもありません」
冷たい物言いに堪らなくなった。
「イルカ、オレにつれなくしないで」
抱き締めるとイルカが痛そうに身動いだが、腕を緩められなかった。
「…つれなくなんてしていません。ただ汗を掻いたので風呂に入って来ようと思っただけです」
「ホント?」
「ええ
振り向いたイルカは小さく笑っていた。そしてお見合いを断ったと教えてくれた。
「本当に? ねぇイルカ、本当にお見合いしない?」
「はい。しません」
「やった!」
腹の底から喜びが込み上げて来た。例え一時のことでも断ってくれたのが嬉しかった。
夜になって体に触れても、イルカはカカシの手を拒まなかった。許されたのが嬉しくて、カカシはイルカを大事に大事に抱いた。手も足も、髪の毛の一本でさえ、イルカの体で大事でない所はない。
穿ちながら丹念に愛撫を施すと、イルカは切なげに喘いだ。一瞬泣いているのかと思ったが、顔を覗き込んでもイルカの目に涙は無かった。愁いを帯びたイルカの表情は濃艶で目が離せなくなる。
じっと見ていたら気付かれて、イルカが瞼を開いた。
「カカシ、さん…?」
「ん。なんでもなーいよ」
快楽に没頭して欲しくて、カカシはイルカを責め続けた。
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