夢見る頃を過ぎても 20





 カカシが再び目を覚ました時、幸いにも主はイルカのままで、まだ温石を持っていてくれた。カカシはイルカの傍にいられた喜びに打ち震えたが、妖力が足りず実体化することも声を掛けることも出来なかった。
 再び力を取り戻すまで、イルカの傍で成長を見守った。
 眠っている間にどれくらい時が過ぎたのか、イルカは背が高くなっていた。あの時の傷はイルカの顔に残っていたが、カカシを助けてくれた証しだ。とても愛しかった。
 やがてイルカは思春期を迎え、性的な興味を持つようになった。イルカが自慰を始めた時、何をしているのか分からなかったが、イルカの息遣いを聞いていると落ち着かない気持ちになった。
 そわそわと言うか、もぞもぞと言うか。何とも言い難い、外に向かって発散したいような何かが込み上げる。
 ソレをしているとき、イルカが気持ち良いのは分かった。そして終わったと罪悪感に襲われるのも。
(どうして? どうしてなの? イルカ)
 聞きたいのに聞けなくてもどかしい。
 回数を重ねていく内にイルカに触れたくて堪らなくなった。(イルカの体温を手の平に感じたい)
 そう願ったとき、カカシの体がぽんっと大きくなった。
(えぇーっ?)
 成長して、イルカと同じぐらいの年頃になっていた。
 心が成長すると体も成長するのだろうか?
 大きくなった手の平をじっと見つめた。
 理解出来ないまま、カカシはすぐに気持ち良いことと罪悪感を覚えた。
 それはカカシにとって苦行でしかなかった。触れたい人はすぐ目の前にいるのに触れられない。話しかける事すら出来ない。
(イルカと抱き合いたい。イルカと一つになりたい…!)
 カカシはまた成長して、イルカより年上の外見になった。
 毎日イルカの事だけ考えた。
 悶々と我慢しながら、カカシは己の身の内に力が堪っていくのを感じた。また実体化出来そうな気がする。試しに何度も温石から飛び出そうと試みたが、器に阻まれてどうしても出来なかった。
 イルカは自慰はするが、カカシの様に誰かと抱き合いたいとは考えていなかった。そのことはカカシを安心させたが、油断は出来なかった。
 例えばミズキ。イルカにいやらしい事を言って、関心を引こうとする。イルカは幼く、ミズキの言葉を理解しなかったが、他にも色目を使ってくる女中や客など、ヤバイ相手はたくさんいた。
 イルカが恋愛事に疎いのは不幸中の幸いだった。
(…………恋愛?)
 その時になって、カカシは初めて己がイルカに恋していたと気付いた。
 気付いてからはカカシの苦悩は増した。イルカの全てが悩ましい。
 ぴかぴかでも温石を磨くのは相変わらずで、カカシの体を触りまくった。そして終わった時、成果を確かめる様に指先で温石の表面をそっと撫でた。
 するりと撫でられると、心の奥底から凶暴な感情が湧き上がった。イルカを組み敷きたくなる。
 想像の中で何度もイルカと繋がった。イルカの体を余すとこなく舐めて射精させた。汗を掻いたイルカの肌を想像しながら、熱く滾った自身を慰めた。
 ある日、ミズキがニヤニヤしながらイルカの傍に寄ってきた。周囲には誰もいない。よからぬ事を企んでいるに違いなかった。
(まさか… イルカに手を出そうと思ってないだろうな)
 憤りでメラメラ燃えた。
(コイツ! この!)
 手を振り回すが、当然ミズキに当たる筈も無く、そうこうしている内にミズキがイルカに肩を寄せた。
「良いもの見せてやるよ」
「良いもの?」
 無邪気なイルカが期待に満ちた面持ちで首を傾げた。
(そんな可愛い顔を見せちゃダメダメ!)
 ミズキが着物の袖袋から草紙を取り出した。そして辺りを見回し誰も居ないのを確認すると、するっと巻いた紙を開いた。
 そこには結合部を露わに抱き合う人間の姿が描かれていた。
「ブーーーッ」
(え?)
「うわっ」
 目の前が赤く染まった。イルカが大量の鼻血を噴いて後に倒れた。
(わーっ! イルカっ!)
「おいっ! イルカ! しっかりしろ! おいっ! 誰かー! 誰か来てくれ!」
 だがイルカの住む離れは母屋から遠く、また店の賑わいもあってミズキの声は誰にも届かなかった。
 人を呼びにミズキが離れた後、カカシはイルカの周りをうろうろ歩き回った。
(イルカ! イルカ! ………あれ?)
 いつもと様子が違っていた。イルカの傍にいた。周囲の景色が鮮明だった。足の裏に地面の感触がある。
(まさか…)
 恐る恐る手を伸ばすと、イルカに触れることが出来た。
「イルカ」
 肩を揺するとイルカの体が動いた。
「戻った…」
 イルカに触れた手をじっと見ていると、
「こっちです」
 人の気配が近づいて来た。名残惜しかったがカカシは姿を消した。


 体に力が漲る感覚に、カカシは大きく伸びをした。
 長かった。ようやく自由に動ける。
(イルカを抱ける…)
 やり方もたった今分かった。さっき見た絵に描いてあった。
人間には交わる穴があるらしい。抱き合えれば幸せだと思っていたが、交わって一つになれる。
 すぐに行動に移した。屋敷の中が寝静まるのを待って、イルカの元に舞い降りた。
 そして、夢のような一夜を過ごした。


 疲れて眠ってしまったイルカの身なりを整えて綺麗にした。イルカは性的な名残を酷く気にするから念入りにした。
 布団の空いたところに滑り込んで、まだ熱で火照る頬を撫でた。
(夢じゃない…)
 幾千とイルカと抱き合う姿を想像したが、実際は想像以上だった。悦びは深く、快楽に夢中になった。
 抱き寄せると、イルカが胸に顔を埋めてきた。背中に手が回る。なんて可愛い仕草だろうと感動に胸が震えた。
 これほど幸せな事は無い。
 初めて『カカシ』と呼ばれた時からそうだが、イルカはカカシにとって唯一の存在だ。
「ずっと離れないよ」
 眠るイルカに誓いを立てた。
 このまま傍にいたかったが、夜が明ける頃になるとカカシの体が透けだした。まだ本調子では無いらしい。
 仕方なくまだ眠るイルカを置いて、元いた空間に戻った。


 昼になると力が回復した。再びイルカに逢いに行ったが驚かせてしまい、イルカは白目を剥いて気絶してしまった。
 揺すっても擽っても目を覚まさない。
 話をしたかったが仕方ない。イルカを抱いたまま日向ぼっこした。
 意識を集中させると、イルカの中に石があるのを感じた。すでに役目を果たしてカカシの力は残っていなかった。
 庭を見ていると、昔遊んだ記憶が蘇ってきた。
「ねぇ、覚えてる? 金銀花の約束」
 小さな小指を絡め合った。きっと次の春には叶えられるだろう。
 イルカを抱いてぽかぽかしていると、人がやって来た。
 カカシは溜め息を吐いてイルカを離した。いつか邪魔されずにイルカといられるようになりたい。
 イルカは医者に発見されて、また布団に寝かされた。
 目を覚ましたイルカは警戒心剥き出しでカカシを楽しませた。
(可愛いなぁ、もう)
 それならと、カカシはイルカの裏を掻いて出没した。作戦は成功してイルカの唇を奪えた。
 唇を触れ合わせると、イルカの熱が伝わって来てカッと体が熱くなった。昨日の続きがしたくなる。
 衝動のままイルカを抱こうとしたら殴られた。イルカの拳骨は頭蓋骨が割れるかと思うほど痛かった。かつてこれほどの衝撃を受けた事が無く、悶絶しているとイルカが聞いた。
 誰なんですか? と。
 驚いたが納得も出来た。オレはあの頃の姿と違った。
 名前を言えば、すぐ思い出してくれると思った。イルカがつけてくれた名前だ。
「オレのこと覚えてないの? オレはカカシだーよ。思い出した?」
 イルカの瞳が戸惑いで揺れた。イルカはまったく覚えていなかった。溺れたせいだろうか? すっかり忘れられていた。
 ショックのあまり息が止まりそうになったが、めげずにイルカに向かっていった。
 だって冷たい川に飛び込んだイルカが教えてくれた。諦めないことを。オレには手足がある。自分からイルカに手を伸ばせば良かった。
 だけど抵抗に遭い、強引に事を進めようとしてイルカに嫌いと言われてしまった。
 イルカの言葉は心臓を貫いて、気が付いたら何もない空間に戻って来ていた。
 心臓が痛い。こんな展開は予想してなかった。子供の頃ならすぐに仲良くなれたのに。簡単に受け入れてくれたのに。
 イルカが『嫌い』という言葉を使うのを初めて聞いた。カカシはイルカが嫌う唯一のものになってしまった。
(そんなのイヤだ…)
 再びイルカの前に出るのは怖かったが、カカシは許しを請いに行った。嫌われたままなんて辛すぎる。
 眠るイルカの背中に縋り付いた。そうして許してくれるのを待ったが、同時にイルカの匂いを嗅いでドキドキもしていた。とても反省しているのに、イルカの体温を感じて体を求める気持ちも湧いた。
 イルカが凄く好きだ。
 ずっとそうしているとイルカが振り向いた。警戒心が剥き出しだった。
「イルカはオレのことキライなの?」
 違うと言って欲しかったが、分からないと言われてしまった。なんて寂しい言葉だろう。ずっとイルカが好きだったのに。イルカはそうじゃない。
 沈んだ気持ちでいると、イルカがいろいろ質問してきた。幽霊かと聞かれて可笑しくなった。
「違うよ」
 もっと己の事を知って欲しくて、カカシは丁寧に説明した。
 妖だと告げると目を丸くしたイルカに、「怖い?」と聞いてみたのは、もう一度あの頃に戻りたかったからだ。
「いいえ」とすぐに答えたイルカに幼い頃の面影が重なる。
 嬉しくなってイルカを抱き締めると、ふわりとイルカの体臭が香り立った。イルカの体から力は抜けて、すでに許してくれてるのを感じた。
(イルカを抱きたい)
 思いのままに行動しても、イルカは逃げなかった。唇が重なり、舌先が触れ合う。イルカの舌は甘く柔らかかった。絡め合わせると甘く鳴いて、カカシの体を熱くさせた。
 体に触れ、もっと感じさせようとすると、イルカが手を握って止めた。
「イルカ…?」
「私は…、カカシさんを好きかどうか分かりません」
 そんな可愛らしい事を言うイルカが愛しかった。
 本当に嫌なら言えば良い。「嫌い」のたった一言でカカシを追い払えるのだから。それを知っているくせに、イルカはしない。
(それって、もうスキって事でしょう?)
 ゆっくり気付いてくれれば良いと思った。今までだって充分待ったのだから。あと少し待つぐらい何ともなかった。


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