夢見る頃を過ぎても 19




「カカシ、今日は絵双六しよう」
「いいよ」
 寒さが本格的になると室内で遊んだ。イルカは外に出たそうだったが、親に止められてしまったのだ。風邪を引いては大変と、分厚い綿入れを着せられていた。
 もこもこになったイルカは、雪見障子から外を眺めて溜め息を吐いた。室内遊びに飽きてしまったのだ。
 二人でカルタ遊びをしていると、クマノがイルカを呼びに来た。
「ぼっちゃん、だんな様がお呼びですよ」
「とうちゃん?」
 並びかけていたカルタを置いて、イルカは部屋を出て行った。カカシはクマノが部屋に入る前に消えて、温石の中からその様子を見ていた。
 イルカが己と遊んでいた時より嬉しそうな気がして面白く無かった。イルカは父親が大好きで、カカシよりも父親を優先した。
 イルカが呼ばれた部屋に行くと客が来ていた。イルカの父と同じぐらいの年の男で子供を連れていた。
 こっちは体が大きく、イルカより二つ三つ年上に見えた。
 父の友人だと言う男と子供を紹介されて、イルカは戸惑っているようだったが、遊んで貰いなさいと促されて顔を輝かせた。
「あのね、カルタする?」
「カルタなんてしないよ。それより外に行こう。雪合戦しよう」
「雪合戦!」
「よろしいでしょうか? 父さん、おじさん」
「構わないが…、イルカ君に怪我させないようにな。遠くへ行ってはいけないよ」
「はい。行こう」
「うん!」
 大きな背中についてイルカは外に出た。子供はイルカに構わずどんどん歩いて行く。
「あ、あのね、あっちに原っぱがあるよ」
 雪合戦の出来るところを探していると思ったのだろう。イルカが反対側を指差した。
「そんなのするワケないだろ。大人の話に退屈してたんだよ。部屋の外に出たかっただけ」
 急に口調が変わってしまった子供にイルカが吃驚した顔をした。
「…遊ばないの?」
 返事は返ってこず、イルカがみるみる萎んだ。温石の中でカカシは腹を立てた。イルカに期待させるだけ期待させて、裏切りやがって。いっそ出て行ってボコボコにしてやろうか。
「なぁ、今日は海に大きな舟が来てるらしいぜ。行ってみよう」
「でも、とうちゃんもおじさんが遠くに行っちゃダメだって」
「うるさい。お前が黙ってれば分からないだろ」
 ずんずん歩く子供にイルカは早足で付いていった。
(もういいよ、帰ろう)
 そう言ってやりたいが、温石の中にいるカカシの声はイルカに届かない。
 海に向かって川沿いを歩き出すと、子供は自慢話を始めた。
 子供は大きな商屋の息子らしく、何不自由ない生活をしていた。
 イルカの目の前に買って貰ったと印籠を見せびらかしておいて、イルカが手を伸ばすと引っ込めた。これにはイルカも腹が立ったらしく、ぷぅと頬が膨れた。
「ぼくも宝物持ってるもん」
「ふん、しれてるだろ。子供が持つもんなんて」
「そんなことないもん!」
 そう言い返すと、イルカは懐に手を入れた。イルカが取りだしたのは温石で、カカシは胸が誇らしさでいっぱいになった。
(イルカの宝物が、オレ…)
 嬉しくて堪らなかったが、
「どうせつまらない物だろ」
「あっ!」
 イルカの手から取り上げられた温石は子供の手の中にあった。イルカが返して欲しそうに温石を見上げていた。
 子供はそんなイルカを無視して袋を開けた。
「なんだ…これ…」
 子供の手の平に出てきたのは銀色に輝く温石だ。
「銀じゃないか」
「綺麗でしょう?」
 イルカが控えめに自慢すると、子供がふんっと鼻を鳴らした。
「お前みたいなガキが持つには早すぎるな。俺が貰っといてやるよ」
「えっ?」
(何言ってんの、コイツ)
 イヤだ。絶対にイヤだった。こんなヤツの手に渡るなら本気で祟ってやっても良いぐらいだ。
「だめっ! かえして!」
「うるさいっ、離れろ」
 イルカは子供の腕にしがみ付いて揺さぶった。
「かえして! かえして!」
「しつこいなぁ。いい加減にしろ!」
 そう怒鳴られてもイルカは引かなかった。カカシも我慢の限界だった。出て行って子供をぶん殴ってやりたい。いつ飛び出そうかウズウズしていると、子供がチッと舌打ちした。
「うざいなぁ…」
「あっ!」
(あっ!)
 イルカとカカシの声が重なった。
「悪い。手が滑った」
 絶対嘘だ。子供の手から離れた温石は弧を描いて川の中に落ちた。
 ぽちゃんと水音が上がり、腹の中にあった滑石がみるみる冷えていく。
(ウソ…)
 水面の向こうで、小さなイルカの姿がゆらゆら揺れていた。遠離っていく。鉄と石で出来た温石は川底に沈んでいった。
(もう会えない…)
 突然の別れに茫然とした時、大きな水しぶきが上がった。たくさんの泡が上がり、その中から小さな手が伸びてくる。
 イルカがカカシを拾おうと必死に手を伸ばしていた。
 雪が降る寒い日に。水は凍りそうなほど冷たい筈だ。
(イルカ! やめろ!)
 川底に沈んでいた流木がイルカの顔を傷付けた。水中でぱっと血が広がり、辺りを赤く染めた。
「ひっ」
 川岸から怯えた声が上がって子供の姿が消えた。
 イルカの唇が開き、がぼりと大きな泡が溢れて水面に上っていった。イルカの体から力が抜ける。
(イルカ…!)
 カカシは無我夢中で手を伸ばして、意識を失ったイルカを抱いた。そして落ちていた温石を拾い、力いっぱい水底を蹴った。
 泳げるとは思って無かったが、なんとか水面から顔を出してイルカを岸に押し上げた。自らも上がって、鼻筋を横に裂いた傷に着物の袖を押し立てたが、着物を赤く染めただけだった。胸に耳を付けるが鼓動が弱々しい。
「イルカ! イルカ!」
 揺さぶってもイルカは目を開けなかった。唇が青く染まり、呼吸まで浅くなっていく。
「イルカ!」
 迷っている暇は無かった。カカシは持っている妖力を滑り石に集めた。カカシの体が透けていく代わりに、石は白く輝き始めた。
 イルカが飛び込むなんて思わなかった。このまま捨てられるのだと思っていた。
「ゴメン…。イルカ…」
 カカシはイルカに助けられた。
「今度はオレの命をイルカにあげるね」
 イルカの胸に石を置くとすーっと吸い込まれて行った。
 すると青ざめていたイルカの頬に赤味が差した。
「…うっ…ごほっ…ごほごほっ…」
 イルカの口から水が飛び出し、呼吸が蘇った。
「良かった…」
 カカシはイルカの頬を撫でた。
 お別れだった。しゃぼんが消えるようにぱちんとカカシの体が弾けて光の粒をまき散らした。
 イルカは探しに来た父親に連れて帰られ、力を失ったカカシは永い眠りに就いた。


text top
top