夢見る頃を過ぎても 16
第二章
一
カカシはポツンと何も無い空間にいた。そこは人間が住む現とも死後の世界とも違っていた。ただ何も無い空間。そこがカカシの住んでいた世界だった。
じっと袖に顔を埋めて、傷付いた感情が静まるのを待った。
心臓が止まると思った。イルカに邪魔だと言われた。
カカシを作ったのはイルカなのに。イルカが『カカシ』と言う名前を与え、存在を許したのだ。
そのイルカが邪魔だと言った。
もう消えたいと思った。イルカが石を砕けば、そうなるだろう。
それも良いかと思えた。否定されたまま存在し続けるのは辛い。
(こんな風になるなら目覚めなければ良かった…)
深く、深く眠っていたカカシを起こしたのはイルカだった。
カカシは温石となって初めて見た、イルカの黒い瞳を思い出した。
それは昔、カカシが温石の妖になる、もっとずっと以前の事だった。
カカシは刀の鐔(ツバ)として存在していた。鐔に名は無かったが、刀は『サクモ』と呼ばれる妖刀だった。己が意識を持ち、時には主を操って人を殺めた。
一度戦場に出れば凄まじい活躍をしたが、普段のサクモは気の優しい男だった。
銀色の長い髪を一つに括り、目の覚めたばかりの鐔に、「起きたか、ぼうず」と声を掛けた。
まだ言葉を持たない鐔に妖が何であるかを教え、鐔が作られてから百年経過した事を伝えた。
「前のヤツと違って、お前は銀製で軽いから助かるよ」
そう言って、幼い鐔の頭を撫でた。
サクモの主は名のある武将だった。妖刀として数々の武将の間を渡り歩いてきたが、彼の手元に一番長くあったようだ。
主の話をするサクモの顔は誇りに満ちていた。
彼の手に握られた時、刀身は白銀に輝いた。主はサクモを『白い牙』と呼んだ。
だがある時、主は敵の刀を避けきれず命を落とした。
妖刀は人手に渡ったが二度と輝かなかった。新たな主人の最初の一合でポキンと折れてしまった。
サクモは消え、二度と現れることはなかった。
消滅してしまったのだ。妖の魂は物に宿る。形状が壊れれば、妖もまた消滅した。
その後刀は鍛冶屋に持ち込まれたが、折れた刀身を繋ぐことは出来なかった。
刀は鍛冶屋の片隅に打ち捨てられた。埃を被り、人々から忘れられた。
(何故だ…)
鐔には信じられなかった。あれほど強かったサクモが、名も無い刀に負ける筈がなかった。
だが、一人きりになった鐔に、答えをくれる者はいなかった。
鐔の哀しみは折れた刀身を震わせた。
りーん、りーんと音を立てる刀に人々は震えた。
たくさんの血を吸ってきた刀の怨念と噂され、恐れた鍛冶屋は刀を寺に預けた。
鐔が音を立てていた事に気付いた住職は刀を解体し、刀身と柄を供養した。鐔は職人の手によって溶かされ、温石の器へと姿を変えた。
人を殺める業から解き放ち、次は人を慈しむようにと。
鐔としての形を失い、宿っていた魂は消えた。
それからまた百年。温石は様々な人の手を渡った。
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