夢見る頃を過ぎても 15
じい様と合流した後、イルカは黙って歩いた。ツミレは自分が頼んだと言っていたが、じい様に騙されたようで釈然としない。大好きな分傷付いた。
「…イルカ、怒っておるのか?」
「このような遣り様は好きではありません」
いつまでも黙っているのは大人げないと感じて返事した。
「…うむ。だがイルカは賢い子だからの。なんでも頭で考えて結論付けてしまう節がある。実際会ってみてどうじゃった? 悪いお嬢さんではなかろう?」
悪かったら問題だ。そんな最低水準で判断を求められても返事出来なかった。
「ツミレさんは商人の娘だから、しっかりしておって木の葉屋に嫁いで来て貰っても安心だと思ったんじゃ」
「……」
「良い返事をしろとは言わん。もう一度考えてみなさい」
「…はい」
有無を言わせぬ口調で言われて、頷くしかなかった。
「おかえり、イルカ」
部屋に戻る途中でミズキに会った。今日あったことを相談したいが、先にミズキが口火を切った。
「どうだった? お見合いの相手と会ってきたんだろ?」
「どうして知ってるの?」
驚いてイルカが聞き返すと、さらに驚く返事が返ってきた。
「どうしてって…、オレが会うように手配したから。大だんな様に相談されてたんだ。それにみんな知ってるよ」
「みんなって、店の者みんなってこと?」
「そうだよ。可愛かったか? 三河屋さんと言ったら大店じゃないか。良かったな、イルカ」
急に目眩を感じた。周囲から足場を固められているようで怖くなった。このお見合いは断れないんじゃないだろうか。
「良くないよ…。ミズキ…、私はまだ結婚したくないんだ…」
弱気に零したイルカの肩をミズキがばんばん叩いた。
「お前あれだろ…? 夫婦生活の心配をしてるのだろ? そんなのは何とかなるもんだよ。合巻読んで、想像がつくだろ? 大丈夫だって」
「そうじゃない…。会わなければ断れると思ったのに…。どうして余計な事したんだよ!」
「余計な事ってなんだよ。オレはお前の為を思ってしたのに」
「頼んでない! 結婚はしない。断ってきてよ!」
「ふざけるな! お前、自分がどれほど恵まれているのか考えた事あるのか?」
大喝されてビクッと震えた。ミズキが声を荒げるなんて初めてだった。
「雇われている者は番頭にならないと結婚が許されない。許されても相手は郷里の者を選ぶ決まりだ。それが里外であれば、家族に会えるのは年に一、二度しかない。だがお前は違う。一緒に暮らせて幸せだと思わないのか?」
そんなことを言われるとは思って無くて、イルカは言葉を無くした。
「それにな、お前が結婚してくれないと落ち着かないんだよ。わかってるのか? 自分の立場が。跡取りを作ってくれないと困るんだ。お前の代になって万一の事があったらどうする。跡取りがいなければ店は潰れる。店が潰れれば、多くの者が職を失う。みんな木の葉屋の為に尽くしてくれてるのに、あんまりだと思わないか? お前には嫁を貰い、跡取りの残す義務がある。それを忘れるな」
ミズキはふっと表情を緩めると、立ち尽くすイルカの肩を慰めるように叩いた。
「まあ、よく考えてみるんだな」
ぐっと掴んだ肩を軽く揺さぶってからミズキは去ったが、イルカは一歩も動けなかった。
その肩に、ずしりと責任がのし掛かる。イルカだって自分が跡取りだと忘れた日は無かった。日々木の葉屋の跡取りとして励んできたつもりだ。
だが、ミズキの言ったことを真剣に考えた事は無かった。ただ、商売について学んでいただけだった。
(カカシさん…)
耐えきれず、ぽろりと涙が零れた。
イルカには、じい様とミズキの「考えろ」は「結婚しろ」に聞こえた。
とぼとぼと部屋に戻った。カカシに相談したい。助けて欲しかった。でもカカシに話しても、また好きにしろと言われるだけだろう。
それでも結婚したくない。
はらはらと涙が零れ落ちた。もう逃れる術が思いつかない。このままいけば、ツミレと結婚するだろう。心はカカシにあるのに。
胸が裂けそうに苦しかった。
良い方法は無いのだろうか? カカシと一緒に居られて、皆も困らない方法が。
助けて、助けて、と心が悲鳴を上げた。だけど自分の部屋に近づいて、イルカは濡れた頬を拭った。
カカシには相談出来ない。それなら余計な心配は掛けたくなかった。お見合いの事も知られたくない。
「ただいま帰りました」
「おかーえり。縁日楽しかった?」
聞かれて、カカシに土産を買い忘れたのを思い出した。
「あっ、すみません。お土産を買おうと思っていたのに…、忘れてしまいました」
カカシと出掛けたいと思ったのだ。太陽の下、カカシと歩く姿を想像して涙が溢れた。
(叶わない…、望むことなんて何も…)
「どうしたの? イルカ」
突然泣き出したイルカに、カカシはオロオロした。慰めようとするが、言葉が見つからないらしい。
「訳を言って? 何があったの?」
「…っ…うぅっ…」
カカシが流れる涙を必死に拭った。優しくされて、イルカはもしかしたら、と希望を抱いた。
(カカシが解決法を見つけてくれるかも…)
「…縁日で、お見合いの相手に会ったんです。じい様も、店の者も私が結婚するのを望んでいて…、逃れられそうにないんです。結婚…、させられそうです…」
泣きながら言うと、カカシは慰めるように頬を撫でたが、辛辣な言葉を吐いた。
「そんなに悩まなくてもしたら良いじゃない」
(聞きたくない!)
イルカは音を立ててカカシの手を払った。
「でも私は結婚したくないんです!」
「なら、しなければ良いじゃない」
「そうはいかないから困ってるんです!」
どうして分かってくれないのか。どうして助けてくれないのか。
カカシはいつもイルカを突き放す。
黙り込んだイルカにカカシは溜め息を吐いた。
「もうこんな話止めよ? それより楽しい話しようよ」
カカシは何も分かって無い。イルカの苦悩を知ろうともしてくれなかった。イルカは怒りで震えた。
「勝手なこと言わないで下さい。こんな状況で楽しい話なんて出来る訳ないでしょう。もう黙ってて下さい。邪魔なんです!」
言ってからハッとなったが、飛び出した言葉は戻らなかった。
冗談を言ってはぐらかして欲しい。
そう願ったが、カカシは表情を無くして立ち尽くしていた。部屋の温度が下がって行く気がした。
「イルカはオレが邪魔? だったら、オレを消せば良いよ」
イルカの胸に近づいたカカシの手がすーっと吸い込まれた。
「カカっ…」
信じられない光景だったが、胸の中でカカシの指が動いていた。息が詰まって声が出せなくなる。
(殺されるのだろうか…?)
不思議と怖くなかった。こんな光景を何処かで見た気がした。
(でもどこでだろう…?)
呼吸を失い、目の前がチカチカした。
「この石を砕けば、オレはいなくなるよ」
(え…?)
カカシの指が引き抜かれ、その指先に白く丸い石を掴んでいた。見覚えがある。それはイルカが子供の頃に無くした温石の石だった。
(どうして…?)
どうして石がイルカの胸の中にあったのか。
聞きたいが、カカシの影が薄れていった。
「まって…」
ようやく息が吸えるようになったが、意識が遠退いていく。
ぽつりと頬に温かい水が触れた。
(カカシさん、行かないで…)
着物を掴もうとしたが、指に力が入らなかった。
次に目が覚めた時、カカシはどこにもいなくなっていた。
手元に残ったのは白い石だけだった。
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