夢見る頃を過ぎても 13
翌日、仕事を終えたイルカは、じい様の部屋に行ってお見合いを断った。
「やはり結婚する気になれない」と言うと、じい様は物言いたげな顔をしたが何も言わず、だが残念に思っているのは見て取れた。
(…はぁ)
自室へ戻りながら、大きな溜め息を吐いた。期待に応えられない自分が不甲斐ない。
しかし、いくら考えてみたところでイルカはカカシが好きだった。嫁いで来てくれる人を受け入れる隙はどこにも無い。
きっとカカシと出会っていなければ、このお見合いに頷いただろう。
どうしてこんなにカカシを好きになってしまったのか、頭を抱えたくなった。
じい様の望んだお見合いだ。イルカは頷けば、皆が幸せになれたのに。
部屋に戻るとカカシは読んでいた合巻から視線を上げた。
「おかえり、イルカ」
「……」
そんなに面白いのだろうか。
(毎日毎日飽きもしないで…)
面白く無くて、イルカはふいと視線を逸らして隣の部屋に入った。
「イルカ?」
追い掛けてくる気配があったが、イルカは知らん顔して着替えの下着を出した。風呂に入って、カカシをほったらかしにしてやろうと思った。
(カカシさんも、ちょっとは寂しい思いをすれば良いんだ)
「イルカ、どうしたの?」
「別に…。なんでもありません」
ふいに背後から抱き締められて、持っていた下着を落とした。抱き締める力は痛いぐらいで腕が軋んだ。
「い、痛いっ…、カカシさん…っ」
「イルカ、オレにつれなくしないで」
寂しげな声を聞かされて、体から力が抜けた。腕を解いて振り向けば、捨てられた犬みたいな顔をしたカカシがいた。
「…つれなくなんてしていません。ただ汗を掻いたので風呂に入って来ようと思っただけです」
「ホント?」
「ええ」
カカシは狡い。そんな顔をされては強く出られないではないか。カカシを喜ばせたくなって、イルカにとっての朗報を伝えた。
「…カカシさん、さっきお見合いを断って来ました」
興味は無いかもしれないと思ったが、意外にもカカシの顔が輝いた。
「本当に? ねぇイルカ、本当にお見合いしない?」
「はい。しません」
「やった!」と声を上げたカカシに抱き締められたが、イルカはカカシほど素直に喜べなかった。
喜んでくれたのは嬉しい。だがもうイルカは恋愛が楽しいだけのものでないのを知ってしまった。
心のすべてをカカシに預けるのは怖い。傷付きたくなかった。
その夜カカシはとても情熱的にイルカを抱いた。カカシの指と唇がイルカの体に触れてないところは無いぐらい丁寧な愛撫を施されて息が絶え絶えになった。
すっかり柔らかくなった後口に押し入られた時、イルカはそれだけで達してしまったが、カカシの勢いは止まらず、イルカは甘く啼き続けた。
二度目の情交を終えて、整わない息に胸を喘がせていると、隣に寝そべったカカシがイルカの汗を拭った。
あんなに激しく動いたのに、カカシは軽く汗を掻くだけで、息が苦しそうな気配は無かった。
「お水飲む?」
頷くと、カカシは立ち上がって隣の部屋へ行った。着物を纏わず、後ろ姿はすらりと手足が長く美しかった。思わず引き締まった尻に目が行ったが、戻って着た時は目のやり場に困ってうろうろと視線を遊ばせた。
「はい」
湯飲みが差し出され、起き上がって受け取ろうとすると、くすりと笑ったカカシが先に水を飲み干してしまった。
(なんだ…、カカシさんも喉が渇いていたのか…)
からかわれたのかと見ていると、顔を傾けたカカシが唇を重ねた。合わさった隙間から水が流れ込んでくる。吃驚しながらもこくりと喉を動かせば、また水が流れ込んだ。
そうしてカカシの口の中が空っぽになるまで水を飲んだ。
唇が離れた時、イルカは陶然となってカカシの唇を見つめた。口移しで水を飲まされたのなんて初めてだった。「美味しかった?」と聞かれて、つい頷いてしまった。
「ふふ、イルカかーわいっ」
「か、かわいくなんてありません!」
可愛いは子供に言うものだ。そんな風に言われると、未熟だと言われた気がして凹んだ。
「イルカ、オレも布団に入れて」
「あ、はい」
場所を空けるとカカシはイルカを抱いて横になった。こうして甘い時を過ごすと、イルカは自分が大事にされていると感じる事が出来た。離れたくないと思う。
ふいに気になった。
(…カカシさんは私が結婚してしまったら、どうするのだろう? 傍にいてくれるのだろうか? それとも何処かへ行ってしまう?)
今更ながら自分のことで頭がいっぱいで、カカシがどうするか考えていなかった事に気付いた。
「カ…」
思わず聞きかけたが止めた。こんなこと聞けない。せっかくの甘い雰囲気を壊したくなかった。それに、またつれないことを言われたら傷付いてしまう。
でも気になった。聞きたい。
「どうしたの?」
「…なんでも、ないです」
口篭もるイルカにカカシが半身を起こした。
「気になるよ。言って?」
「あの…、カカシさんは私が結婚したらどうするんですか? どこかへ行ってしまいますか?」
「まさか。どこへも行かないよ。言ったデショ? オレはイルカの持ち物だから、ずっと傍にいるって」
「そんな物みたいな言い方しないでください…」
カカシはつれない。どうして好きだから傍にいると言ってくれないのか。
だけど心は正直で、カカシの答えにホッとしていた。
次の日からもイルカは変わらず働き続けたが、前ほどの快活さは無くなった。どこか愁いを帯びたイルカに、体の具合を心配する者もいれば、大人になったんだと思う者もいた。
違った判断を下したのはミズキだった。
廊下を歩いていた時に呼び止められて、「相談に乗ろうか?」と声を掛けられた。
「お前、なにか悩んでるだろ?」
「悩みなんて…」
「誰にも言わないから話してみろよ」
背中をぽんぽんと叩かれて、イルカは縁側に座った。隣に並んだミズキに胸が温かくなる。
(ミズキは本当の兄やみたいだ)
子供の頃、目の前の庭で遊んで貰ったのを思い出した。幼い頃から付き合いのあるミズキだから、イルカの不安にも気付いたのだろう。
だけど、ミズキに話せる事はなかった。カカシの事は誰にも言えない。
「…で、どうしたんだ?」
「うん…。なんだか寂しくて…」
何も話さないのは悪い気がして心情だけ伝えると、ミズキがぽかんとイルカを見ていた。
「ミズキ?」
「お、お前、そんな事を人前で言うなよ…!」
「ごめん…、女々しいよね」
叱られて項垂れると、ミズキは首を横に振った。
「そうじゃなくて! お前が…だから、その…。あぁ〜!」
わしゃわしゃと金色の髪を掻き毟ったミズキが何か吹っ切れたように顔を上げると、ぽんとイルカの肩を叩いた。
「オレに任せろ」
「え?」
「いいから任せろ」
「う、うん…?」
何故か自信満々なミズキにつられて頷いた。何を任せるのか分からなかったけど、不思議と安心出来た。
「ありがとう、ミズキ」
「いや…いいんだ。それにしてもイルカ、お前大人になったって言うか、綺麗になったな」
照れ臭そうに鼻を擦るミズキに、今度はイルカの方がポカンとしてしまった。腹の底から可笑しさが込み上げてくる。
「…ぷっ…くくっ…綺麗って…、ミズキどうしたの? あははっ」
お世辞でも容姿を誉められた事が無い。イルカが声を上げて笑うとミズキも一緒になって笑った。
冗談を言って元気づけようとしてくれたのだろう。ミズキは優しい。
イルカが笑いを収めると、ミズキが思い出したように懐から合巻を出した。前に頼んでいた『戯れの楽園』の続編だった。
「ありがとう」
「それ読んで元気出せ」
「うん」
自分では読まないが、カカシが喜ぶと思うと自然と笑顔になった。
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