夢見る頃を過ぎても 11




「イールカ」
 ツンツンと頬を突かれて目が覚めた。瞼を開くとカカシはふわりと笑ってイルカを見ていた。
「朝だーよ」
「…はい」
 障子越しの光が眩しい。まだ眠り足りない気がして、ぱちぱちと瞬いた。
 昨夜もカカシと情を交わした。カカシが現れてから枕を共にしない日は無い。お陰で腰が怠い。
 まだ起きたく無くて、ぼんやり外を見ていると、カカシが先に体を起こした。
 起きたばかりでもカカシの着物に乱れはない。イルカの着物もそうだった。あんなに乱れたのに、染み一つ、皺一つ無い。
 一体どうやっているのだろう?
 たしかこの辺りと白濁を飛ばした所を見たが何も無い。洗濯を考えると有り難いが不思議でならなかった。
「…カカシさん、いつも着物どうやってるんですか?」
「イルカ、呼び捨てでいーよ。どうして起きると「さん」付けで呼ぶの? してる時は呼び捨てにするのに」
 最中の事を言われて、かぁっと頬が熱くなった。
「違います! あれは息が苦しくて、長く話せないからそうなるだけで…っ」
 がばりと起き上がると布団から抜けだした。
 閨の事を持ち出されるのは恥ずかしかった。昼間の自分とは別人だから。甘い声を上げて、人には見せられない痴態をカカシに見せた。いやらしい事もたくさんされた。
 カカシの呼び方を変えるのは、イルカなりの区切りだった。いつまでも閨の余韻を引き摺らないように。
 そうでなくても最近変だった。カカシを思うと体が疼く。
(そんなこと、カカシに言えない…)
 自分の質問には答えて貰ってないのに気付かないまま、イルカは着替えを始めた。
「イルカ、こっちへおいで」
 近寄るとカカシが帯を結んだ。
 こうしていると夫婦みたいだ。実際、仕事以外ではずっとカカシと一緒にいた。
 ずっと傍に居てくれればいいなと思う。けど…。
「…カカシさん。前に百年経つと妖になるって話してましたけど、カカシさんは百歳なんですか?」
「ううん。もっとだよ。もういくつになるのか覚えてないけど。なぜ?」
「いえ…」
 イルカは首を横に振って、カカシの問いをはぐらかした。
 先を思うと不安になった。カカシの姿は変わらない。
 いつか自分だけ老いて、カカシに見向きもされなくなるんじゃないだろうか。
 若く美しいカカシの隣で老いた自分を想像すると、この上ない不安が込み上げた。
 きっとそれは寂しい。
「イルカ?」
 急に沈んだ顔をしたイルカにカカシが首を傾げた。イルカはもう一度首を横に振って笑顔を浮かべると、顔を洗いに部屋を出た。


 水辺に人足達の活気ある声が響いた。舟から積み荷が降ろされ、蔵へ運ばれていく。
 イルカは帳簿片手に袋の数を数えながら、仕入れの確認をした。それが済むと店に回って接客をした。
 昼餉を済ませて店に戻ろうとすると、番頭がイルカを呼び止めた。
「大だんな様がお呼びですよ」
「そうかい。何のご用か聞いているかい?」
「いいえ」
 どうしたんだろうと思いながら、じい様の部屋に向かった。
「大だんな様。イルカです」
「入りなさい」
 例え家族でも仕事中は呼び方を変えていた。じい様はこの店の主である。行商からここまで商いを大きくしたじい様をイルカは尊敬していた。
 息子夫婦に先立たれ、イルカは随分可愛がられたが、ゆくゆくはこの店の跡取りとして厳しくしつけられた。
 イルカにもその心構えはある。まだずっと先のことだが。
 部屋に入ると煙草の匂いがした。じい様が火鉢の傍で煙管を咥えていた。
 てっきり仕事の話だと思ったイルカは、じい様の寛いだ様子に肩から力を抜いた。
「いかがなさいましたか?」
「うむ。そこでは寒いじゃろ。こっちに来て火鉢に当たらぬか」
「はい」
 すすすと傍に寄るとじい様が微笑んだ。子供の頃はよくじい様の部屋に遊びに来て、こうして二人で火鉢に当たった。両親に内緒であめ玉を貰った。
 その時のことを思い出してふふと笑うと、じい様がぷかりと煙を吐き出した。
「お主、いくつになるかの?」
「二十歳になります」
「そうか…。元服から二年も経つのか」
「はい」
 にこにこしながら返事すると、じいさまが火鉢の角でぽんっと煙管を叩いた。落ちた火種が赤く燃えて灰になる。
 ごほんと咳払いすると、徐に切り出した。
「イルカ、お主、三河屋のツミレさんは知っておるか?」
「名前だけは…」
 三河屋と言えば、隣町にある料亭だった。木の葉屋とも取引があり、砂糖を買って貰っていた。
 確か三人姉妹だと聞いたことがある。
「たしか末のお嬢さんがそんな名前だったような…」
「うむ。どうじゃ、イルカ。ツミレさんと見合いをしてみぬか?」
「み、見合い?」
 いきなり何を言い出すのか。思わず懐の温石に手をやった。
「見合いなど、私にはまだ早すぎます」
「早くはないぞ。お主の父親が婿入りしてきたのは十九の時じゃった」
「え、そうなんですか?」
「うむ。お主のかあさんがどうしてもと言っての。儂から見ればまだ小童じゃったが、店を守ろうと必死で働いておった」
「そうでしたか…」
 こんな時でなければ、もっとゆっくり聞きたい話であったが、混乱して頭に入ってきそうになかった。出来ればこの場を辞してゆっくり考えたかったが、じい様の話は続いた。
「家庭を持つのは良いぞ。ばあさんとの馴れ初めは話したかの?」
「ええ。何度も…」
「ばあさんとはの、橋で出会ったんじゃ」
 それからばあ様が如何にじい様を助けたかと言う話を延々聞かされた。そして最後に、
「まぁすぐに結婚しろとは言わん。会うだけ会ってみてはどうじゃ?」
 と締めくくった。
 気軽な様子でじい様は言ったが、会えば断れなくなるだろう。
「いえ、私は…」
 そこだけは譲れない。
「誰か、好いたおなごでもおるのか?」
「す、好いた人など…!」
 赤くなったイルカにじい様が「ほうっ」と感嘆を漏らした。
「いつまでも子供の様に思っておったが、そうじゃったか。相手はどこのどなたじゃ?」
「いえ、ですから、好いた人はおりません…」
 聞かれても答えられなかった。
 イルカが好きなのはカカシだが、カカシは女でなければ、人ですらない。
 じい様に会わせる事は出来なかった。
「申し訳ございません。私にはまだ結婚は考えられません。このお話は断っていただけませんか?」
「…ふむ。まあそう急いで返事せずとも暫く考えたらどうじゃ? 悪い話ではないぞ」
「…わかりました」
 断り切れずに、ただそう返事した。


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