浮空の楽園 8








第二章




 連れて行かれた先は火影の家だった。先に話が通っているのが、すぐに執務室に通された。正面の机にどっかと座った五代目に迎えられた。暗部は傍に控えたままだった。俺を見る五代目の表情が険しかった。
「イルカ、生きていたんだね。良く戻った、と言いたいところだが、悪いがお前にはこのまま検査を受けて貰う。我々は、お前を本物と認定していない。カカシが騙されている可能性があるからね」
「騙されてなんていませんよ。イルカ先生は本物です」
「いいから連れて行け」
 ドアが開いて、医療班が入ってきた。腕を掴まれ、歩くように促された。
「カカシさん…」
「大丈夫だよ、行っておいで」
 俺が心配なのは、自分の事よりカカシさんの事だった。厳しい処罰を受けないだろうか。
 だが、にっこり笑ったカカシさんを信じるしかなかった。
「行きますよ。…車いすがあった方が良いですか?」
 首を横に振って歩き出す。
「…カカシ、どういう事だ? 説明しろ」
 閉じかけたドアの隙間から聞こえて来た。



 病院で採血された後、徹底的に身体を調べられた。さらにいのいちさんが呼ばれ、頭の中を調べられた。
 全てが終わった時には歩けないほど疲弊して、結局車いすの世話になった。
 検査結果を待つ間、ずっと傍に暗部が付いていた。
 俺を他里の潜入スパイだと思っているのだろうか。里に戻ってきたが、身の置き場のない疎外感を抱いていた。
(カカシさん…)
 離れているのが寂しかった。周りの景色が色褪せて見える。時間を巻き戻したかった。あの部屋に戻りたい…。
「待たせたな。行こう」
 ぽんと肩を押されて顔を上げれば、いのいちさんが俺を見ていた。
「悪かったな、イルカ先生。もう誤解は解けたぞ。無事に帰って来てくれて良かった」
 ぐっと掴んだ肩を揺さぶられた。親しげな笑顔を向けられる。いのいちさんとは、教師だった時にお子さんを教えていたから顔見知りだった。
 いつの間にか傍にいた暗部が消えていた。いのいちさんが車いすを押して歩き出す。検査した医師も一緒だった。
 執務室のドアを開けて中に入る。
 長いすに座ったカカシさんを見つけてホッとした。
「イルカ先生!」
 車いすに乗った俺を見て、カカシさんが立ち上がった。ピリピリした空気が辺りに広がる。
「イルカ先生に何をした」
「違うんです。途中で疲れてしまって…。それだけです」
「ホントに…?」
「カカシ! そのうっとうしい気を引っ込めろ! …報告を聞こう」
 五代目が促すと、医師が応えた。
「遺伝子検査の結果、うみのイルカと判定されました。これはうみのが忍になった時に採取した遺伝子と比べているので間違いありません。事故の後遺症か、身体機能は随分落ちています。チャクラは特に問題無いようです」
「そうか。…で、そっちは?」
「はい。一部記憶の欠損が見られますが、爆発によって頭を強打したとすれば、考えられる事です。脳が強い衝撃を受け、事故の瞬間やその前後の記憶を失います。一種の記憶喪失です。ただし、過去の記憶はしっかりしていました。うちの子の授業風景もありました。これはうみのイルカ本人でなければ持ち得ない記憶です」
「…わかった。ここに居るのは、うみのイルカなんだね」
 目を閉じ、話を聞いていた火影様の気配が揺るんだ。瞼を開いた火影様に申し訳なさそうな目で見られて、誤解が解けたのを感じた。
 隣でじっと聞いていたカカシさんの気配も緩む。
「イルカ。見つけてやれなくて悪かったね。今後のことだが、まずは体を治す事に励め。様子を見て、職場への復帰も考えよう」
「はい」
「だが、」
 そこで言葉を切った五代目の表情が険しくなった。
「イルカの生存を知りながら里への報告を怠り、ましてや監禁するなど言語道断! カカシには罰を受けて貰う」
「綱手様! カカシさんは俺を助けてくれただけで…。心配だったんだと思います。カカシさんは悪くない…」
「黙れ、イルカ。本来ならお前も同罪なんだよ。悪いと思うから目を瞑るだけだ。お前にはカカシを説得する義務があったのに、何故それをしなかった」
(なぜ…?)
 何故かなんて決まっている。カカシさんと離れたくなかったからだ。里よりカカシさんを選んだ。それは里を裏切ったのと変わりなかった。
「でしたら私も罰してください。どうか、カカシさんと同じ罰を…」
 目の前が霞んで涙が流れた。
「イルカ先生」
 手の甲に触れたカカシさんの手を握り返す。
「あぁ〜、馬鹿な子だね!」
 イライラとした口調で詰られて、パチパチと瞬いた。
「二人の身柄を拘束する! イルカは三日間の入院。カカシはこのまま任務に出て貰う」
「…綱手様?」
「こっちもいろいろ事情があってね。カカシに抜けられると痛いんだよ。しばらくはバリバリ働いて貰う。その間の給料は無いと思え」
(それって…)
 減俸だけでお咎め無し、ってことで良いんだろうか?
「もう二度と同じ事を繰り返すな」
 五代目が行けと言うように手を振ると、首に絡んでいた蔦が枯れた。
 医師が車いすを押して俺を運ぶ。
「カカシさん」
「すぐに帰るから心配しないで」
 さらりと頭を撫でられて頷いた。カカシさんに心配を掛けたくなかった。
(ああ…)
 でも離れたくない。
 切られた様に胸が痛かった。


 病院では個室に入った。明日からはカリキュラムを組んで、身体能力を戻すリハビリが行われるらしい。説明を他人事のように聞き、一人きりになった病室でぼんやり外を眺めた。
 カカシさんは今頃里の外だろうか?
 つい半日前まであの部屋にいたのが、遠い昔のように思えた。
(もう戻れない…)
 寂しくて堪らなかった。カカシさんに会いたいと、体中から狂おしいほどの欲求が湧き上がった。
 ずっと胸に隠し持っていた潮の里の写真を出して眺めた。
(カカシさん…)
 この場所へ想いを飛ばす事だけが心の救いだった。


 眠れないまま朝を迎え、朝食を済ませるとトレーナーが迎えに来た。
 男で俺より少し年上に見えた。病室から部屋を移動して、広い部屋に入った。そこには絨毯の代わりにマットがしいてあり、角の無い丸いソファが置いてあった。
 他にも人がいて、歩く訓練やイスに座る練習をしていた。
「海野さん、昨日は眠れましたか?」
「…はい」
「朝食は美味しかったですか?」
「はい」
 他にもいくつか質問を受けた。カリキュラムの説明も聞いたが、心が空虚で何も届かなかった。ただ言われた通りすれば良い。そんな気持ちでいた。
「ちょっと筋肉の具合を見たいので、寝転がって貰って良いですか?」
「はい」
 仰向きに寝て、トレーナーのするまま任せた。カカシさんがしてくれてたみたいに腕や足の関節を曲げられる。
「うん、悪くないですね。訓練すれば、元のように動けるようになりますよ」
「そうですか…」
「ええ。使ってなかった分、筋肉や関節が退化してしまったんでしょう。これは訓練次第で回復します。海野さん、爆発に巻き込まれたんですよね? 傷とかあまり残ってないですか、骨折は? 発見された時はどんな状態だったんですか?」
「…それが良く覚えてなくて…。たぶん炎に包まれたと思うんですけど…。赤い夢を良く見たんです。わっと炎に囲まれるみたいな感じで赤い色が迫って…」
「今でもその夢を見ますか?」
「…いえ」
 いつの頃からか、あの夢を見なくなっていた。
「見ていません」
「そうですか。次は僕の手のひらにチャクラを流して貰えます? …はい、結構です。ではストレッチをして、それから歩行訓練をしましょう。あと階段の上り下りもですね」
 淡々と言われた事をこなした。歩行は軽く足を引き摺るものの歩けたから、階段の上り下りが訓練の中心になった。
 まずは一段だけの台に乗ってみるように言われてやろうとするが、どうしても足が持ち上がらない。歩くことの延長だと思うのに、『登ろう』と思うと足が止まった。
「…もしかして、何か術が掛けられてるって事はないですよね?」
「それは無いと思います。昨日散々調べられましたから」
 チラリとカカシさんの姿が頭の中を過ぎったが、階段どころか部屋すら出られなかったのだから、そんな必要なかった。
「ふむ…。じゃあ練習するしかないですね」
 体を支えられながら、何度も足の上げ下げを繰り返して、体重の移動を覚えた。
 それは思いのほか重労働で、空調の効いた部屋で汗を掻き、呼吸を乱した。
「海野さんは我慢強いですね。短気な方だと、出来ない事に腹を立てて五分で帰っちゃう人もいるんですけど。はい。今日の訓練はここまでです」
「え…、午後は…?」
「午後の時間は好きに使っていいですよ。あ、お風呂の時間は看護師さんに確認してくださいね」
 再び病室まで連れられ、ベッドに体を横たえた。
「明日の朝、また迎えに来ますので」
「ありがとうございました」
 あっと言う間に時間が過ぎていた。否応なく非現実的だったあの部屋から、日常に戻ろうとしていた。




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