浮空の楽園 16
四
俺はこの場所で書庫整理の仕事を与えられた。大きな机が運び込まれ、そこで古くなり、文字が掠れた巻物を新しい巻物に写し取った。
万一術が発動した時の為に、作業中は部屋に結界が張られた。外に出られない俺にぴったりの仕事だった。
一日中巻物を写し取ったが、時折息抜きに窓の外を眺めた。小さい窓からは家の前を行き交う人は見えず、遠くの景色しか見えなかった。
この窓は大切な巻物を侵入者から守ったが、同時に中の人間を閉じ込めた。
この家を設計した人は、部屋がこんな風に使われるのを想像しただろうか。
結界が揺らいで、ソファに戻った。筆に墨を付け、白い紙の上に下ろす。
「どうだい、進んでるかい?」
「はい」
階段を上ってきたのは五代目だった。食事のトレイを手にしているのを見て筆を置いた。
「わざわざすみません」
「ああ、いいんだよ。あまり根を詰めなくて良いからね。ゆっくりやればいいんだよ。冷めない内にお食べ」
「はい。ありがとうございます」
本当はこの仕事が必要なのか疑問に思った。俺を使うなら、もっと有意義な使い方があるだろう。分解して、細胞を調べてみたい医療忍はたくさんいるはずだ。
ここに閉じ込められ、そういった好奇の目に晒されないで済むのは感謝すべきだろうか。
俺にメシを与えるのは、いつか来るそういった日にとっておく為だろうか。
「…ゆっくりしていいと言ったが、ここが終わったら私の書類の整理を手伝っておくれ。シズネもいるが、あの子には外に出掛けて貰う用事が多いからね。里の内情に詳しい者が傍にいてくれると有り難い」
「…はい」
俺は自分の思考を恥じた。なんて醜い考え方をしたのだろう。五代目は恩情溢れる優しい方なのに。
「五代目、ありがとうございます」
「なんだい、急に改まって。おかしな子だね」
「いえ…」
まだ俺を人間扱いしてくれるのが有り難かった。今の火影が綱手様でなければ、俺はもうこの世に存在していなかったかもしれない。三代目も四代目もお優しい人だったが…、また火影が変われば、この先どうなるか分からなかった。
「…五代目、カカシさんはどうしていますか?」
「ああ? アイツならまだ地下牢だよ」
「そうですか…。ちゃんとご飯は食べていますか?」
「ああ。カカシは繊細そうに見えて、不貞不貞しいからな。……」
五代目が何か言葉を飲み込んだのに気付いたが、俺は聞き返さなかった。
きっとカカシさんを忘れろとか、そう言ったことを言いたかったのだろう。
「ごちそうさまでした。あの…、よろしければ自分で運びますので…」
「これぐらい良いんだよ。気にするな」
「…はい」
たぶん、俺が何も言わないのが一番迷惑を掛けない。
書類を書き写すついでに、年代別、目的別に分類していった。その方が後から探しやすいだろう。
これは五代目に誉めて貰えた。ついでに、もっと一般的に使えそうな術があれば、選出しておくように言われた。
任される仕事が増えると、不思議とやる気も出てきた。自分がこのままで良いのかさえも確かじゃないのに。俺には生きる目的がなかった。
そもそも『生きる』に当て嵌まるのか…。生物として存在が許されているのかすら答えが見つからない。
(神様的にはアウトだろうな…)
じゃあやっぱり『生きている』とは言えないだろうか。
巻物を書き写しながら、そんなことを考えた。
食事は日に三度運ばれた。五代目が持って来てくれる時もあれば、シズネさんが運んでくれる日もあった。あとたまに暗部。
俺が会えるのは、ごく限られた人だけだった。
「……カカシさんは元気にしていますか?」
その日、食事を運んでくれた五代目の眉間に皺が寄るのを見て、あっと小さくなった。
「お前…、いつまでそれを聞くつもりかい?」
「すみません、なんかクセで…。カカシさんが居ない時は毎日聞いていたものだから気になって…」
「毎日…?」
「あっ! …なんでもないです」
任務先からこっそり影を送っていたなんて知れたら、カカシさんが怒られるかもしれない。
ますます小さくなった俺に五代目は溜め息を吐いた。
「元気にしてるよ。…アイツを牢に閉じ込めてから三週間か。そろそろ出してやるか…」
考える五代目に、そうして上げて欲しいと願った。長くいるとカカシさんが体を壊してしまうかもしれない。
「…ま、もうしばらくはいいだろう」
結論を出した五代目にがっかりしたが、
「…カカシの事は心配しないでいいよ」
そう言われてしまうと、俺には関係無いと言われた気がして何も言えなかった。
カカシさんの事を聞きそうになると、五代目の眉間の皺を思い出して、あまり口にしなくなった。俺の存在がカカシさんの立場を悪くしたら嫌だ。
淡々と仕事をこなして、日々を過ごす。
だが俺が聞かないと、誰もカカシさんのことを教えてくれなかった。
カカシさんがどうしているのか、すごく知りたい。
一月過ぎた頃、ついに我慢が出来ず、五代目に聞いた。機嫌が良さそうだったから、聞いても大丈夫だと思った。
「あの…カカシさんですが、その後どうしていますか…?」
「カカシなら先々週ぐらいに牢から出したよ。任務も溜まって来てたしね」
「そうですか…」
(先々週…)
「安心したかい?」
「……」
聞いてきた五代目に返事が出来なかった。
「お前…、もしかしてカカシが来るのを待っていたのかい?」
急いで首を横に振った。待ってなどいない。待ってなど…。
だが、目が熱くなって視界が滲んだ。
(きっと任務が忙しいんだ…)
自分を慰める言葉が心に浮かんで、瞼をきつく閉じた。
「馬鹿な子だね。泣きたければ泣けば良いんだよ。この部屋で我慢する必要なんてないだろう?」
(そうだ。誰も見ていなのと同じだ。俺が泣いたって誰にも伝わらない)
「…ぅっ…」
それでも声を殺した。涙が溢れるのは堪えられなかったが。
「本当にカカシが好きだったんだね」
五代目は俺が泣く間、何故か傍にいてくれた。特に慰める訳でもなく、ただ静かに。
「人の想いは変えられないよ」
ようやく俺が泣き止んだとき、五代目が話してくれた。昔好きだった人の事を。
「目の前で傷付いているその人を助けられなかった。医療忍者だったのにね…。以来忘れたことはないよ。…まあ私はモテたからね! ずっと独りでいるのも難しかったけど。相手が彼以上の人ってのも、なかなかいなかったのもあるけどね!」
しんみりした空気を吹き飛ばすように五代目は笑った。
「…五代目、ありがとうございます」
慰めてくれただろう五代目に礼を言った。
「いや、なに、いいんだよ! それじゃあ私は行くね」
そそくさと立ち上がり、五代目は階段を下りていった。
五代目はいい人だ。そして、強い。
俺もいつか、あんな風に笑える日が来るだろうか。
← →