浮空の楽園 14
火影様の執務室に連れて行かれた。席は不在で、この時間なら五代目は受付所にいるから、誰か呼びに行ってるのだろう。
空のイスを見て、数ヶ月前にも同じ様な目に遭ったのを思い出していた。
(縁があるな…)
五代目の怖い顔を思い出してげんなりした。今回ばかりは俺は悪くないのに。
バンと大きな音がして、執務室のドアが開いた。苛立った気配を纏い、五代目が入ってきた。
「どうなっている」
どっかとイスに腰を下ろして、俺達を見比べた。
「五代目…」
男からホッとした気配がした。演技なら大したものだと感心する。
「状況を報告しろ」
暗部から報告が始まった。続いて俺が男を発見した状況を話した。暗部に続いて話を聞いて貰えた事にホッとした。信用されていると感じられた。
「…それで、お前は?」
五代目の目が男に向けられた。
「綱手様、私はイルカです。花の国に巻物を届けた帰りに、他里の戦闘に巻き込まれました。すぐ近くで爆発が起こり、頭を打ったようで記憶を無くしました。どこへ行けば良いのか分からず彷徨っている所を旅芸人に助けられました。民間人の恰好をしていたので、そのまま連れて行かれ、一緒に旅をしました。あちこちに旅をすれば、私を知るものが現れるかもしれないと考えたからです。結果的には自分で思い出せたので、里へ帰ってきましたが…。綱手様、どうか信じて下さい。私がイルカなんです」
男と五代目が見つめ合う。先に視線を逸らしたのは五代目だった。
「私には、どっちが本物かなんて見分けがつかないよ。事故当時の言い分は二人とも大差ない。これまでの状況を考えたら、こっちのイルカが本物だと思うのが妥当だろう」
俺を見た五代目にうんうん頷き返した。
「そんな…! この男はどうしてここに…。いつからいるんですか?」
「こっちは事故後にカカシが見つけて来たイルカだよ」
五代目の言葉に、男はショックを隠せないでいた。
「そんな筈ありません! カカシが俺を間違えるなんて…。カカシを…はたけカカシを呼んで下さい。会えば絶対分かる筈です」
(会えば分かるって…)
男の言い分に呆れてしまった。カカシさんは俺をイルカだと認めているのに。もっともニセモノなんて現れたことないから、比べられたこともないけど。男は他に意図があるのだろうか?
「お前…、最初からカカシさんが目当てなんじゃないか? 危害を加えようって魂胆じゃ…」
「違う! そんなんじゃない。俺はただ…」
それっきり黙ってしまった男の唇が震えた。泣き出すのを耐えるように。男が俯いたまま言った。
「…お願いです。カカシを呼んで下さい。彼が俺を見て、違うと言うなら、諦めますから…」
『諦める』なんておかしい。そもそも別の人間なのだから。
男の必死さに、部屋の中が異様な空気に包まれた。何が起こっているのか説明出来る者は誰もいなかった。
沈黙を破ったのは五代目だった。
「誰かカカシを呼んでこい。カカシはどうしてる?」
「カカシさんなら家にいると思います。今日は休みで、忍具の手入れをするって言ってたから…」
俺の言葉を受けて、暗部が一人消えた。
男がハッと顔を上げた。信じられないものを見る目で俺を見る。
「一緒に住んでるのか…?」
「当たり前だろう」
それ以上余計な事は言わなかったが、そんなことも知らないのかと思った。俺達は同棲を隠してなかったから、ちょっと調べれば分かることだ。
(変化して潜入するなら、それぐらい知ってて当然なのに)
この男の言動はおかしかった。行動が忍のセオリーに反する。俺なら見つかった時点で逃げるだろう。変化した当人に会うなんて間抜けすぎる。それを火影の前まで来るなんて。
余程根性が据わっているのか、それとも…。
どちらにしても、目的が不透明過ぎた。カカシさんが来れば、問題が解決しないでも、一つの道筋が出来るだろう。
俺を本物だと言って貰い、その後でこの男を調べれば良いだけだ。
早くカカシさんに来て欲しかった。いつもみたいに「大丈夫だよ」と言って欲しい。カカシさんがそう言ってくれると安心出来た。男の視線は俺を不安にさせる。哀しみの混じった目で俺を見るのは止めて欲しい。
(カカシさん…早く…)
ノックの音が聞こえて、扉が開いた。
「はたけカカシを連れて来ました」
「あのー今日は休みの筈だったんですけど…、どうかしましたか?」
呑気な声に笑いそうになりながら振り返った。
「カカシさん」
「カカシ!」
男も。
カカシさんの視線が男に釘付けになった。心臓が止まったみたいに男を凝視して、掛けだした。
「イルカ!」
目の前でカカシさんが男を抱擁して、何が起こっているのか分からなくなった。
(え? どうして…?)
同じ言葉がグルグル駆け巡る。
(どうして? カカシさん、どうして…?)
どうしてその男を抱き締めるのだろう?
「絶対に死んでないって信じてた!」
どうしてそんなに強く。
「もっと良く顔を見せて」
どうしてそんなに愛しげに…。
男がホッとした顔を見せた。
「良かった。分かってくれると思ってました」
腕を縛られていたから、男は顎をカカシの肩に乗せて強く引いた。
カカシさんが男の背骨を砕く勢いで抱き返した。
(カカシさん…)
もし、これが夢なら醒めて欲しい。これ以上の悪夢なんてなかった。
「おい、カカシ! そっちは後から現れた方だぞ! お前が連れて帰って来た方がこっちだ」
五代目の声が遠く聞こえた。
男の視線が俺に向けられた。そしてカカシさんの目も。
足下から地面が崩れた気がした。他人に向けるような一線を引いた冷たい視線。
「このイルカは…、イルカ先生は違うんです…」
「違うってどういう意味だ? 説明しろ、カカシ!」
もう何も聞きたくなかった。
「これは、オレが作ったクローンです」
話を聞いていた男が、――本物のイルカが目を見開いた。
「クローンって、お前、分かって言ってるのか?」
「はい。家にあったイルカの細胞から、オレが作りました」
「この…ッ! それは禁忌だろう! 人の命をなんだと思ってるんだい!」
大股に近づいた五代目が、抱き合っていた二人を引き離して、カカシさんの頬を殴りつけた。怪力で知られている五代目に殴られて、カカシさんの体が床にたたき付けられた。その胸ぐらを掴み、もう一度殴ろうとするのを見て、二人の間に割り込んだ。
「止めて下さい! カカシさんに酷い事しないで…!」
「イルカ、お前…」
「ぅっ…うぅっ…」
涙が止まらなかった。カカシさんの胸の上にポタポタ涙が零れ落ちて染みを作った。
「カカシ、さん…」
違うと言って欲しかった。間違えたと。怒らないから、俺がクローンじゃないと言って欲しい。
「ゴメン…」
そう言ったきり、カカシさんは俺から視線を逸らした。
「…まったく、天才ってのは馬鹿な事をするね。医療班を呼べ! 二人のイルカを徹底して調べるんだ。カカシは地下牢にでも閉じ込めとけ!」
「五代目!」
抗議しようとしたけど、五代目が俺に向けたのは哀れみの視線だった。
腕を掴んで立ち上がらされる。手首を縛っていた縄が切られた。
「心配しないでいいよ」
五代目はただそれだけ俺に言った。
(心配…?)
これ以上悪いことなんて、そうそう無いのに。
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