浮空の楽園 12
第三章
一
久しぶりの職場は敷居が高くて、受付所へ向かう足取りが重くなった。
(俺、やっていけるかな…)
なんだかんだで一年以上ブランクがある。不安が入り交じったまま横開きのドアを開けて、一斉に向けられた視線に小さくなった。
「…あ、久しぶり。またいっしょに仕事…」
「久しぶりじゃねーよー!」
「お前は水くさいヤツだな! 帰ってきてから一度も顔出さないで…」
「すまん」
「生きてて良かったな!」
わっと囲まれて、揉みくちゃにされて、生還を喜んで貰えた。赤く潤んだ視線を向けられると、俺までウルウルしてしまい、無事に戻って来られて良かったと思った。
「とっくに始業時間は過ぎてるんだよ。とっとと席に着きな!」
五代目に一喝されて首を竦めた。わたわたと席に着き、これだけは言っておかねばと頭を下げた。
「皆さん、よろしくお願いします」
パチパチと控えめな拍手が上がって照れ臭くなった。みんな暖かくて良い人ばかりだ。
(戻って来れて良かった)
素直にそう思えた。
午前中は任務依頼で人が多く、忙しかった。五代目は復職したばかりだから無理しなくて良いと言ってくれたが、処理していく内に感覚を取り戻して、スムーズに受付出来るようになった。
昼になり、交代で食事に出た。誘われて食堂に行き、そこでアカデミーの同僚に会った。
「イルカー!」
ガバッと抱き付かれ、声を上げて笑った。
「お前、心配掛けやがって!」
「ごめん」
「ごめんじゃねーよ。俺なんか毎日慰霊碑に花を持って行ってたんだぞ」
「そうなのか? ありがとう」
「ありがとうって言われるのも変な感じだな…。まあ元気そうで良かったよ。…お前、若返ったぐらいなんじゃないか?」
「そんなワケあるか」
頬を摘まれそうになって逃げた。
「イルカって不死身だな」
「お守りに髪くれよ」
「嫌だよ」
冗談を言って笑い合う。変わらない仲間に安堵した。
定食を頼んでイスに座ると、事故の話を聞かれた。
「はたけ上忍に保護されてたんだってな。動かせないぐらい重傷だったって聞いたぞ」
「う、うん」
(そう言う話になってるんだ…)
まさか見つからないように隠れてたとは言えないから、適当に相槌を打った。
「後遺症は無いのか?」
「うん。リハビリを受けて、もうなんとも無いよ」
「良かったな。…すまん、アカデミーに置いてあったお前の荷物、処分したぞ」
「あ、ああ。仕方ないよ」
(なに置いてたっけ?)
これと言って気に掛かる物が無いから、大した物は置いてなかったのだろう。
「今日から受付任務なんだってな。アカデミーにも、戻って来るのか?」
「いや…、そっちは何も言われてない」
「そうか…。良かったら、卒業式だけでも顔を出せよ。みんな会いたがってたぞ」
「ありがとう。そうするよ」
(そうか…。俺が受け持っていた子供達は今年卒業するのか)
この一年間は新たな担任がついたから、問題無く成長してくれただろう。
「イルカ先生」
「えっ」
ここにいるはずの無い人に名前を呼ばれて、吃驚しながら振り返った。
カカシさんがちゃんと忍服を着て、俺の座ったイスの背に手を置いて立っていた。
「はたけ上忍!」
同僚達の和んでいた空気がぴしっと締まった。そわそわとした視線が俺とカカシさんに向けられる。
「どうしたんですか? 今日は休みじゃ…。もう任務が入ったんですか?」
寂しくなったが、カカシさんはにっこり笑って否定した。
「ううん。疲れてないか見に来ちゃった」
「大丈夫です。もう仕事にも慣れました」
「そう。あまり無茶しないでね」
カカシさんの目が優しく撓む。それからみんなの方を向いて言った。
「イルカ先生の事よろしくお願いします。まだ本調子じゃないから、迷惑掛けるかもしれないケド」
同僚達が一斉に色めき立ち、勢い良く立ち上がって両手を左右に振った。
「いいえ! 大丈夫です!」
「無理しないように見張ってますから!」
「任せてください!」
頬が紅潮して、視線がカカシさんへの好意に溢れていた。なんだか面白く無い気持ちになる。
「…カカシさん。カカシさんもご飯食べて行きませんか?」
声を掛けて、視線を俺の方に戻したが、
「ううん、もう行くね。また夕方迎えに来るから」
「…はい…」
ぎゅっと肩に触れてから、カカシさんは行ってしまった。背中を見送っていると、感嘆の声が聞こえてくる。
「はぁー、カッコ良いなぁ…」
「おれも心配されてぇー」
(なんだと!)
思わず眉間に皺を寄せて同僚を見るが、それを見ていた別の同僚に笑われた。
「そんな顔しなくても、カカシ上忍が他のヤツに靡いたりしないよ」
「そうそう」
なあ、と頷き会う同僚達に、小首を傾げた。
「お前が帰って来ないって分かった時、はたけ上忍すっげー心配して…。見ていられなかったんだぞ」
「お前と付き合ってるのは知ってたけど、いまいち想像出来なくて…。でもあの様子見て納得出来た」
「…うん。必死で探してた。このまま見つからなかったら、この人、気が狂っちゃうんじゃないかと思った」
「オレも思った」
口々に言う同僚達に、しんみりした空気が流れた。
(そうか…)
目覚めてからのカカシさんの様子を思い出していた。たぶん、おかしくなりかけていたんだろう。俺を失うのを恐れるあまり、保護欲が強くなっていた。
でも、いっしょに暮らす内に気持ちが安定していったのだろう。本来のカカシさんに戻ったから、今の生活がある。
それを心の何処かで寂しいと思う俺の方が今はおかしい。
この気持ちも、今の生活を続けている内に薄れるのだろうか。
それが良いのか悪いのか、答えが出ない。
夕暮れになって、迎えに来てくれたカカシさんといっしょに帰った。歩きながら、今日あった出来事をカカシさんに話す。
沈んでいく夕日が、カカシさんの銀髪をオレンジ色に染めていた。
(ああ、綺麗だな…)
外にいるから見られる景色だった。こっちも悪くない。
(…薄れるより、良いことがたくさん積み重なっていくと良いな)
そしたら寂しさなんて感じないだろう。
一つの方向が見えて、すっきりした気持ちになった。
「どうしたの? イルカ先生」
顔が笑っていたらしい。カカシさんが俺を見て首を傾げていた。視線が合って、幸せな気持ちになる。
(ああ、そうか…)
きっと俺はどこにいても、カカシさんの傍なら幸せになれる。良いことが、たくさん積み重なって行く。
「カカシさんと一緒にいられて良かったです。俺はカカシさんといると、とっても幸せな気持ちになります」
臆面無く言ってのけると、珍しくカカシさんが照れた顔をした。
「どうしたの、急に…」
「急じゃありません。今日はずっとそのことを考えていました」
「そうなの?」
「はい」
自信を持って頷くと、カカシさんが俺の手を握った。
(ほら、また…)
幸せな気持ちになって笑顔が浮かんだ。ぎゅっと強く握られた手を、同じぐらいの強さで握り返した。
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