時を重ねた夢を見る 8





久しぶりに見た彼女は緊張しているのかどこかよそよそしく、遠い人のように思えた。実際別れてからは一度も会うことがなく、上忍である彼女との接点はもともと無いに等しいので今となっては遠い人に変わりないのだが。

「・・どうしたんですか?」

 日の光を背に立ち尽くす彼女に首を傾げた。尋ねてくる理由が思い当たらない。

「アカデミーで貴方が急に休んだって聞いたから・・、それで・・」

 ああ、と合点がいった。一人身だと話していたから心配して来てくれたのだろう。

 ――だけど俺は一人じゃない。

 誇らしい気持ちと申し訳ない気持ちが同時に湧いて鼻を掻いた。

 なんて言おう・・。カカシさんのことを。

「ありがとうございます。だけど俺――」
「ずっと・・!」

 言いかけた言葉を彼女が遮った。

「貴方に謝ろうと思っていたの。長期の任務に出ていて、帰ったら謝ろうって・・、私、貴方に酷いことを・・」

 その酷いこと、を思い出しても不思議と心に痛みは無かった。あんなに悲しかったのにその痛みを思い出せない。

 カカシさんが癒してくれたから。

 そう思うと彼女に対してやさしい気持ちになれた。

「もういいんです。俺、怒ってません。だから・・・俺のことはもう気にしないで・・」
「違うの!イルカ、私・・・」

 カコーンと風呂場から音が響いた。カカシさんがまたなにか落っことしたなとくすぐったくなる。何かを言いかけていた彼女がはっと固まり俺を仰ぎ見た。

「誰かいるの?・・恋人?」

 その言葉を聞いた瞬間、華やかなチャクラが駄々漏れになった。

 そうなんだ!そうなんだ!すっごい素敵な恋人が出来たんだ!

 自慢したくて誰彼構わず聞いてもらいたい、そんな衝動に駆られるがそれを彼女に自慢するのは違うような気がした。それでぐっと堪えたが喜びが溢れ出るのは抑えられない。
 だけど、視線を落とした彼女が怪訝そうにこっちを見上げたとき、浮かれた心は凍りついた。

「男の人?」

 彼女が見ていたもの、――足元に散乱した2足のサンダルはどちらも同じ大きさをしていた。
彼女の目に浮かぶ疑惑とその奥に僅かに見え隠れする侮蔑の色に心が冷えた。
 俺たちのような関係を嫌う人もいる。彼女もそうなのかもしれない。
 俺はどんな風に見られたって構わない。侮蔑も嘲笑も今更だ。

 だけど、カカシさんは?

 耐えられないと思った。俺のせいでカカシさんが軽蔑されたりそんな視線を向けられるのは嫌だった。

「ち、・・違う・・、恋人なんかじゃ・・、彼は・・ともだち・・・」

 ダンッと強く壁を叩く音に、俺も彼女も驚いて飛び上がった。振り返ればいつの間に上がったのか肩にバスタオルをかけたカカシさんが壁に手を付いて立っていた。

「あ・・くっ」

 怒気を露にしたカカシさんの一瞥に息を飲む。何も言えないでいるとカカシさんは俺に背を向け居間に向かった。箪笥を開ける音がして、ばさっとカカシさんが服を放り投げた。
 一着だけじゃなくて何着も。
 唯ならぬ気配を感じて居間に戻った。

「カカシさん・・?」

 服を出し終えると今度はタオルや脚絆を集めて回る。それらはすべてカカシさんが俺の家に持ち込んだものばかりだった。

「カカシさん、任務ですか・・?」

 とてもそんな感じじゃなかったけど、僅かな望みをかけて聞いた。カカシさんはそれに答えず、今度は押入れからリュックを出すとその中に集めた物を詰めだした。

 一体なにが起こっているのだろう・・?

 目の前で起こっていることを脳が理解するのを拒絶する。怖い。服を詰めていた手が俺とお揃いで買ったトレーナーに触れて、脇へやった。

「カカシさん・・っ」

 みっともなく震えた声にようやくカカシさんが応えた。

「出て行きます」
「どうして?嫌だ・・いや・・・嫌!!」

 腕に縋りつくと振り払われた。よろけながらも手を伸ばすと今度は髪を引っ張られる。

「・・・・・オレ以外の人の前で髪を下ろすなって言ったよね」
「あっ!ごめんなさいっ、もう2度としないから・・っ」

 突き放されて尻餅を着く。リュックを手に立ち上がったカカシさんのリュックにしがみ付いた。瞬く間に涙が溢れて前が見えなくなる。ぼろぼろ泣きながらもカカシさんのリュックだけは放すまいと体重を掛けると、それはあっさりカカシさんの手から離れた。カカシさんが溜息を零した。

「・・・捨ててください」
「あっ」

 心臓が止まりそうだった。振り返りもせずカカシさんが部屋から出て行く。カカシさんの荷物を抱えて、ひーひー泣きながらその背中を見ていた。

 捨てられたのは、俺だ。

「待って・・、カカシさん、待って・・っ」

 抱えていた荷物を放り出し、玄関から消えたカカシさんを追いかけた。玄関から飛び出す瞬間、何かが腕を引っかいたが構ってられなかった。腕なんか千切れたっていい。だけどカカシさんがいなくなるのは耐えられない。
 廊下の先にカカシさんの姿はない。慌てて階段を駆け下りるとその下にいたカカシさんの背中にしがみ付いた。

「ごめんなさい・・カカシさんっ・・カカ、シさ・・っ」

 後は言葉にならず泣きじゃくる。広い背中に顔をうずめて泣いていると、カカシさんが抱きしめていた俺の腕を解いて振り返った。
 その目に先程までの怒気は無い。ただ、淋しそうに俺のことを見つめた。

「・・もういいよ、イルカ先生」

 許してもらえたのかと思って、現金にもすぐに心が浮き足立った。

「オレのことは気にしなくていーよ。・・・もう彼女と喧嘩しないようにね」

 俺の両手を離してカカシさんが背を向ける。

 ――どうして?

 強い哀しみに心も体も上手く機能しなかった。
 遠ざかる背中をとぼとぼ追いかける。

「いかないで・・、行ったらやだ・・・」

 絶対俺の声が届いてるはずなのに、カカシさんは振り向かない。さっきまであんなに優しかったカカシさんが、もう俺を見ない。
 体中を切り裂く痛みに上手く息も吐けない。

 ――どうして?
 ――どうして?

 何が悪かったのか。 

 俺が恋人じゃないって言ったから?
 俺が友達って言ったから?

 そんなの本気じゃないのに!

 ぼろぼろ溢れた涙がカカシさんの後姿を見えなくする。

「かかし・・さん・・」

『他の人の前で服脱いだりしないで。髪も下ろさないで』

 優しく、甘く、カカシさんが言った言葉を思い出してまた涙が溢れた。

「うぅ・・っ・・かかしさん・・」

 酷く怒っていた。
 うっかり髪を下ろしたままにしてたから。 

 そのせいでカカシさんに嫌われてしまった・・。

 肩に掛かった髪をぎゅっと掴んだ。

 こんなものがあるからカカシさんに嫌われた。

 だったら、無くしてしまえ。

 カカシさんに嫌われる原因になるものなんて、いらない。

 腰に隠していたクナイを抜いて掴んでいた髪の内側に当てた。
 途端に金属のような音が辺りに響く。

「やめてっ、イルカ!だめー!!」

 一瞬のことで何が起こったのか分からなかった。
 目の前にさっきまで遠くにいたカカシさんがいた。遅れてクナイを持っていた手が痺れて、ビィーンと板に刺さったクナイの揺れる音が聞こえた。手の中のクナイが無くなっている。

「なにやってるんですか!アナタは!!」

 さっきよりもずっと怖い顔でカカシさんが怒鳴った。

「え・・かみが・・・」

 邪魔だったから、そう言いたいけど、怒っているカカシさんを前になにも言えなくなった。叩かれた手が痛い。

「うっ、・・うっぅ・・ふぇ・・っ」

 何をしても怒られる。
 何をしてもカカシさんに嫌われてしまう。

 耐えられない。

 そう思った瞬間、意識が途切れた。



text top
top