時を重ねた夢を見る 2





「ね、後でコレ飲まない?」

 皿を洗いながら振り返ると、カカシ先生が酒瓶を振っている。

「目ざといですね」
「うん、実はさっき料理作ってるときから気になってて」
「いいですよ。ここ片付けてますから、カカシ先生――」

 先にどうぞ、と続けようとした言葉は、「やった」と喜ぶカカシ先生に掻き消された。

「じゃあ、つまみ作りますよ。まだ少しぐらいなら食べれるデショ?」

 ね?と伺うように首を傾げるカカシ先生に頷き返して蛇口を捻った。

(・・・なんかヤバいかも・・・)

 気づかうように接してくるカカシ先生に心が揺らぐ。居心地が良くて困る。いや、困ることは無いのだろうが、――それに慣れたくない。今日だけなのだから。
 たまたま帰り際に出会って、たまたま振られた日が今日で、たまたまご飯を一緒に食べることになって、必然なんて何一つない。きっと、こんな日はもう来ない。

(だいたい振られたばかりで、まだ一日も経ってないのに揺らいでどーする。きっと、振られたばかりで寂しいからだ。)

 だから揺らぐな、と言い聞かせて、流れ出る水を止めた。


「え、三週間?」
「はい、三週間で振られちゃいました」
「ふーん・・」
「なんですか?短いとか思ってますか?やっぱ短いですか?三週間って付き合ったうちに入らないんですか?」
「もー・・イルカセンセ飲みすぎ。そーんなこと言ってないでしょ?」
「・・彼女が・・」
「ん?」
「・・・彼女が言ってました。別に付き合ってたわけじゃないし・・・って。でも付き合おうって言ってくれたのになぁ・・・。なにが駄目だったんだろう・・・って駄目なとこばっかだったんでしょうねー・・。彼女ね、上忍だったんです。へへ、俺にはもったいないでしょう?年上でしっかりしてて、強くて、一緒に居てて安らぐっていうかそんな感じの人だったんですけど、向こうはそうじゃなかったんですね。俺・・何してんだろ。初めて好きって言って貰えたのに・・・」

 子供らの話をしていたのに、盃を重ねるうち気づけば自分の話ばかりしていた。カカシ先生が黙って聞いてくれるのをいいことに延々と。

「・・・イルカセンセ、泣いてるの?」
「泣いてません」
「そう?」

 こぷこぷと注がれる酒に唇を寄せて、盃を煽った。ぷはっと熱い息を吐く頃にはカカシ先生も手酌で盃を満たしている。

「あ・・なんかスイマセン・・さっきから俺、注いでもらってばかりで・・・」
「いーよ、そんなの気にしなくて。飲んでばかりだと体に悪いから、つまみも食べてね」
「はい・・・」

 頷いた拍子に、がくんとキた。思ったよりも酒を過ごしているらしい。

(でも自分の家だし、まあいいか・・・。)

 普通に座ってるのが辛くなって、壁に凭れかかると、カカシ先生がつまみを持って移動してきた。トンと床に皿を置くと横に並んで壁に凭れ、肩膝を立てると顎を乗せた。動作の柔らかい、猫みたいな仕草だった。

「イルカセンセ、もう酔った?」
「まだ酔ってません・・・、まだ大丈夫です」

 塩揉みされたキュウリをしゃりしゃりとゆっくり食べた。まだ、お開きにしたくない。だけど、明日のことも気にかかる。

(カカシ先生は明日仕事は大丈夫なんだろうか。もうそろそろうちに帰って寝たほうがいいんじゃないだろうか・・)

 カカシ先生がキュウリを手に取って、口に運ぶのを見てほっとする。

(食べてる間はまだ居てくれる・・・)

 ・・・居てくれるってなんだろ・・・?

 自分の心の変化に戸惑いを感じた。

 はたけカカシ。

 昨日まではただの顔見知りで、あまり知らない人で、ちょっと遠い人だった。
 それが、一緒にご飯を食べて、お酒を飲んで話を聞いてもらってる内に、すっかり打ち解けて、懐いてしまった。
 それにはきっとカカシ先生の雰囲気のせいもある。
 静かに、うんうん、と話を聞いてくれるカカシは落ち着いていて傍にいると居心地いい。
 相手が自分よりも4つも年上のせいというのもあるかもしれないが、同じ4つ年上のガイと比べると、落ち込んでいる時、ガイが「おりゃっ」と引っ張りあげてくれるのに対して、カカシ先生はただ傍に居て・・・――そう、なんだか包んでくれてるみたいなカンジがする。空気が同調するように、そっと。

「イルカ先生、ホントは酔ってるデショ?」

 はっと思考の淵から戻ってくると目を細め、からかうように聞いてくる。

「酔ってません!」
「ホント?」
「本当です!」
「ふふ、じゃあ大丈夫だね?オレ、そろそろ帰るけど・・・」
「え・・・・」

(・・・なんでそんなこと言うんだよ)

 途端にわっと感情が入り乱れた。嫌だとか哀しいだとか待ってとかが、うずうずぐるぐるして、気が付いたら立ち上がりかけたカカシ先生のベストを掴んでいた。

「・・・・帰ったら・・嫌だ・・・」

 もう一度、座らせようと下に強く引っ張る。

「えーっと・・ホラ、夜ももう遅いし・・・」
「・・・・・」
「イルカ先生も、もう寝ないと明日、辛いよ?」

 ぽんとベストを掴んだ手の上にカカシ先生の手が重なった。その手は掴んだ手を外そうとするでもなく、ただ重なる。
 熱くて大きな手の平が手の甲を温めた。

「・・・・・・・・嫌です」

 俯いて小さな声で告げると、頭上から大きな溜息が聞こえてきた。

(呆れられた・・・)

 びくっと肩を震え、手を引こうとするとカカシ先生が手を掴んだまま軽くしゃがんだ。

「イルカ、センセイ」

 思っていたより、ずっと、優しい声だった。それでいて諭すような響きを持つ深い声だった。そんな声で名前を呼ばれて、

 ぽきっと、頭のどこかで。

 突っ張っていた棒の折れるような音が聞こえた。堰を切ったように何かが溢れ出す。

「イルカセンセ、ダメだよ。今は別れたばかりで辛いだろうケド・・・、オレの言いたいことわかるよね?」

 カカシ先生の言わんとすることに――そこまで考えていたワケじゃないけど――思いが至るが、ぶんぶん首を振ってわからないフリをした。

「どうして?カノジョのこと好きだったんでしょう?ずっと、好きだったんでしょう?」

(ち・・ちがっ・・・・)

 言い訳にならないことを心が言い訳しだす。
 確かに彼女のことは好きだった。だけど、こんなのとは違う。胸の奥から熱が湧くような、心が熱くて震えるような感覚は彼女からは受けなかった。
 間違えたんだ、と思った。
 この人が『本当』の人で、相手を間違えてしまった。

(・・・どうしよう・・・)

 気づいたところで、もう遅い。
 カカシ先生には失恋して泣いてるところを見られ、愚痴まで聞いてもらった。
 それに何より、自分はとびっきりを持っていない。女じゃないから重要視されないだろうが、ほんの三週間前まで持っていたものを失ってしまった。最初は好きな人が良かったなんて、男の俺がバカばかしい考えかも知れないが・・・。
 カカシ先生に差し出せるものは何も無い。

「・・・ずっとじゃない。彼女は全然知らなかった人で・・・好きって言われたのが嬉しくて・・それで・・・」

 後悔に塗れて出てきた言葉は最低な言葉だった。罪悪感や彼女への申し訳なさに言葉を失う。

「・・・そう、スキって言われたから・・・・。イルカ先生、それでよかったんだ・・・」

 カカシ先生から表情が抜け落ちた。

――軽蔑してる・・・?

(ちがう・・そうじゃない。誰でもいい訳じゃない。)

 今ならそう言える。人を好きになった時の心の動きを知った今なら、そう言える。

(だけどあの時は――・・・)

「じゃあ、オレがスキって言ったらどうするの?オレのこと好きになるの?」
「・・・・カカシ先生・・・・?」
「スキだよ、イルカ先生、スキ――」

 何を言われているのか理解出来なかった。だけど、頭が理解するよりも早く、心が沸き立った。

 うれしい、と。

 カカシ先生の両手が頬を挟み、降ろしていた髪を掬い上げるように髪を掻き分け、頭皮を撫ぜる。くすぐったさに首を竦めようとして、首筋に降りてきた手が頤を上げた。唇が重なる。軽く、触れるように。頬にカカシ先生の鼻が触れた。冷たかった。頬に触れてみるとそこも冷たい。

「イルカセンセイの手、あったかーいネ」

 手に頬を押し付け、指先に口吻けると、柔らかく笑いながらカカシ先生が立ち上がった。
 手を引かれ、寝室へとついていく。
 明かりを落とすと暗くなった部屋に月の光がベッドの上に窓枠を描いていた。



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