時を重ねた夢を見る 1
(あともうちょっと。)
(あともうちょっとしたら家だから、家に着いたらすべて許そう。)
日の暮れた夜道を、たくさん具材の入ったビニール袋をガサガサ云わせながら、歩いた。俯いて、時折膝に当たる袋に足を取られそうになりながら、足早に家路を急ぐ。
(はやく、はやく、はやく・・・)
「イルカセンセ?」
前から聞こえた声に軽く肩が跳ねた。だけどそれは顔を上げる仕草に紛れさせた。
「あ、カカシ先生、こんばんは。今お帰りですか」
上手く笑えてると思う。片目だけ見えてるカカシ先生の目がきゅっと細くなったから、きっとそうなんだろう。
「うん、今日は芋ほりしててね、アイツら、はしゃいじゃって。日が暮れても掘り続けるもんだから、こんな時間に」
「ははは、そうだったんですか」
こんな時間と言いながらも、子供らの事を語るカカシ先生の目は優しい。その目を見て、自分の心がふるふると震えるのを感じた。
(もうだめだ。)
「それじゃあ、カカシ先生。失礼します」
ぺこりと頭を下げて脇をすり抜ける。カカシ先生の気配を背後に感じて、それだけでホッと気が抜けそうになるが、
「待ってよ、イルカセンセ」
がしっと肩を掴まれて、眉間に皺を寄せた。
(どうして構うのだろう。今日に限ってなんで行かせてくれない)
不満はあったが、それでもカカシ先生を振り返った時、満面の笑みを浮かべて見せた。受付嬢として受付に座っている意地もあるが、それ以前に"忍たるもの感情を表に出すべからず"。日頃、授業で教えてることを自ら実践した。
「なんでしょう?」
「いえね、サツマイモをたくさん貰ったから、イルカ先生も如何かと思いまして」
ホラと上げた袋からは、はみ出すようにしてサツマイモが見えた。いつもだったら喜んで貰うが、今日は全然嬉しくない。食材なんて手にした袋だけで充分。いや、充分どころか使いきる前に腐らせてしまわないか心配までしなくてはいけない。それなのに、この上サツマイモなんか――。
「ありがとうございます。じゃあ一本だけ」
いらない、と思っても受け取ってしまうのが性分だった。相手の好意を無下にすることが出来ない。断ることで相手を傷つけてしまいそうな気がして、さして欲しくないものまで受け取ってしまう。
今も。弧を描くカカシ先生の目を見て断ることが出来なかった。いらないと言って、その目ががっかりするところを想像して、そんなのは嫌だと思った。もしかすると、がっかりしたカカシ先生を見て、がっかりさせた自分にがっかりして、自分が傷つくのが嫌なのかもしれない。ワケが分からなくなったところで、とにかく手を伸ばした。くれる、と言うのだから貰っておけば丸く収まると判断したのだ。
ところが、はみ出たのを一本引っこ抜こうとすると、袋ごとついてくる。怪訝に思ってカカシ先生を見ると、
「いいよ。イルカ先生に全部あげる」
とても優しい言い方だった。
サツマイモを掴もうと伸ばした手に袋をちょいと引っ掛けられて、その重みで腕が下がる。
胸がジーンとした。なんだか良かったのだ。その響きが。カカシ先生の声が。心の奥底に染み入って、また胸の中がふるふる震える。
「ありがとうございます」
声がおかしなカンジになりそうだったので、早口に言って頭を下げた。
「どーいたしまして」
応えるカカシ先生の声の調子は軽い。それが心も少しだけ軽くした。もう大丈夫と確信して、顔を上げカカシ先生の目を見て笑い返した。それでカカシ先生も笑い返して、さよなら、となる筈だったのに、カカシ先生は細めていた目を開いて首を傾げた。
「なんだろ・・・今日のイルカセンセ、ヘンな顔してる」
「へ・・ヘンな顔ってなんですか。いつもと同じです」
さっき、そう言われたのを思い出して言い切った。
『さよならって言ってるのに、平気な顔するのね』と。
「うーん・・そうかなぁ・・・でもなんかこのヘンがいつもと違う」
ぐりぐりっと手甲から伸びた細い指が頬を擦って、息が出来なくなった。なりを潜めてた心のふるふるが急に戻ってきて、それもさっきより大きくなって戻ってきて息を詰め、歯を食いしばった。
「あ、ゴメン。オレ、指汚れてた」
指を広げて手の平を見たカカシ先生が笑いながら手を握ると手甲の布の部分で頬を擦ってくる。ざりざりと粗い布地が頬を擦る。
「・・・痛い・・です」
「ゴメン、すぐ取るから――」
逃げようと顔を背けると、もう片方の手が反対側の頬を押さえた。以外と大きな手だ。あったかい。それに何故か懐かしい。
「――イルカセンセ?」
瞬く間に溜まった涙がカカシの手甲を濡らした。カカシ先生の擦った頬に涙が沁みてヒリヒリする。
「ひっ、ひっ、・・っく・・」
「イルカセンセ、どうしちゃったの?」
ものすごく困った声が聞こえてきて、きっとおなじくらい困った顔してるんだろうなと思ったけど、いろんな物がぶわぶわに歪んで見えなかった。
「ふぅ・・っく・・んぇっ、ぇっ、・・っ」
「・・・どうしよう・・・」
人気の無い道に、弱りきったカカシ先生の声が響いた。
* * *
「あっはっはっはっ、ごめっ、・・ぷっ、ふふふっ」
(いくらなんでも笑いすぎだよ。一応傷心してるのに、あんまりだ。)
カカシ先生が家まで送ってくれた。泣き止まないのを心配して、お茶まで入れてくれて、いい人だと思ったのに。事情を説明したら大笑いした。何がそんなに楽しいのか、嬉しくて仕方ないみたいに笑い続ける。
(もう、帰れ。)
不貞腐れてお茶をすすると、それに気づいたカカシ先生が目尻を拭った。
「ゴメンナサイ、あんまり悲壮な顔して泣くから、どなたか亡くなったのかと・・・、あ、スイマセン、不謹慎なことを・・・、いや・・えー・・っと・・」
「いいですよ。笑いたければ笑って。どーせ失恋なんて大した理由じゃないですしね。男が振られて泣くなんて、そりゃあ可笑しいでしょうよ」
ええ、まあと言いかけたカカシ先生を睨みつけると、取り繕うようにお茶を注いでくれる。
齢23にして、ようやく出来た彼女に振られた。
夕飯を作ろうと食材を持っていった彼女の家の玄関先で、「もう別れましょう」と追い返された。
吃驚した。
そんな素振りは感じられなかったから、そんなこと言われるなんて思ってもみなくて。
理由ぐらい聞きたかったが、閉ざされたドアを前にチャイムを鳴らすのも憚られ、泣きそうになるのを我慢しながら大急ぎで家に帰る途中でカカシ先生と出合った。
そして、今に至る。
熱いお茶を啜りながら、落ち着きを取り戻しつつある自分を感じていた。
追い返された時はこの世の終わりだと思ったが、あんまりカカシ先生が笑うから大したことのないような気がしてしまった。そんな自分を単純だと思うが、気持ちが楽になったことに変わり無い。それに今は振られてしまったことよりも、カカシ先生の前で大泣きしたことが恥ずかしく、涙でぱりぱりになった頬が痒かった。
「ちょっと顔洗ってきます」
照れ隠しに洗面台に逃げ込んだ。いろんな汁にまみれた顔を洗い流せば、気持ちもすっきりする。タオルで顔を拭きながら、そうだ、と思いついたことを口にした。
「カカシ先生、晩御飯食べて行きませんか?」
聞いたのは何の気なしだった。だけど驚くカカシ先生を見ると、自分がとんでもないことを言ったことに気づいて気まずくなった。
考えてみれば、カカシ先生とは子供たちを介して知っているというだけで、何の繋がりも無い。挨拶ぐらいはするが、相手は上忍で上司。こちらから気軽に誘っていい相手では無い。
「あ・・・すいま・・・」
「いーの?」
「え・・」
「オレ、お腹すいてて・・頂いていってもいいですか?」
「はい!ぜひ!今から作るんで時間掛かるかもしれませんが・・・」
「いーよ。オレも手伝うよ」
「えっ、いいです・・俺が・・・」
「いーから、いーから」
立ち上がったカカシ先生に背を押されて、狭い台所に2人して立った。
トン汁にしようと言ったカカシの提案で、しょうが焼きになる筈だった豚肉はぶつ切りにされ汁に浮かんだ。そこに貰ったサツマイモと野菜を入れ、味噌を溶いた。ぐるぐる鍋をかき混ぜていると、その横でカカシが野菜を炒めた。そうこうしてる間にご飯も炊けて、小さな卓袱台を2人で囲んだ。
「美味しく出来てるね」
「はい」
向き合って座るカカシに頷いた。不思議な光景だ。
(俺の前でカカシ先生がご飯食べてる・・・・)
考えもしなかった光景を前に、夢でも見ているような気がしてくる。
不思議な人だ。
それに優しくて、いい人でもある。上忍だからと言って気取ったところも驕ったところも無く、中忍である自分に普通に接してくれる。一方的に親近感が湧き上がるのを押さえることが出来なかった。