時を重ねた夢を見る 19
去って行く女にほっとしたのも束の間、後を追いかけて玄関へと走ったイルカ先生に不安はいつまでも燻り続けていた。
一緒に出て行ったらどうしよう・・。でもさっき、オレと一緒に居るって言ってくれた・・・。
玄関先で交わされる声と気配が気になって仕方ない。
イルカ先生の泣いている声が聞こえる。女と別れるのが哀しいのかと思うと、やはり邪魔なのは自分のような気がして居た堪れなくなった。それでもイルカ先生はオレの傍にいてくれないと困る。
・・だけど、イルカ先生はオレのしたことを許してくれるだろうか。
勝手に彼女と別れさせようとした。今更ながら自分のしたことが重く圧し掛かって、深く項垂れた。
怖い。女の事が一番怖いと思ったけど、間違いだ。一番はイルカ先生だ。イルカ先生に嫌われたら生きていけない。それでさっき何も聞かずに逃げ出したのかと気付いたが、今はそれどころじゃなく、戻ってくる足音に背を凍らせた。
「カカシさん」
その後に続く言葉を想像して応えることが出来ない。何度か呼ばれて、黙ったままでいるとイルカ先生が泣き出した。言葉に出来ないほど恨み言があるのかと思うと消え入りたくなる。やっぱり彼女と居たかったのかもしれない。だけどオレが彼女を追い払ったから・・。
「ゴメンネ、イルカ先生・・。勝手にあんなこと言って・・」
「・・え?」
「今なら間に合うんじゃない?追いかけたら・・きっと・・ゆるして――」
頭の中がぐちゃぐちゃになって口が勝手に望みもしないことを言う。だけど本当にイルカ先生がそうしたいのなら、オレは――・・・。
「さっき――!傍に居てくれるって・・!俺の傍に居るって言ったじゃないですか!!それなのになんでそんなこと言うんですか!一緒に居るって・・さっき言った・・っ!」
きーんと張り詰めたように頭の中が白くなる。
なんて言った?イルカ先生は何て言ってる?
聞こえてるのにその言葉が信じられなくて、混乱した頭がそれを理解することを拒む。だけど次に言われた言葉は聴き間違えようも無くて、体が熱くなり、勝手に震えだすのを止められなかった。
「お、・・俺を・・捨てないで・・、カカシさん・・・捨てないで・・・」
泣きながら搾り出すような声でイルカ先生が言う。その声を聞きながら、溢れ出そうになるものを必死に堪えた。
「・・・いいの?イルカ先生・・、オレで・・いいの?」
「カカシさんじゃないと・・だめなんですっ」
「イルカセンセ・・」
振り返ったらイルカ先生がぐしゃぐしゃに泣いていた。幼子のように顔を必死に擦って涙を拭っている。目が合うと濡れた手を伸ばしてきた。
「カカシさん・・っ」
抱擁を求められ、衝動のまま飛びついたらベッドに倒れこんだ。自分の体とベッドでイルカ先生を挟み込むように圧し掛かる。髪に手を差し込んで顔を固定すると唇を重ねた。
・・イルカセンセ、イルカセンセ・・!
頭の中で何度も繰り返す。唇は離したらイルカ先生が消えてしまうな気がして必死に口吻けた。イルカ先生を感じたい。素肌に触れるイルカ先生の熱い手にカッと体の奥に火が点いた。抱いてその存在を確かめたい欲望に駆られる。でも今抱いたらむちゃくちゃにしてしまいそうな気がした。実際、今でさえ腕を掴む指先ひとつも加減できない。
体を浮かせてイルカ先生から距離を取ろうとするとイルカ先生の手が引き止めた。
「カカシさん・・、カカシさん・・・・抱いてください」
涙をいっぱい湛えた瞳がオレを見上げる。その視線と言葉に簡単に煽られて下肢に熱が溜まり始める。それでも流されるわけにはいかない。
ダメだ、ダメ・・。熱がますます酷くなる・・。
「カカシさん・・シテください・・」
さっきよりも直接的な言葉で強請られて、くらりと目も前が揺らいだ。潤んだ瞳を見ていると理性が保てなくなりそうで、視線を逸らすとイルカ先生が泣き出した。
「カ・・カカシさん・・オレのこと・・きらい・・?」
歪んだ唇が言葉を紡ぐ。
「あ!違うよ!イルカ先生、今本当はすごく高い熱がでてるんです。薬が効いてて楽かもしれないけど・・今日は安静にしてないとダメなんです」
おたおたと言い訳していると、ぐいっと涙を拭ったイルカ先生が口をへの字に曲げた。宥めようと頬に手を伸ばしかけるが、胸元を掴まれて体の上下を入れ替えられた。イルカ先生に見下ろされて心底焦る。下衣に手が掛かるとますます混乱して、イルカ先生のいつにない大胆さにたじたじになった。俯きになったイルカ先生の瞳から大粒の涙がぽたぽた落ちて服の上で弾ける。
「・・シます。今からスルんです・・」
「ダメだって・・、ね?イイ子だから・・」
「いやだ!!」
手を引き剥がすと、イルカ先生が感情を爆発させた。振り回される手を捕まえると腹の上で暴れ始める。
「カカシさんはなんでそんなに冷静でいられるんですかっ!俺はこんなにも不安なのに!カカシさんは俺のことちっとも好きじゃない!俺ばっかりカ――」
「――このっ」
言われた言葉に頭に血が上り、再びイルカ先生を組み敷くと押さえつけた。怯えた顔でイルカ先生が見上げる。それでもこのままむちゃくちゃに抱いて傷つけてやりたいような衝動が湧き上がった。
イルカ先生にオレを刻みつけたい。もう誰の元へも行けない体にしてやりたい。
掴んだ腕に力が籠もる。
「そんなこと、ある訳ないじゃないですか。そんなこと――」
こんな気持ちを恋じゃないとは言わせない。この執着が『好き』じゃなければ何なんだ。オレの体の中にはこんなにも衝動が満ちているのに。伝わらない気持ちが哀しい。分かって欲しくて胸が軋む。
そんなオレを見て、イルカ先生がああ、と溜息を吐いた。満たされた表情で怯えを解く。
「だったら抱いてください・・。抱いて、俺のこと安心させてください」
イルカ先生の手が首の後ろに回り、引き寄せられて唇が重なった。唇を歯で挟んで吸い上げるキスにオレの我慢なんて一溜まりも無かった。
「我慢してたのに――」
いい訳めいたことを言ってみても、走り出した体はもう抑えられない。もうどうなっても知らないから、と思いかけて考え直した。
「・・後でちゃんと面倒見ますから」
額を合わせると零れるような笑みでうんとイルカ先生が頷いた。目じりから溢れた涙が零れる。でもそれは喜びの涙だった。
早急にイルカ先生の体を弄る。それでも優しく抱こうと思っていたのに、はやくはやくとイルカ先生に急かされて愛撫が儘ならない。
「おねがい・・はやくカカシさんで俺を満たして――」
強烈な言葉で強請られて、耐えられなくなった。まだ狭いイルカ先生の後口に熱を当て腰を進める。痛みを耐える切れ切れの悲鳴が聞こえたけど、熱を最奥まで埋め込んだ。
絶頂を向かえ、意識を失うように眠ったイルカ先生を腕に抱いて、不思議な気持ちに満たされていた。心が軽い。羽毛が舞い上がるようにふわふわした心持ちに、改めてこの一ヶ月危惧していたことが過ぎ去ったのを実感した。
イルカ先生を失わずに済んだ。これからはもうオレだけの人だ。
イルカ先生とは心も体も繋がってる。
だけどそう思って安心していたのはオレだけだった。
すっかり安心して寝顔に見入っていると、次第にイルカ先生の熱が高くなっていった。そうなるのは分かっていたが、苦しげなイルカ先生に心が掻き乱される。熱の出る仕組みや過程は理解しているのにじっとしていられない。世話を焼きまくって一旦はイルカ先生の隣に滑り込んだものの、ベッドから抜け出て台所に立った。お粥を食べさせて薬を飲ませようと思ったのだ。
ぐるぐると土鍋を掻き混ぜて落ち着かない心を紛らわせる。くつくつと泡が立ち、そろそろ煮えようかという頃、背後からどたっと重いものが落ちる音がした。
「カカシさん・・・カカシさん・・」
弱弱しい声に慌てて火を消して寝室に向かうと畳みの上に蹲ったイルカ先生がいた。
「イルカセンセ!どうしたの!?」
トイレに行きたかったのかとか水が欲しかったのかとかいろいろな憶測を浮かべるが、顔を覗きこんで吃驚した。イルカ先生が泣いている。おたおたしていると、ぎゅっとイルカ先生が腕を掴んだ。
「・・目が覚めたら・・カカシさん・・、居なかったから・・・・」
「あ・・」
それで探そうとしたというのだろうか?苦しくて動けないはずなのに。
「ゴメンネ・・ゴメン・・」
初めて、イルカ先生に付けた傷の深さを理解出来た。酷く傷つけたはずなのに、それでも抱き上げて、「ゴメン」と繰り返すと涙を拭って首を横に振る。腕を掴んで外れない手に一緒にベッドへと潜り込めば、そのまま胸へと縋り付いてきた。念のために水は?トイレは?と聞いてみるがすべてに首を横に振る。
腕の中で続いていたしゃくり上げる声はやがて寝息へと変わり。
だけど、時々目を醒ましては闇の中でオレの姿を探した。