時を重ねた夢を見る 20
朝日が眠るイルカ先生の顔を白く染める。まだ額にはうっすらと汗を掻いているが熱は夜のうちに大分下がり、呼吸も落ち着いている。
夜中に何度も目を醒ましてオレを探すイルカ先生に昨夜は一睡も出来なかったけど、心はそれを不満に思うことなく、――むしろこんなにもオレのことを必要としてくれてたのかと思うと、嬉しくて嬉しくて眠気なんてちっとも襲ってこなかった。
イルカ先生が「カカシさん・・」と不安げな声を上げる度に伸ばされる手を掴み、傍にいるよと頬を撫ぜることで眠りに落ちていく姿を見ることは至上の喜びで、それを何度も繰り返されてオレはイルカ先生に好かれてるということを心から実感することが出来た。
じいっと寝顔を見ていると、うっすら瞼が開いて哀しげに眉を寄せた。
「カカシさん・・」
「どうしたの?苦しい・・?」
くっ付いているのにそれでも近くへ寄ろうとするイルカ先生の体を強く抱きしめる。
「まだ眠ってていーよ。アカデミーには連絡入れておきましたから」
髪を撫ぜて眠りへと誘うが、今度はそれに抗うように頭を振った。
「・・・カカシさん」
「んー?」
覗きこむと今にも泣き出しそうな顔をしている。
「カカシさん、あの・・俺の気に入らないところとかあったら言ってください。ちゃんと直しますから・・。俺、馬鹿だから、言ってもらわないと気付かない――」
「え!?ないよ!イルカ先生に気に入らないところなんて・・。イルカ先生はいつだって一緒にいて楽しいし――」
「嘘だ!だって、昨日はあんなに簡単に俺のことす、捨て・・、捨て――」
違う違うと慌てて否定するがそれは届かず、イルカ先生が盛大に泣き出した。泣くまいと必死に堪えながらも涙を流す姿に胸が痛くなる。
「お願い・・、泣かないで・・」
大粒の涙を手のひらで拭うが間に合わず、唇を寄せて吸い上げた。
「そんなに泣かないで・・、・・あの時、――彼女が来た時イルカ先生すごく嬉しそうだったから・・それで・・」
「そんなこと、ないです・・!」
「いーえ。嬉しそうでした」
これだけは間違えようが無いから言い切ると思い当たることがあるのかイルカ先生が怯んだ。
・・ほらね。
「お風呂の中に居てもわかるぐらい嬉しそうなチャクラがぶわーって流れてきたもん」
でもいいんです。もう終わったことだから。これからイルカ先生が傍に居てくれたらそんなことどうだって――。
「あ!違います!それは彼女に恋人が出来たのかって聞かれて、・・それでカカシさんのこと思い浮かべたら嬉しくなって、それでぶわーって・・」
「えっ、そうなの?」
途端に嬉しくなって声が上ずった。いや、でも・・。
「オレのこと友達って――」
「それは!俺たちみたいな関係を――、男同士とか嫌う人もいるから、彼女もそうなのかと思って・・。だったらわざわざ言う必要ないじゃないですか」
「なんだ・・。そうだったんだ・・」
「そうですよ・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
だったらオレは必要の無い別れ話をしてたんだ・・。
呆然としていると、次第にイルカ先生の目が据わりだした。
「もしかして・・、そんなことで俺のこと捨てようとしたんですか・・?」
「えっ、いや・・その・・イルカ先生も彼女と縒りを戻したいのかと思ったから・・」
「どうしてそんな風に思うんですか。ひどいです!俺の気持ち疑うなんて・・。あんなにいっぱい好きって言ったのに・・」
「えっ!?」
吃驚しすぎて思考が止まった。
なんのこと!?
はっきり言って好きなんて言われたの初めてだ。オレが好きって言っても返してくれないから、そういうことは言わない人なのかと思ったし、正直それで不安にもなった。
・・しかもいっぱいって?
記憶を呼び戻す。商店街で出会ってから今日まで・・。
「あ・・・いや、そうだね・・、そっか・・」
言われてみれば心当たりがある。直接言われた訳じゃないけれど、膝の間に入って肩口に顔を押し付けている時、甘い声で名を呼んでくれる時、確かに好かれてると思えた。
きっとその時心の中で言ってくれてたんだ。
オレをスキだって。
そう思うと頬が緩む。勝手ににやけている顔を隠そうと手で覆うとイルカ先生が覗き込んできた。見られないように懐深く抱き込むと、照れくささと嬉しさでついぎゅうぎゅう抱きしめてしまった。くふっと鼻を鳴らしたイルカ先生が呼吸を止められて顔を真っ赤にしながらも耐えている。その健気さに、腕を緩めて不安に思っていたことを打ち明けて許しを乞うと、
「今度俺のこと捨てようとしたら承知しませんよ!!」
そう言って真っ赤になったイルカ先生に甘い気持ちが満ちる。その想いのまま砂糖に漬け込むように尽くしたら、一日が終わる頃にはすっかりオレのことを許してくれた。
**
向かい合って食べるご飯は格別に美味しい。おかずを頬張るイルカ先生は最高に可愛くて、見てるだけでご飯三杯は軽く食べれる。
勘違いで別れかけたという付き合い始めて最大にして最後の危機を乗り切り、イルカ先生の家に入り浸ってるオレは最高に幸せな日々を過ごしていた。
もう一緒に暮らしていると言っても過言では無いが厳密にはそうではないので、いつか近いうちに様子を見て機会があればイルカ先生に言ってみたいなぁーと思いながら口にした。
「イルカ先生、オレ明日は任務の準備で自宅に置いてある巻物が必要になるので、そっちの方に戻りますね」
「えっ!・・そ、そうですか・・」
ついさっきまで嬉しそうにご飯を食べていたのに、告げた途端イルカ先生の表情がみるみる暗くなった。それでも思い直したようにぱっと微笑む。でも保てなくて切れかけの電球みたいに明るくなったり暗くなったりした。笑いたくても笑えない、きっとそんなところだろう。
「わ、わかりました・・。それじゃあ明日は俺・・、一人で――」
言いながらみるみる暗くなっていくイルカ先生に手を差し伸べた。
「イルカ先生は?」
「えっ・・?」
「イルカ先生はどうする?帰る?それともオレんちに来る?」
「え!行ってもいいんですか!?」
「もちろん」
「行きます!カカシさんちに俺も・・一緒に・・!」
ぱあっと輝いたイルカ先生に満足する。思った通りだ。
安心したようにニコニコしながらまたおかずを頬張り始めたイルカ先生が急に箸を置いて立ち上がった。
「イルカセンセ、どうしたの?」
「明日の準備しないと!着替えの用意とか、歯ブラシとか。持って行くもの――」
「食べ終わってからにしよ?・・オレのとこにも何着か着替え置いておくといいし。オレも手伝うから、後で一緒にしよ?」
ね?と食べることを促すと、イルカ先生の瞳がキラキラと潤んだ。
「カカシさぁん・・!」
この後に起こることを予想して、持っていた茶碗と端を卓袱台に置いて台を押し退けた。同時に胸に飛び込んできたイルカ先生を抱きしめる。何も言わず、ぎゅーっと首にしがみ付いてくるイルカ先生に頬が緩んだ。きっと今、心の中ではオレを好きだと繰り返しているに違いない。
一頻り抱き合ってから体を離すと、イルカ先生はそのまま隣でご飯を食べ始めた。ご飯茶碗だけ持って食べる姿に、おかずが遠いからとオレの皿からお肉を摘まんで口の前に持っていった。
「はい、あーん」
口を開けて、と促すとイルカ先生が軽く唇を尖らせた。恥ずかしがって照れているのだ。それでも「あーん」と待っていると、イルカ先生がおずおず口を開けた。
ん、と押し込んで、そっと表情を窺がうと、もぐもぐするイルカ先生の頬がじわーんと嬉しそうに解けていく。この瞬間がオレは何よりも好きだった。最高の最高に可愛くて、見ているだけで木の葉の里を100週ぐらい走りそうになる。(そのパワーは別のところに還元されるのだけれど。)
デレデレしているとイルカ先生が手を伸ばして自分の皿から肉を取った。オレの口の前に持ってきて「ん」と差し出す。
「あーん」返しだ。
今では当たり前になったお返しを遠慮なく頂いて、次はどれにしようかとおかずを選ぶ。こんなことをしているからオレとイルカ先生の食事は毎回ものすごく時間が掛かった。もういっそのことおかずの皿を一つにすればと思うこともあるが、いつも二皿分用意するところをみると、きっとイルカ先生も「あーん」するのを楽しみにしてくれてるのだと思う。
仕事が終わった後、待ち合わせをしてオレの家へと向かう。大きなリュックを背負ったイルカ先生が弾むように隣を歩いた。てっぺんで一つに纏めた髪がぴょんぴょん跳ねる。にっこにこの横顔を見ながら歩いているとイルカ先生手を握った。その手に指を絡めて深く繋ぐ。ほんのり赤く染まっていくイルカ先生が可愛かった。あんまりにも可愛いすぎて衝動が湧き上がる。
このままどこか連れ去りたい。
いつも一緒にいるのにそう思う。
掻っ攫ってオレだけのものにしたい。
オレだけの人なのにそう思う。
こっそりイルカ先生の横顔を覗き見た。すごく機嫌が良さそうで、もしかしたらいつも気に掛かっていることを実行するにはいいタイミングかもしれない。
「・・・・・」
急に喉が干上がって手のひらがじっとり濡れた。オレの緊張を悟ってイルカ先生がこっちを仰いだ。
「カカシさん、どうかしたんですか?」
「ううん、なんでもないよ。・・あんまり家に帰ってなかったから・・、もしかしたら埃が溜まってるかも・・」
「なんだ、そんなこと。汚れてたら俺が掃除しますよ」
「あ、うん、ごめんね」
嬉しそうに首を振るイルカ先生に、喉まで出掛かった言葉がますます口から出そうになった。でもあと少し勇気が足りない。
ホントはそんな必要ないの知っているから。イルカ先生は一緒にいられたら家なんてどっちの家だっていい人だから。
だけどオレは違う。
家が欲しい。
イルカ先生とオレの家が。
オレの物をイルカ先生に預ける器が欲しい。二人の家でオレを待つイルカ先生を想いながら任務に出たい。
だけどイルカ先生はオレのすべてを受け止めてくれるだろうか?
そう思う心が言葉を喉で塞き止め、なかなか言えないでいる。でも言いたい。いや、言わなくてはならない。近いうちに、必ず。オレの口から。
その時イルカ先生はなんて言うだろう。
その場面を想像しながら、いつもオレの心はその先を思い描いていた。
今みたいに夕日に染まるイルカ先生を、並んで座った縁側で見ている姿を。