時を重ねた夢を見る 17





 はっとした時にはイルカ先生はもう自分で体を動かすことの出来ない状態だった。ぐったりとした体は重く、具合が悪そうで不安でたまらなくなる。急いでイルカ先生を清めて服を着せた。見境の無い自分が嫌になる。イルカ先生はもっと大切にしなくちゃいけないのに。

「ああ・・どうしよう・・ごめんね・・」
「へーき・・、カカシさん、俺平気だから・・」

 優しいイルカ先生はそう言ってくれるけど、どう見ても平気そうじゃなかった。火照った頬は熱を持ち赤く染まる。これから熱が上がりそうな、そんな予感にイルカ先生に対して申し訳なくてどんなに謝っても足りない気がした。
 早く布団に寝かせないと。
 そう思って抱き上げようとするとイルカ先生が抵抗する。オレが上がるまで待つと体を丸めてごねる姿が愛しくて愛しくて愛しくて。寒く無いように急いで靴下や半纏を持ってくるとイルカ先生に着せた。

 待っててね。

「すぐ上がるから――」

 5秒で上がる決心で風呂に飛び込んだ。シャワーと全開にして頭から浴びる。慌てすぎて石鹸を滑らせ、カコンと派手な音が立った。

 急いでるのに、もう!

 慌てて拾いなおして泡立てる。そうして体を洗っていると、ドアを叩く音がした。

 誰だ?

 外の気配を探る。そして全身に冷水を浴びたような緊張が走った。

 あの女だ。イルカ先生の、前の彼女。

 帰ってたのか、家に来るなんてと舌打ちしたい衝動に駆られる。

 イルカ先生はどうするだろう。

 すりガラスの向こうを見ればイルカ先生は蹲ったままだ。動けないのだし、やり過ごすかもしれない。そう思っていたらイルカ先生が身じろいだ。這うように玄関を覗く。

 嫌だ。行かないで。

「イ――」
「・・・イルカ」

 先に名を呼ばれて、その声にイルカ先生が動揺するのを感じた。よろめきながらも立ち上がり玄関へ向かう。

 どうして!?
 アンタを傷つけ、捨てた女なんて放っておけばいいのに。

 体中が掻き乱されそうな焦燥に、こうして入られないとシャワーを止めた。縒りを戻しに来たに決まってる。傍にいないとイルカ先生があの女に言いくるめられてしまうかもしれない。オレがいるのに、上手いこと言い寄られて断れなくなってしまうかもしれない。
 慌てて外に出ようとして石鹸を蹴飛ばしてしまった。
 その音に、二人の気配がこっちに向く。女がオレに気付いた。

 そうだ、イルカ先生にはもうオレがいるんだ。アンタの場所なんでもう――。

 次の瞬間、ぶわーっとイルカ先生からチャクラが溢れた。春の花が開くようにあたたかな、嬉しそうなチャクラが。

 何?何を言われたの?
 そんな言葉に耳を貸さないで。

 急いで服を身に付けると、イルカ先生を取り返すべく傍に行こうとして、聞こえた声に目の前が真っ暗になった。

「ち、・・違う・・、恋人なんかじゃ・・、彼は・・ともだち・・・」

 怒りとそれを上回る哀しみが溢れ出す。

 どうして!!

 壁を叩きつければ、びくっと震えたイルカ先生が振り返った。その瞳が戸惑いや怯えを浮かべるのを見て、絶望した。

 答えはもう出ている。

 それがイルカ先生の望みならオレは叶えなくてはならない。

 居間に向かうとイルカ先生の家に持ちこんだ荷物を纏めた。残しておいてもイルカ先生の邪魔だろうから手早くまとめて持って帰る準備をする。イルカ先生とお揃いで買ったトレーナーは置いておくことにした。あっても辛いだけだ。
 傍にイルカ先生が来たのが分かったけど存在を遮断した。辛い。それに別れの言葉を聞くのが怖かった。
 腕を掴んだイルカ先生を振り払った。話なんてしたくない。ただオレが居なくなればすむだけのことだ。それなのにイルカ先生は「どうして」と聞く。

 優しいな。オレのこと気にしてくれるの?――もう答えは出てるくせに。

「・・・・・オレ以外の人の前で髪を下ろすなって言ったよね」

 取って付けたような理由を告げて突き飛ばした。これ以上は辛い。イルカ先生が幸せになるのならそれでいい。
 まだ話があるのかリュックを引っ張るイルカ先生に荷物を放した。本当はそれも傍にあると辛くなるのが分かっていたから、イルカ先生が処分してくれるならそれで良かった。
 玄関に向かうと女が見えた。横を通り抜ける瞬間、「写輪眼のカカシ?」と疑問系で名を呼ばれ殺気が溢れそうになるが、それすら絶望に押し遣られすぐに消えた。
 すべては終わったのだ。
 アパートの階段を下りきった所で背中に衝撃を感じた。イルカ先生だ。追いかけてきたらしい。

「ごめんなさい・・カカシさんっ・・カカ、シさ・・っ」

 泣きじゃくる声が聞こえる。

 ・・真面目だな。もう放って置いてくれていいのに。

 だけど優しいイルカ先生にそれが出来ないのだろう。振り返ってイルカ先生の姿を目に映す。だけど心が凍ったようになって何も思い浮かばなかった。

「・・もういいよ、イルカ先生」

 無意識に手が濡れた頬に触れそうになって、それを抑えた。

「オレのことは気にしなくていーよ。・・・もう彼女と喧嘩しないようにね」

 出来れば笑ってあげられるといいのだけれど。

 背を向けて歩き出せば、深い雪の中を進むように足取りが重い。これからのことなんて考えないようにただ歩いた。早くイルカ先生から遠ざかるように。振り返ってイルカ先生を困らせたりしないように。
 そうして数メートル歩いたところで鋭い悲鳴が辺りに響いた。

「キャー!!やめてっ、イルカ!だめー!!」

 考えるより先に体が振り返って、目にしたものに驚愕した。イルカ先生が首筋にクナイを当てている。
 頭の中が白くなった。
 瞬身で傍に飛んでクナイを弾いた。

「なにやってるんですか!アナタは!!」

 怒鳴りつけてから、ようやく何故?と思い浮かんだ。

 何故?どうしてイルカ先生がこんなこと・・。

 弾いたイルカ先生の手がぶるぶる震えだす。手だけじゃない。体全体で震えて、ぼろぼろ泣き出した。何かを言おうと口を開くが、嗚咽に紛れて言葉にならない。

「うっ、・・うっぅ・・ふぇ・・っ」

 激しく泣き出したイルカ先生に胸がクナイで突かれたように痛くなった。こんなにも哀しげに泣く人を初めて見た。

「イルカセンセ・・あの・・」

 手を伸ばしていいものか悩む。そうして悩んでいるうちにイルカ先生の瞳から光が消えた。糸が切れた様に崩れる体を咄嗟に受け止めた。体が発熱したように熱い。そこでやっとさっき熱が上がりそうだと思ったことを思い出して自分の頭をかち割りたくなった。

「ああ、くそっ!」

 慌てて抱えあげて部屋へと運ぶ。
 玄関に立ち尽くす女の脇を通り抜けるときは全く無視してやった。



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