時を重ねた夢を見る 15
「イルカ先生、はやく」
「ほ、本当にするんですか?」
「もちろん。そう約束したデショ?」
「でも・・」
「なあに?イヤなの・・?」
「嫌とかじゃなくて・・その・・」
真っ赤になって口を閉ざしたイルカ先生の背中を押して脱衣所へと進む。今更止めるなんて言わせない。
「なんなら一緒に入る?」
「それは駄目です!そんなことしたら俺・・っ」
「ハイハイ、じゃあ湯船に浸かってよぉーく温まったらオレのこと呼んでね」
「・・・・・・・・・はい」
小さく返事して背を向ける。もそもそと服に手を掛けたところで振り向いて、オレがまだ居るのを知ると何か言いたげに動きを止めた。
恥ずかしいからあっち行って下さい、そんな風に見つめられて退散する。ぷぷぷと込み上げてくる笑いに堪えていると風呂の戸を閉める音と中で水を使う音が聞こえてきた。ばしゃばしゃとタイルに弾け、やがて静かになる。今か今かと待ち構えていると、
「・・・・・・・・・・・・・カカシ、さん・・」
その小さな小さな声を聞き逃がしたりしない。意気揚々と袖を捲くって戸の前に立った。
「開けまーすよ?」
返事代わり水音に、そうと戸を開けて中を覗くと顎まで湯に浸かったイルカ先生がこっちを窺がっていた。目が合うと更に湯船に沈む。耳まで赤いのはきっと温まったせいばかりじゃないだろう。ひたひたと濡れたタイルを歩きイルカ先生に近づく。
「あったまった?」
こくんとだけ頷くのにイルカ先生の緊張が見て取れた。
「じゃあこっち。お湯に浸かったままでいいから頭だけ外に出して」
「・・こうですか?」
「うん」
俯いたイルカ先生の髪を手櫛で梳かし、桶を手に取った。
「お湯掛けるね」
首筋からお湯を流して髪を濡らした。十分に濡らしたところでシャンプーを手に取ると泡立てた。髪の先から泡立てて根元へ向かうと軽く全体を洗った。手の動きに合わせてイルカ先生の頭が揺れる。
「じゃあ、流しますね」
「えっ!?」
はっと顔を上げたイルカ先生の眉がへにょっと下がった。それから口を尖らせてじっとこっちを見ている。
「もう一回洗うから」
「あ・・そうですか」
あからさまにほっとした表情でまた俯く。そのあまりの判りやすさに込み上げた可笑しさを隠すためにイルカ先生の髪に付いた泡を流した。
せっかくの時間なのに、簡単に終わらせたりなんてしなーいよ。
もう一度シャンプーを泡立てると、今度は深く指を髪の中に潜らせた。指の腹を使ってマッサージするように頭皮を擦る。大きく掻き混ぜるとイルカ先生の首筋が粟立った。
「寒い?」
片手だけ泡を流して肩にお湯を掛けるとふるふる首を振る。
「・・・気持ちいいです」
「そう・・」
うっとりとした少し舌足らずな声音に愛しさが込み上げる。ぽた、ぱたと大きな泡の塊がタイルに落ちて、そのうちの一つにイルカ先生の手を伸ばした。すらりと伸びた腕に水が滴り、濡れた素肌が艶かしい。腕一本に情欲を掻き立てられそうになり、気を逸らす目的でわしゃわしゃっと耳の後ろを掻くと笑い声を上げてイルカ先生が首を竦めた。
「ははっ・・くすぐったいっ!」
「でも気持ちイイでしょ?」
満面の笑みを浮かべるイルカ先生が顔を上げる。その目が柔らかく撓んで泡を弄んでいた手をオレの方へと伸ばした。その手はオレに触れる前にはっと引っ込められる。
「なぁに?どうしたの?」
「あ・・いえ、俺もカカシさんの髪、洗ってみたいなって・・」
泡に塗れた手をぎゅっと握ってそんなことを言う。
「いーよ、洗って。・・でもその時は・・、イルカ先生オレが裸でもへーき?」
「あっ!・・も、もっと俺が・・カカシさんに慣れたら・・そしたら平気・・」
ぼんと赤く熟れ、次第に小さくなっていく語尾にくすくす笑いながら了承した。早くそんな日が来るといい。立場の入れ替わった姿を想像して胸が温かくなった。
髪を洗い終えてリンスも済ませると先に風呂から上がってイルカ先生を待った。これで終わりじゃない。居間の真ん中に座布団を用意して準備する。
ほこほこと湯気の上がりそうなほど顔を上気させたイルカ先生が居間に戻ってくると手を引いた。
「カカシさん、さっきはありがとうございました。すごく気持ち良かったです」
「お礼を言うのはまだ早ーいよ」
「え・・?」
「ここ座って」
不思議そうに振り返るイルカ先生の肩を押して座布団に座らせると肩にあったタオルを取って髪を拭った。あらかたの水分を拭うとドライヤーのスイッチを入れる。熱風を髪に当てると熱くないように加減しながら髪に風を孕ませた。
「熱くない?」
うん、と頷くイルカ先生はわんこみたいで可愛い。大きな犬によしよしするように髪を掻き混ぜるとイルカ先生が笑った。髪の先から雫が落ちる。熱に当てられてリンスの香りがイルカ先生の髪から立ち上った。数分で消えてしまう香りが鼻腔を擽る。
「はい、おしまい」
「ありがとうございます・・」
ドライヤーを切って手櫛で髪を梳かす、とろんと目を開けたイルカ先生がにじにじと膝で寄ってきた。膝を押して足の間に割り込むとぎゅーっとしがみ付いてくる。
「カカシさん・・・」
甘えた仕草に絆されて、温かな体に腕を回して腕の中にしまいこむと髪に顔を埋めた。さっきまであった香りはもう消えかけている。匂いを追いかけて深く鼻先を髪に潜らせようとするとイルカ先生が身を捩って逃げた。
「カカシさんやだ、くすぐったい・・っ」
「え〜、だって良い匂いするんだもん」
髪に鼻を押し付けようとするとやだやだとイルカ先生が逃げる。それでも追いかけるとイルカ先生は背中にしがみ付いたまま転がって、腿に頭を乗せた。くすくす笑いながら眩しそうに目を細めてこっちを見上げる。その顔に影を作るように覗き込むと持ち上がった手が髪に触れた。
「カカシさんがお風呂から上がったら、俺がドライヤーします」
「うん」
だけど髪に触れるイルカ先生の手が心地よくて、いつまでも風呂に入れないで居た。
そうして数日が過ぎると、二人で居る時はくっ付いているのが当たり前になった。それもオレからじゃなくてイルカ先生から寄って来る。それが嬉しくてちょっと意地悪して知らん顔すると無理矢理膝の間に割り込んで来たりする。お風呂もちゃんとオレの名を呼ぶ。髪はまだ洗ってもらってないけど。
構ってくれと言わんばかりの態度はオレの庇護欲を掻きたて際限なくイルカ先生を甘やかした。でも足りない。もっともっとイルカ先生に優しくしたい。
イルカ先生が離れていくんじゃないかなんて不安に思ってたことなどすっかり忘れた頃、彼女が戻ってきた。待機所で姿を見かけてはっとしたものの、緊張はすぐに薄れた。
もうイルカ先生に関係のない女だ。彼女が言い寄って来たってイルカ先生はオレから離れていかない。
そう思えるほどの自信がオレにはあった。二人で過ごした時間が、二人の間にある空気が、イルカ先生の向ける視線が、オレにそう思わせた。