やさしい手 9





 喜びに飛び跳ねる人というのを初めて見た。
「すごい!すごいです!!」
 卓袱台に並べられた沢山の料理を前にイルカ先生がぴょんぴょん跳ねた。感情表現があまりにもストレートで忍としていかがかと思うが、はちきれんばかりに満面の笑みを浮かべ体全体で喜びを表現しているイルカ先生を見ていると、とっ捕まえてぎゅうっとして、くしゃくしゃにしてしまいたくなった。頭の中ではすでに揉みくちゃだ。が、いくらなんでもイキナリそこまでやったらイルカ先生も吃驚してひくだろう。
 かわいいな!ちくしょう!!
 心の中で思いっきり叫んでから手招きした。
「さっ、食べましょう?」
「はい!・・・手、洗ってきます」
 ジャガイモの皮を剥いて満足したイルカ先生は片付けの方に戻っていた。その片付けを放っぽりだしてイルカ先生が洗面所に入っていく。
 片付けはほぼ終わったらしく、巻物の束や本が部屋の隅に寄せてあったり、柱にベストが引っ掛けてあったりした。布団も日が翳る前に取り入れられて、一緒に干してあった座布団が卓袱台のところに2個並べて置かれた。恐らくこっちが普段の部屋の様子なのだろう。テレビの上に子供が作ったっぽい人形が置いてあるのがイルカ先生らしい。居間の窓には淡いオレンジのカーテンが引かれて蛍光灯の光を優しく反射している。
 うん。コッチのが好き。
 落ち着く。
「お待たせしました」
「うん」
 イルカ先生が席に着いて、その向かい側に腰を下ろした。イルカ先生が卓袱台の上を見て待ちきれないって顔でオレを見る。
 "おあずけ"の時の顔だ。
 心の中でちょっぴりそんなことを思っていたらイルカ先生が声を上げた。
「あっ」
「ン?どうしたの?」
「ちょっと待っててください」
 座ったと思ったらすぐに立ち上がって台所へと消えた。でもすぐに戻ってきて、「はい」と俺の方に手を差し出した。
「使ってください。カカシ先生のお箸です」
「え?オレの?」
 手渡されたのは割り箸じゃなくてちゃんとした木のお箸。
「まだ誰も使ってないやつです」
「オレの・・・」
「ちゃんと洗いましたよ!」
 じっと箸を見ていたらイルカ先生が慌てたように付け加えた。
 イルカ先生んちにオレの箸。
 すごく、嬉しい。
「ありがとうございます」
 なんだか胸がいっぱい。
「いえ、その・・・・食べてもいいですか?」
 上目遣いでイルカ先生がオレを見た。
「どうぞ。召し上がれ」
 とたんにぱぁっと笑って手を合わせた。
「いただきます」
「はい。どうぞ」
 オレもイルカ先生を真似て手を合わせた。
「いただきます」
「はい」
 視線を合わせるとイルカ先生がにぱっと笑った。
 ねぇ。イルカ先生んちにオレの居場所を作ってくれたって思ってもいい?
 味噌汁を口に運ぶイルカ先生を見ながらそんなことを思う。
「わ!おいしいっ。おいしいです、カカシ先生!これ、すっごくおいしいです」
「そう?リクエスト通りに出来てる?」
「はい!具がいっぱいで・・・ずっと、こういうのが食べたかったんです」
「よかった。おかわりあるからいっぱい食べてネ」
「はい!」
 ぱくぱくとあっという間に味噌汁を平らげた。
「おかずも食べてネ」
「はい」
 汁椀を受け取って注いでいる間にイルカ先生が炒め物に手を伸ばした。
「あれ?これってレタスですか?」
「そう。千切りにしてごま油で炒めてジャコが入ってるんです」
「俺、レタス炒めたのって初めて食べました。おいしいです」
「デショ。炒めたらいっぱい食べられるしね」
 へぇーとしきりに感心している。それから「これは?これは?」と一つ一つ聞きながら口に運んだ。そうやって口に入れるたびに頬が落ちそうな顔で笑って「これもおいしい」と呟いた。
「イルカ先生って作り甲斐があるね」
「そうですか・・・でも俺食べてばっかで」
「ううん。嬉しい。もっと食べて」
「はい・・・片付けは俺がしますね」
「うん」
 イルカ先生に好き嫌いがあるかと思ったけど特に無いようで何でも食べた。ハムスターみたいに頬袋を膨らませて一所懸命食べてる様は見ていて微笑ましく、オレに料理を教えてくれた人に心から感謝した。あの人がいなかったら今日という日は無かったかもしれない。
 肉団子を頬張ったイルカ先生の口の端にタレが残っていて、これを取ってあげるのはお約束でしょうと手を伸ばせば、それを察知したイルカ先生が舌を出して舐め取り恥しそうに俯いた。
 ちぇ。残念。
 それでもその口元を見ていると、ごしごしと口元を拭いながらイルカ先生が口を開いた。
「カカシ先生は料理とってもお上手ですけど、やっぱり彼女とかに教えてもらったんですか?」
 浮かれた気分がちょっと沈んだ。
「・・・・・・あのね」
 その可愛らしい口でそんなこといいますか。
「・・・・すいま――」
 憮然としたオレの口調に恐縮して謝るのを遮った。
「ちがいますよ。オレに料理を教えたのは先生・・・・4代目ですよ」
「4代目?」
「そう。これからは男も料理できないとモテない!とか言って。術とかよりも最初そっちを鍛えられましたよ。訳わかんない」
 ま、役にたったからいいけどね。
「そうですか。4代目が・・・」
 笑うかと思ったら何故かイルカ先生の眉がぎゅっと寄った。何かを耐えるみたいに。
「イルカセンセ・・・?」
 視線を合わせようと覗き込めばすぐにその表情を打ち消して口角を上げて笑った。それからまた何事も無かったようにご飯を食べ始める。
 イルカ先生って時々さっきの表情を見せる。コインランドリーでもそうだった。すぐに表情を消すのは触れられたくないからだろう。いつかイルカ先生から話してくれる日が来ればいいけれど。


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