やさしい手 8





 台所には片付けたのかこれまた何もない。2つあるコンロの上にちっちゃい鍋が一つと流しの横に薬缶が一つ。おそらくこのどちらかでインスタントを調理しているのだろう。脇にある棚には沢山のカップラーメンがあってどれも同じ銘柄。飽きないのかなと思ったら足元のダンボールに同じのがまだ沢山入っていた。
 や・・安かったのかな・・・?それにしてもすごい量。
 こんなのばっかり毎日食べているのだとしたら絶対体に悪い。
 昨日キライな物を聞くのを忘れていろいろ買って来たが、もう聞かないことにした。全部食べさせる。
 流しの上に窓があってそこから光が入ってくるのでそれほど暗くは無かったが、一応明かりを点けて・・・スイッチの横に黄褐色のシミが目に付いた。
 なんだろ?
 飛び跳ねたようなシミが壁や天井に、点々と。
 あ。これは・・・。
 例のシミだ。カレー爆発させたやつ・・・。
 そう気付いて改めて見るとテーブルを始点に台所中に広がっている。
 ぞっとした。爆発したときイルカ先生がここにいなくてほんとに良かった。
 感謝の念が湧き上がる。それが何に対してなのか判らないが。
 二度とこんなことが無いようにしないと。こっちは自分への戒めのように思った。
「さて、と。」
 何から始めようかと腕まくりをしながら考えた。米を洗うにはまだ早い。
 とりあえずは下ごしらえから。
 手を洗いながら今日の献立を思い浮かべて作業の流れを組み立てる。
 まずは・・・レタスかな。
 今から水に浸しておけば食べる頃にはしゃきっとなっておいしいだろう。野菜はたくさん買って来た。普段はインスタントの多いイルカ先生は不精してきっと野菜を食べて無さそうだから。
 ビニール袋から買ってきたレタスを取り出しぺりぺりと一枚ずつ剥きながら耳を澄ました。
 後ろでイルカ先生の立てる物音が聞こえる。軋んだ音を立てながら窓を開け放ち、パンパンと布団を叩く音。それから「きもちいー」と呟く声が聞こえて肩越しに振り返れば、ベランダに出たイルカ先生が干した布団にくっついてその温かさを堪能しているところだった。無邪気な様子に頬が緩む。
 やばい。今日のオレ緩みすぎ。
 ここへ来るまでの緊張はどこへやら、イルカ先生に会ってから勝手に頬が緩んで笑いっぱなしだった。おかげで顔の筋肉がちょっと痛い。グリグリと手の甲で頬の筋肉を解しながら、前を向けばいつの間にか芯までレタスを剥いていた。
 わ、剥きすぎた。
 どうやら頭も緩んでいるらしい。
 でも、ま、それもいっか。
 ついでに思考も緩んだ。頭の中でレタスの使い道を考えて献立に一品増やす。
 えーっと。ボウルは・・・っと。
 そういうのはここだろうと目星をつけて流しの下を開けて―――固まった。
 包丁はあった。扉に備え付けられている包丁立てのところに。でもその横に何故か刃渡りの短い忍刀とクナイが。
 なんでこんなところに?
  思いつつ、なんとなく。なんとなく予想は出来た――が。
 気を取り直して包丁とボウル、それから鍋を出した。鍋はあまり使われていなかったようでぴかぴかだった。
 ジャガイモの皮を剥いているところで背中に視線を感じた。やけにそわそわとした伺うような。背中がむずむずとくすぐったい。
 振り向けば好奇心いっぱいな目をしたイルカ先生と目が合った。
「終わりました?」
 聞けば途端にしゅんとなって「まだです」とすごすごと去っていき片づけを始めた。でもまた暫くすると背中がむずむず。
 えーっと・・・。
「イルカ先生もやりますか?」
 剥きかけのジャガイモを、これ、と見せると居間から飛んできた。
「はい!やります!」
「ぷっ!クククッ・・・・」
 尻尾が見えた。今にも振り千切れそうなのが。飼い主に呼ばれて喜び勇んで駆けてくる犬みたい。うちの子にもそういうのがいた。と言ってもまだ子犬の頃のことだけど。でも――。
「―――そっくり」
「なにがですか?」
「いえ・・・」
 いつまでの小刻みに震えながら笑うオレに怪訝な顔をしながらもジャガイモを受け取ろうと手は差し出されている。それがまた枝を投げるのを待ってる時みたいで・・・・。
「あーもう、かわいいなぁ・・・」
 ぽろっと本音が漏れてイルカ先生がきょとんとした。だから、
「イルカ先生ってかわいい」
 もう一度言えば、イルカ先生がみるみる赤くなった。その反応におっ、と思う。
 これは脈アリ?
「なにいってんですか!俺っ、男ですよ!」
「うん。知ってる」
「男にかわいいだなんて・・・冗談じゃないですよ」
 ぶちぶち言いながら唇を尖らせる。
 うん。だからね、その反応がかわいいんだって。
 思ったけど口にしなかった。これ以上言うとイルカ先生を怒らせそうだ。
「ごめんね」
 謝ってジャガイモを渡せば素直に受け取った。包丁も渡せば赤い顔をしたまま、ぶちぶちとジャガイモの皮を剥き始める。
 そう、ぶちぶち。
「わっ!アブナ・・・!」
 ジャガイモの皮、と言うより実に突き刺さって勢い良く抜け出た刃がイルカ先生の指に当たりそうになってひやっとした。
「イルカ先生!包丁の持ち方おかしいよ。それじゃあクナイの持ち方だよ」
「え?え・・・」
 戸惑うイルカ先生の手から包丁を抜き取ると「包丁はこう、剥く時はこう」と手本を見せた。
「ああ、なるほど」
 納得したらしいイルカ先生に両方を渡して見守ると、今度は皮の下に包丁が刺さったまま動かない。
「イルカ先生って・・・もしかして不器用?」
「・・・っ!違います!俺はこう見えても皮むきだけは得意なんです!!」
 ちょっと疑いの目で見てしまった。強調するところが何かおかしいのはいつものことなので慣れて聞き流してしまった。
「包丁は使い慣れてないだけで・・・っ!」
「ふーん・・・」
 ムキになったイルカ先生が包丁を置いた。怒ったのかな、と内心焦っていると流しの下を開けた。
 まさか・・・。
 予感的中。イルカ先生が取り出したのはクナイ。得意げにくるくる回して柄を握ると、それはもうするするとあっというまに皮を剥いた。
 やっぱりそうきたか。
「ね!」
 嬉しそうにつるんとゆで卵のようになったジャガイモを見せられても・・・。
 脱力してる間にイルカ先生は次々と皮を剥いていく。
「俺ね・・・野営の時とか皮むき担当で・・・・これだけはすごい得意なんですよ。料理はさせてもらえなかったんで・・・・一回教えてもらったんですけどね・・・・それっきりさせてもらえなくて・・・」
 なにやったんですか!!なにかやったでしょう。その時!
 つい勝手な憶測でイルカ先生を心の奥底で責めてしまった。ふうっと息を吐いて気を取り直すとイルカ先生の手からクナイと奪った。
「わかりました。わかったから。でもね、ほら、料理の時は包丁使いましょうね」
 優しく諭した。
「でも・・・」
 不満気なのはこの際無視。
 そこはオレだって、アレだ。
「だって、肉とか魚はどうするの?」
 言った瞬間聞き方を間違えたと思った。想像してげんなりしたのに、
「それは忍刀で・・・」
「はい!!これ持って!!」
 包丁を押し付けて黙らせた。
「イルカ先生器用だからすぐこっちも慣れますよ。ね。」
「・・・そうかな」
 イルカ先生が憮然としながらも嬉々として皮を剥き始めた。
 『誉めて育てる』
 その事をオレが覚えた瞬間だった。



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