やさしい手 10
ふぅと満足げな息を吐いてイルカ先生がお箸を置いた。
「おいしかったぁ」
後ろ手に左手をついて右手でお腹をさする。ちょっと苦しそう。
「こんなに食べたの久しぶりです」
「そう・・・」
ふにゃんと蕩けそうな笑みを浮かべるのに見蕩れて気の利いた返事が返せない。たくさん作った料理は残さず綺麗に二人で食べつくした。オレもこんなに食べたのは久しぶりで、普段は作っても味気なくてあまり食べないのに今日は美味しく感じて。
そのうちイルカ先生のついていた手がずずずと滑って仕舞いにはころんと後ろに転がった。
「あー、しあわせー」
眼を閉じ、頬を緩めて溜め息のように呟く。
しあわせって言ったよ!
よかった。イルカ先生に喜んでもらえて。
オレ、料理が出来てほんとヨカッタ!!
料理を教えてくれた4代目にオビト、それから行きに立ち寄った本屋さん(←立ち読みで料理のおさらいをした)に心から感謝した。
無防備に転がるイルカ先生からなんだか蒸し立ての肉まんみたいにほくほくと幸せな気が舞い上がる。
あぁ、もう食べちゃいたい。
あのほっぺに齧り付きたいというか吸い付きたいというか舐・・・――。
そんな邪な眼で見ていると、イルカ先生がぱちっと眼を開けて起き上がった。さっきまであんなに幸せそうだったのにしかめっ面になってる。
なに?・・・漏れてる?邪気、漏れてた?
緩んだ顔を引き締めて様子を伺うとイルカ先生が気まずそうに頭を掻いた。
「すいません。俺・・・だらしないですね」
「ふぇ?げふっ・・・」
責められたらどうしよう、と思っていたら思いもかけないことを言い出したので呂律がおかしくなった。咄嗟に咳をして誤魔化す。
「なにがですか?」
「いえ・・・片付けますね」
改めて聞いても固い表情でてきぱきと手を動かす。
「イルカセンセ?」
「俺、片付けるって言ったのに。食べてすぐ寝転んだりして」
なんだ。そんなこと。
「別にいいじゃない。オレも家ではよく転がってますよ」
だって食べてすぐってキモチいいんだもん。
「オレ、気にしませんよ。ね、まだ時間早いし、ゆっくりでいいじゃないですか」
またさっきのイルカ先生見たいし。
「でも・・・」
イルカ先生が手を動かす度にこの部屋に満ちていた幸せな空気がどこかに追いやられて霧散していく。
「のんびりしよーよ」
それを取り戻すべく片付ける手を阻んだ。
「でも・・・」
ああ、もう。頑固だな。
さっきまでの柔らかい雰囲気が嘘みたいに頑なにこちらの言う事を拒む。
「ねぇ、オレの前でそんなに気を張らなくてもいーですよ」
気を使わせないようにそっと言ってみた。
「・・・・・・・・」
また。イルカ先生が眉を寄せた。あの表情。それでも片づけを続けようと腰を浮かせるから。
「阻止!!」
「え?」
立ち上がる前にとんっと額を突いた。不意のことにしりもちをついてきょとんとしているうちに、えいやっと飛び掛ってラリアートをかけた。
「わぁっ!!・・・ぐっ」
イルカ先生の顎の下に腕を入れ、締め過ぎないようにしながら床に転がした。そのまま一緒に転がって、イルカ先生の頭が床に着く前に腕をひいた。
「なに!なんですか!?」
突然のことにわたわたと暴れるイルカ先生の首を軽く締め上げる。
「んん!!」
オレの腕を掴んでじたばたともがいて、赤い顔して腕を外そうとする。でもそこはオレも上忍だから緩く締めても簡単には外さない。外さないんだけれども・・・・なんていうか。嬉しい誤算が。ちょっと転がしてやろうと思っただけだったのに、すぐ眼の前にイルカ先生の顔が。ムキになっちゃって必死なのがすごくかわいい。
もしかし・・・なくても、オレ、抱きついてる?
イルカ先生がもがくたびに額に髪が当たる。息遣いなんかもすぐ間近で聞こえて。
「むぐーっ!!」
楽しくなってつい締め過ぎた。真っ赤に鳴ったイルカ先生が腕をタップしてきた。
え、やだ。外したくない。
でもこれをされたら外すのがルールだ。止めないと信頼を失う。浮かれた5秒前のオレを恨めしく思いながら腕を外した。でも頭の下にひいたほうはそのまんま。密かに腕枕。
「ゴホッ・・・っ・・・・もう!何なんですか!」
荒い息を吐きながらこっちを見る。
うわっ。それ反則だよ。
「うん。転がしてやろうかと思って・・・あ。」
涙目のイルカ先生にめろっとなって、装飾無く本音が漏れた。
「なんですか。それ」
まだ軽く咳き込みながらイルカ先生が睨んできた。
えーっと。
「イルカ先生知ってますか?食べた後横になるのって体にいーんですよ。消化の助けになって」
もっともらしく言った。
「それだけ・・・ですか」
「そう。それだけ」
他に疾しいことなんてないよ。これっぽっちも。
「・・・ヘンなの」
イルカ先生が眼に浮かんだ涙を拭った。
「ヘン・・・ですか」
「ヘンですよ」
言いながらイルカ先生が噴出した。おかしそうに肩を揺らす。笑ってくれる事にほっとしながらイルカ先生の顔を覗き込んだら――目じりからこめかみにぽろぽろっと涙が零れた。
「あ!ごめん。痛かった・・・よね。ごめんなさい」
「ふっ・・・なに言ってんですか・・・あれぐらい・・・」
言ってる傍からまた涙が零れ落ちる。
「ね・・・どこが痛い?言って・・・?」
「ちがっ・・・どこも痛くな・・・っ」
最後は喉が震えて言葉にならなかった。腕をぐっと眼に押し付けて口を固く結ぶ。
だったらどうして泣くの?
ぽろぽろと流れ落ちる涙に、居ても立ってもいられない気持ちになりおろおろと開いた手を彷徨わせた。
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