やさしい手 18





 腕の中でびくっと大きくイルカ先生の体が震えた。イルカ先生が逃げるように顎を引こうとしたのに気付いたけど、放すことが出来なかった。
 柔らかくて、あたたかい。
 目を閉じたまま酩酊する。初めて触れたイルカ先生の唇に夢中になった。
(・・気持ちイイ)
 何度も唇で挟んでその肉厚な唇に触れる。呼吸のためにふっと開いた唇から舌を差し込んだ。噛まれたらとかそういう危惧は一切無かった、と言うより思いつかなかった。ただただそれに触れてみたくてイルカ先生の舌を探す。奥に縮こまった舌先に触れたときは、ビリッと電流のような刺激が体に走った。
(ダメだ、止まらない)
 イルカ先生の頭の後ろに腕を回すと口吻けを深くして舌を絡め取った。
「ふっ・・ぅん・・っ」
 弱弱しい声がイルカ先生の喉から漏れる。イルカ先生の手が腕に触れたけどキスは止めないでいた。
(もっと触れさせて。)
 ぬるぬると舌を擦り合わせると、溜まった唾液が濡れた音を立てる。口の外へと誘い出して、じゅっと吸い上げると、またイルカ先生の体が震えた。
「んぁ・・っ」
 明らかに甘さの混じった声に、薄く目を開けてイルカ先生を窺がった。赤く染まった頬ときつく閉じられた瞼。眉間は少し寄っていたけど、それでも嫌がってる素振りは全然見られない、・・ような気がした。その事に勇気を得て、角度を変えてイルカ先生に口吻ける。  そうしているとイルカ先生を好きな気持ちがますます膨らんでいく。
 愛しくて愛しくてたまらない。
 柔らかく唇を重ねながら祈った。
 オレを好きになって欲しい。イルカ先生のかけがえのない人になりたい。イルカ先生はもう、オレにとってかけがえの無い人だから――。
(お願い、オレをスキになって・・)
「あ・・っ!」
 そんなことを想っていると、イルカ先生が突然体を離した。それが考えていたことの答えのように思えて胸が痛くなったが、違った。
 声を上げて首を竦めたイルカ先生の頬がべったり汚れていた。ひき肉で。うっかり汚れた手をイルカ先生の頬に添えてしまっていた。
「ゴ、ゴメンなさい!!」
「い、いえ・・っ」
 互いに顔を見合わせて、はっと固まった。全身が火を噴きそうなほど熱くなって、かあっと顔に血が集まった。それはイルカ先生も一緒で、同じように赤くなっている。
「え、え、えっと・・えっと、タオル!気持ち悪かったよね、ゴメンなさい・・」
「いえ!だ、だい・・大丈夫です!」
「あ!髪にも付いちゃってる・・」
「俺、風呂に入ってきます!」
「あ、うん。その方がいいかも。拭いても匂い付いちゃうから」
「じゃあ、行って来ます!」
「うん。いってらっしゃい」
 バタバタと風呂へと走っていく後姿を見送って、どっと脱力した。今までイルカ先生の座っていたイスに腰掛けてテーブルに顔を伏せた。

(・・・・・やってしまった!!)

 さっきまでしていたキスの感触が蘇って顔がにやけた。
 柔らくてあたたかな唇。
(・・・・・・・しかも嫌がってなかったよ!!!)
 むしろちょっと応えてくれたような気がする。柔らかな舌がオレの舌を押し返した瞬間が確かにあった。
(それって・・・、それって・・!)
 その意味を考えてふわーっと舞い上がる。

 やがて聞こえてきたシャワーの音に、張り切ってハンバーグの続きを作った。




 こんもりと丸く、大きめなのを2つ作って味付けは和風にした。箸で突いて焼き加減を見れば、透明な肉汁がとろりと溢れて最高の出来上がりだ。盛り付けはフライパンに残った肉汁でイルカ先生の好きな舞茸を炒めたのを沿え、ハンバーグの上には紫蘇と大根おろしを乗せた。
 部屋中に美味しそうな匂いが溢れる。後はイルカ先生が向かいに座れば完璧で、その瞬間を浮かれながら待ったが、

――いくら待ってもイルカ先生は上がってこなかった。

 静まり返ったお風呂から、時折ぽちゃんと水の滴る音が聞こえてくる。
 ハンバーグから上がっていた湯気は消え、周りに白い脂が浮かぶ頃、ようやくオレは気付いた。
(・・・イヤだったんだ)
 そりゃそうだよな。いきなりキスされて、それも男にされて嬉しい訳ない。さぞかし気持ち悪い思いをしたに違いない。オレだって相手がイルカ先生じゃなかったらゴメンだ。その気持ちは痛いほど良く判る。
(・・・ホント、痛い・・)
 出来ればキスする前に気付きたかった。今更思っても仕方ないけど、これからのイルカ先生の態度を想像すると目の前が暗くなる。避けられるだろうか?いや、もう避けられてんだけど・・。今までみたいに一緒にご飯なんてなくなるんだろうか・・?一緒にお酒なんてもう・・。
 思いつくことのすべての答えが否定的なものばかりでへこんだ。うりゅっと涙が盛り上がりそうになったが、ここで泣くわけにはいかない。オレがここに居たらいつまで経ってもイルカ先生が風呂からあがれない。
 ベストを着ると風呂の前に立った。
「イルカセンセ・・」
「は、はいっ!」
 ざぶんと水が揺れる音と動揺したイルカ先生の声が響いた。怖がられている。
「あの・・、オレ・・帰ります。ハンバーグ、冷めちゃったけど、あの、良かったら食べてください。じゃあ・・」
「えっ、えっ、待ってください・・」
 ムリです、待てません。
 今にも涙が出てきそうだったので足早に玄関に向かった。サンダルに足をつっかけ、玄関を開けた。
「待ってください!!」
 振り返ると、大量の湯気と共にイルカ先生が風呂から飛び出してきた。真っ裸で。突然の裸体を前にして、かーっと頭に血が上る。
「わーっ、なんて格好してるんですか!」
 誰にも見せないように慌ててドアを閉めた。でもオレの目はその姿を凝視してしまった。目に焼き付けんばかりの勢いで。・・・湯気であまり見えなかったけど。
「イルカ先生、タオル!タオル!」
「あ、はい!」
 くるんと向こうを向いたイルカ先生のお尻はばっちり見えた。つるんと白くて丘が二つあった。
(わあー!わあーっ!)
 頭の中で絶叫する。のぼせたみたいになってクラクラしているとタオルを掴んだイルカ先生が戻ってきた。まだ素っ裸のままだった。大事なところはタオルで隠れている。
「カカシ先生、はい!」
オレじゃなくてイルカ先生――」
 皆まで言えなかった。持って来たタオルをぎゅーっと顔に押し付けられる。
「なにして・・」
「鼻血!カカシ先生、鼻血出てます!」
「へ?」









 カッコ悪い。
(穴があったら入りたい。今すぐ消えたい。時間を巻き戻してなかったことにしたい。)

 興奮して本当に上せてしまった。一体いくつのガキだよ。
 ひたっと冷たいタオルが額に乗った。イルカ先生がオレの顔を上から覗き込む。座布団を枕に居間に仰向けに寝そべって、ほとほと弱り果てていた。
「迷惑を掛けてしまってスイマセン・・」
「いえ・・っ」
 イルカ先生がそわそわと落ち着き無い。
 そりゃそうだろう。いきなりキスした変態が鼻血噴いて寝込んでるんだから・・。
「あの・・、良かったらご飯食べてください。オレなら大丈夫なんで・・。血が止まったら帰ります・・。・・・・スイマセン」
 イルカ先生のソワソワが止まった。オレを見る目が険しくなって、眉間に皺が寄る。その表情を見て、あれ?と思った。今日、初めて目にするイルカ先生の不機嫌な顔。
「・・どうしてですか?」
「え・・?」
「どうして帰るって言うんですか。まだカカシ先生ご飯食べてないじゃないですか・・。それに・・、俺、まだなんにも聞いてません。どうしてあんなことしたんですか・・?さっき・・俺に・・キス・・」
 言いながら唇に触れたイルカ先生に心臓が高鳴った。がばっと起き上がって唇に触れていたイルカ先生の手を掴んだ。イルカ先生がびくっと跳ねたけど、構わずにじり寄って間合いを詰めた。
「カ、カカシ先生・・、突然起きたら駄目――」
「スキなんです!スキです!イルカ先生のことがたまらなくスキになってしまいました!」
 勢いよく叫ぶとイルカ先生は一瞬ぽかんとして、それから言葉が染み入ったように赤くなった。ソワソワもじもじして目を彷徨わせる
「う・・、あ・・、・・・・・・・はい」
 言い及んで、言葉が見つからず、最後に頷いた。
(あれ・・、『はい』って?)
 イルカ先生の真意を掴み損ねて、でも気持ちは先走った。拒絶じゃない。心が期待するのを止めれなかった。
(それって・・もしかして・・)
「イルカ先生のことがスキですイルカ先生が傍にいるとオレは幸せになります。心が強くなります。楽しくなります。愛しくて、愛しくて堪らなくなります。イルカ先生と一緒に居たいです。傍に居て欲しいです。だから、オレと付き合ってください!!」
 緊張して早口で一気に言うとイルカ先生の返事を待った。うん、と言って欲しい。てか、言って。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい」
 真っ赤に真っ赤になったイルカ先生が頷いた。
「ホントに・・?」
「はい、あの不束者ですがよろしくお願いします・・、わっ」
 照れてもごもご言うイルカ先生に飛び付いてぎゅ〜とした。ぎゅ〜だ。
「嬉しい。幸せ。・・信じられない・・・」
 さっきまでは友達だった。だけど今からは恋人だ。今、この瞬間から新しい未来が広がる。
「大事にします。いつだってイルカ先生が笑っていられるように、幸せにします」
「・・俺も」
 控えめに言ったイルカ先生の言葉をきっかけに、顔を見合わせてふくくっと小さく笑い合った。それから顔を傾けると近づいて、照れて離れて、それからもう一度近づいて、ぎこちなく触れ合うだけのキスをした。それは初めてキスするみたいに幸せで、恥ずかしくて、甘酸っぱいキスだった。



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