やさしい手 16





 報告書を出した後、先に出たイルカ先生を追いかけて木の葉商店街へと急ぐ。夕飯の買い物で主婦でごった返す通りの中にイルカ先生を探して高いところに登る。店の軒先から上がる湯気やどこからともなく漂う香ばしい匂いの中、ぴょんと跳ねる黒髪を求めて視線を走らせる。





 あの次の日、報告書を出しに行くオレの胸の中には一つの期待があった。もしかして。一晩経って、もしかしたらイルカ先生がオレのした告白の意味に気づいてくれてるんじゃないかなんて。
 だが、受付所でオレを見つけた時のイルカ先生の笑顔を見て、その期待もあっさり消えた。
 何時も通りの笑顔。
「お疲れ様です、カカシ先生」
 にこっと笑いかけられて、がっかりする反面、ほっとした。

 うん、まあね。わかってましたヨ。

 はにかんだり、照れたりすることのないその表情を淋しく思いつつ、嫌悪や避ける素振りが見られないことに安堵する。
 告白して友達でも居られなかったら目も当てられない。
 昨日の帰り際の様子からしてそれはないだろうと思っていたが、自分で思ってたより危惧していたらしい。張り詰めた肩から力が抜ける。

「イルカセンセ、今日はもう終わりですか?」
 そろそろ時計が終業の時間を指す頃だったのでお伺いを立ててみる。
「それがちょっと残業が入ってしまって・・・」
 眉をへの字に下げたイルカ先生が俯いて、ごそごそズボンのポケットを探った。
「カカシ先生、先帰っててくますか?何時に終わるのかはっきりしないので・・・」
 差し出されたこぶしにつられて、その下に手を広げると、ぽとっと温かくて固いものが置かれた。
 イルカ先生んちのカギ。
 ポケットから出てきたばかりのほやほやのカギが手の平を暖める。
「・・・いいの?」
 と言いつつ、手はしっかり鍵を握り締めていた。

 鍵を預けて貰えるほどイルカ先生はオレを親しく思ってくれてる。
 自分が家に居なくても、オレが家に上げていいと思うほど気を許してくれてる。

「おいしいご飯作って待ってます!だから早く帰って来てくださいね!」
 嬉しさにふわーっと舞い上がった気分のまま、気づけば新妻のようなせりふをはいていた。言った内容の恥ずかしさに覆面の下が熱くなる。
「そ、それじゃ!」
「――はい・・あの・・帰るのが遅かったら先にご飯食べててくださいね」
 うんうん頷いて、イルカ先生の顔をまともに見ることが出来ずに視線をおろおろ彷徨わせたまま受付を後にした。
 口布や額当てで顔が隠れてて良かったなんてこの時ほど思ったことは無い。


「おかえりなさい」
 オレが帰宅してから2時間後、帰って来たイルカ先生に用意していた言葉をかける。
 玄関先で立ち止まったイルカ先生が、一瞬、ぽかんとなった後破顔して、
「た、ただいま・・」
 と、つっかえながら照れたように言った。
 その顔の可愛らしかったこと!
 その後二人で食べた夕飯はいつもよりおいしく感じた。

 夕食後、預かっていたカギを返そうとイルカ先生に差し出すと、手を押し返された。
「預かっててください。今日みたいに俺の方が遅くなることもあるから――」
 あの後イルカ先生がなんと言っていたのか定かではない。
 嬉しすぎて理性の箍が外れてしまって飛び跳ねてたから。

 その日以来、オレのズボンのポケットにはイルカ先生んちのカギがある。イルカ先生と同じ右ポケットに。

 役割分担なんかも決めてみた。その方がきっとイルカ先生もオレに対して気を遣わなくなるんじゃないかと思ったから。
 買い物はイルカ先生が担当。必要なものを書いたメモを渡してイルカ先生に買ってきてもらう。その際、財布も一つにした。決まった額をお互い出し合って、財布はイルカ先生が持っている。でも買い物に行く時はたいがい一緒。オレの方が早く終わった時は商店街の入り口で待ち合わせして、イルカ先生の方が早く終わったときは今日みたいに追いかけた。





 電信柱のてっぺんにしゃがんでイルカ先生を探す。足元から通りの向こうまで見渡して、――――居た。商店街の中ほどの市場への入り口に脇に。
 主婦ばかり集まった人だかりの中にひょっこり飛び出た尻尾を見つけて屋根伝いに近寄る。
(何してるんだろ?)
 動く気配がないのにイルカ先生の視線の先を探れば、時折、おぉっと人だかりから歓声が上がる。
 なになに?と人だかりの中心がよく見える位置に、カニ歩きで電線を移動すると、実演販売をやってた。なんていうんだっけ。野菜とかスライスするやつの。
 シュッ、シュッ、と器具の上を滑らせたキャベツが受け皿の中で千切りになっている。そんなの包丁ですればいーじゃないの、と思ったがイルカ先生は違ったらしい。目を輝かせて器具を見つめている。
(――カモだ。)
 オレがあの実演をしてるおっちゃんだったら、真っ先にイルカ先生に目をつける。そのぐらいイルカ先生の目は真剣だった。
(買いそうだな。)
 実演が終わってばらばらと人が去っていくのに頭を掻いた。イルカ先生が欲しいんだったら買ってもいいけど。
(うちじゃあんまり使わないよ?)
 止めようなどうしようか悩みながら地面に降りる。だけど、それは杞憂に終わった。
 イルカ先生の手にはすでにそれが入った袋が握られてた。
(だったらどうしていつまでも見てるのだろう・・?)
「イルカせーんせ!」
 ずっこけそうになる気を取り直して声を掛けた。
「あ!カカシ先生」
 振り返ったイルカ先生が申し訳なさそうに頭を掻いた。
「すいません、まだ買い物終わってないです」
「それはいいけど・・・」
 ソレ、と袋を指差すと、「買いました!」と何故か誇らしげに袋の中を見せてくれる。袋の中は箱に入っててよく見えないが、箱にはさっきの器具の写真が載っている。替え刃もいろいろ付いてるらしい。
 ふぅーんと見てると袋を持ち直したイルカ先生が歩き出した。
「これ凄いんですよ。いろんな野菜がいろんな形に切れるんです。お肉も切ってました」
「うん」
「・・・・これでね、俺ももうちょっとカカシ先生のお手伝いが出来ると思うんですけど・・・」
 どうかな?ってカンジでイルカ先生がオレを見た。
 その自信なさげな顔の可愛らしかった事といったらなかった。
 なんていうか健気。ぎゅうして大丈夫だよーと頭を撫ぜたくなるくらい。イルカ先生の言動ってやることなすことオレの心臓にきゅんきゅん突き刺さる。
「じゃあ・・帰ったら今日はイルカ先生がサラダ作ってね。楽しみにしてます」
「はい!」
 期待と不安の入り混じった表情でイルカ先生が頷いた。
(うわぁ・・・)
 またぎゅうしたくなった。




「それでね、ここんとこ・・こうして・・・」
 うんうん、とイルカ先生の手元を覗き込む。

 家に帰り着いたイルカ先生はさっそく器具を洗ってセットした。不器用に皮を剥いたニンジンをその上に置いてスライスする。シャコシャコと薄い輪切りにして、それに包丁で切れ込みを入れて差し込んで。
「できた!!」
 ほらっと得意げに差し出されたイルカ先生の手の平に、ニンジンで出来た小さな蝶々。
「わっ!すごいですね!」
「へへっ・・・何回もおじさんがやってるの見て覚えたんです」
(ああ、それで・・・)
 イルカ先生が買った後もそこに立ってたことを思い出して納得。
 あの時の真剣なイルカ先生の表情を思い出してくすぐったい気持ちになった。
 何を想いながらおじさんが作る蝶々を見ていたのだろう。
(その想像の中にオレは居たのかな?)
 だったらいーな。
 傍にいないときでもオレのことを想っててくれたら――。
「いっぱい食べてくださいね」
 一生懸命手を動かしながらイルカ先生が嬉しそうに笑う。
「うん」
 心の中でイルカ先生をぎゅうしながら頷いた。

 その日、イルカ先生が作ったサラダには、レタスの上にたくさんの蝶々が舞っていた。



text top
top