やさしい手 15
体を揺すられて目を開ければ、蛍光灯の光に逆光になったイルカ先生を下から見上げていた。
「ふぇ?」
非常に間抜けな声を上げて、なにしてたんだっけ?と呆けた頭で考えていると困った顔したイルカ先生が口を開けた。
「カカシ先生、そろそろ11時になりますけど・・・あの・・・」
「あっ」
がばっと起き上がるとイルカ先生が身を引いた。かなり寝入っていたのか体が重い。
「遅くまでゴメンナサイ。帰ります。えっと・・・」
ふらつく頭を掻きながら、ベストは?と部屋の中を見回して、――片付けられた卓袱台に違和感を感じた。
(・・・あれ?)
オレ、イルカセンセイに告白したよーな・・・。
座り込んだまま首を捻ると、夕食の時の光景が脳裏に過ぎって、急に動悸が激しくなる。
(したよな?)
それでイルカ先生にも好きって言って貰えたような・・・。
(したよね?)
答えを求めるようにイルカ先生を見るが、部屋の隅に置いてあったベストを持ってきてくれるイルカ先生にいつもと違う変化は見られない。
(・・・・・・・・・・・あれ?)
混乱したままベストを着込んで玄関に向かう。台所をちらっと覘いて夕食時の記憶の証拠となる食器や使ったものの形跡を探すが、綺麗に片付けられてて、見当たらない。
「おじゃましました」
サンダルを履いて後ろに立つイルカ先生を振り返る。
ほんとはまだ帰りたくない。もう一度イルカ先生の気持ちを聞いて、記憶を確かなものにしたい。もう一度その口からオレのことを好きって言って欲しいのに、
「おやすみなさい」
首を傾げてにっこり笑われると、話を切り出すきっかけを失ってしまい、
「・・・おやすみなさい、また明日ね」
じゃあ、と片手を上げて玄関を閉めた。
固く閉ざされたドアに向かって考える。
(・・・・・あれって――夢?)
* *
(いやいや、違うよ、夢じゃないよ)
とぼとぼ夜道を歩きながら必死に思い返していた。
あの時のやり取りを。
そして思い出して、ずーんと落ち込んだ。
失敗しちゃったな。
あんな風に言ってはいけなかった。
伝えるならもっとイルカ先生がオレのことを知ってから、もっとオレに打ち解けてくれてからの方が良かった。
そして、これは告白なんだとイルカ先生にも解かるシチュエーションが必要だった。
それならもうちょっと可能性があっただろうに。
暗がりを歩きながら、話の流れのように言ってしまったことを深く後悔する。
『お、俺もカカシ先生のこと好きです』
イルカ先生が勢い込んで言ったとき、信じられなくて、嬉しくって、嬉しくて嬉しくて、舞い上がった。
触れたくなって、抱きしめたくて、膝を抱えたイルカ先生ににじり寄ると、彼ははにかんだ笑みを見せた。
いいんだ、そうしても。
イルカ先生の笑みにそれが許されたと思った。
ずっと触れたかった。強く抱きしめて直にイルカ先生を感じたかった。オレはイルカ先生が好きだ。それはもちろん肉欲込みで、だ。
いきなりコトに及ぼうと思ったわけではないが、キスはしてもいいかな、なんて。
だが、歓びに震えそうになる手を伸ばして頬に触れようとすると、イルカ先生が抱えてた膝を離して言った。
「さっ、ご飯食べましょう!」
勢い良くご飯を掻き込みだしたイルカ先生にしばし、呆然。
「カカシ先生、どうしたんですか?冷めちゃいますよ?」
きょとんと、不思議そうにオレを見るイルカ先生に体から火を噴きそうになった。
うわぁ・・今思い出しても恥ずかしい。
誰も居ない夜道、赤面してるはずの顔を隠したくて右手を上げて頭を掻いた。
ほんとに恥ずかしい。
イルカ先生の好きはあれだ。友達としての好き。
無邪気な、なんの気負いのないイルカ先生の瞳を見て、オレはそれをイヤというほど思い知った。
行き場を失った手を下ろして卓袱台の前に座りなおすと大人しくご飯を食べた。イルカ先生がはむはむとしいたけを食べるのを見ながら、ちょっと泣きそうになる。
それはイルカ先生にオレと同じだけの気持ちを返して貰えなかったから。
オレって小さい。ありんこほどの器もない。
好きだと口にしたときはイルカ先生の答えが欲しいとか、付き合おうと思った訳ではないと思ってたくせに、いざイルカ先生の気持ちを知ると――へこんだ。
イルカ先生にもオレを好きになって欲しい。友達とかそんなんじゃなく、かけがいのない存在として。
オレは贅沢になってしまっていた。
イルカ先生の傍に居て、ともに食事をするようになって、もっと近くに居たいと。
食事を続けながら、何とかならないかと画策する。
もう一回、もっと真剣に言ってみたらどうだろう。
あんな言い方だったからイルカ先生にだってオレがそんな風に好きだってことが伝わらなかったに違いない。
食事が終わったらもう一回言ってみよう。
決心を固めて夕飯の残りを掻きこんだ。
起きてても寝ぼけてても、オレはどこまでも往生際が悪かった。
もやもやしながら食事を終え、片付けようとするイルカ先生を手伝おうと立ち上がると、イルカ先生に制された。
「座っててください。カカシ先生は作ってくれたから片付けるのは俺がします」
手伝うことで早く片付け、イルカ先生との時間が少しでも長く欲しいオレだが、目の前にお茶を出されると、イルカ先生の気持ちを無碍にも出来ず、お礼を言ってお茶を啜った。
早く終わらないかなーとイルカ先生の見えるところに移動して、背中を見つめ、どう話を切り出したものかと考える。
が、いっこうに上手い手は思いつかず、イルカ先生の片付けも終わらない。
それでも必死に考えてたはずなのに。
動くたびにピョコピョコ跳ねる尻尾を目で追っていると次第に瞼が重くなってくる。
だめだと思ったのに、水の流れる音や食器の重なる音を聞いてる内に、いつの間にか眠っていた。
アホだ、オレ。
イルカ先生の家は考え事するにはあまりにも居心地が良すぎた。
* *
カチコンと蛍光灯の紐を引っ張って部屋の明かりを点けた。
誰も居ない部屋は見慣れてるはずなのによそよそしくて今すぐイルカ先生の部屋に帰りたくなる。
ここじゃないよぉと疼く胸を無視してベストを脱ぐと点けたばかりの明かりを消して布団に潜った。
そして考える。
どうしたらイルカ先生にオレのこと好きになってもらえるか。
焦って告白したって、また今日の繰り返しになるに決まってる。
さすがにあれを繰り返すのはキツイ。
二度目は確実に、だ。
ごろごろ寝返りを打ちながらイルカ先生のことを想う。
オレが帰った後のイルカ先生ってなにしてるんだろう。
考えてみれば何度も家に行ってるのに、泊まったのは一回だけ。
またイルカ先生んちに泊まりたいな。
そしてあの時みたいに抱きしめて眠りたい。
被っていた布団を丸めるとスカスカする腕の中に抱き込んだ。やわい布団は腕の輪を縮めるとその分へこんで物足りない。するとますますイルカ先生への思慕が募っておかしくなりそうだった。
イルカ先生んちに泊まれるぐらい親しくなろう。
まずはそこから、と決めて瞼を閉じた。