やさしい手 14





 毎晩イルカ先生の家に寄って晩御飯を作るのが日課になった。


 時々待ち合わせて帰りに買い物をしたり、料理を作ったり、偶にお風呂を頂いたりして、毎日がすごく楽しい。
 そうなると一日一日が充実していて、今までなんとなく過ごしてきた時間がとても大切な物に思えた。一分一秒たりとも無駄にしたくなくなった。だから待ち合わせにも遅れなくなった。集合場所に約束の時間よりも早くに居るオレに子供たちが怪訝な顔をしたけれど気にはならなかった。早く任務を終わらせて一秒でも早くイルカ先生に会いに行きたかった。一秒でも長くイルカ先生の傍にいたかった。
 毎日を一緒に過ごすうちに自分でもどうしようと思うほどイルカ先生のことが好きになっていた。




 そんなことをしたのはちょっとした好奇心からだった。ただ、こんな時イルカ先生はどうするのかなー、と思って。
 後になって冷静に考えればそういう結果になるのは解りきったことだったのに。

 イルカ先生は何でもよく食べる。嫌いなものなんかないみたいに。だから好き嫌いなんてないんだと思っていた。
 なのに。
 何度もこうして一緒にご飯を食べたというのに今までまったく気付けなかった。
 侮れない。
 その辺はイルカ先生もさすが忍と言うべきか。隠してるそぶりすら見られない。
 でもオレ、ちゃんと聞いたのにな。
 『キライなものあったら言ってくださいね』って。
 もくもくとご飯を口に運びながらイルカ先生がソレをどうするのか見守った。

 でん、と置かれた椎茸の肉詰めを。

 むしろ好物なんだと思っていた。
 味噌汁に浮いていたなめ茸は嬉しそうに箸で摘んでちゅるんと食べていた。ベーコンで巻いたしめじなんて醤油をかけて口いっぱいに頬張っていた。あんまりおいしそうに食べるからオレのも分けてあげたくらいだ。
 恐らく、キノコは好きなんだろう。ただ、椎茸だけが例外なだけで。
 前にしいたけを味噌汁に入れた時は薄く千切りにしていたからサラサラっと飲み込んだ。
 その時に、あれっと思った。イルカ先生って何でも良く噛んで食べてたから。もしかして、と思い次に野菜炒めに1/4に切って入れてみてもそうした。噛まずに飲み込んだ。
 一緒に入ってた野菜や他のおかずはよく噛んで飲み込み、口の中を空っぽにすると残ったしいたけだけ口に入れてすぐに、んぐっと飲みにくそうに飲み込んだ。ちょっと眉間に皺を寄せて。

 このときのガッカリした気持ちを何と表現したらいいんだろう。
 言ってくれればいいのに。
 キライなものがあるなら教えて欲しかった。
 よくよく考えたらオレはイルカ先生のことを何も知らない。イルカ先生はアカデミーのこととかその日あったことは良く話してくれるけど、自身のことについてはあまり話してくれない。好きなものとか趣味とか子供の頃の事とか得意な事とか苦手な事とか。
 オレが知ってることと言えば、洗濯は手洗いだとか家事はどうやら苦手らしいとか、表面的な事ばかりで。どうして時々痛そうな顔をするのかとか、あの時泣いた理由も聞けずじまい。イルカ先生はそんな顔見せても一瞬で隠すから触れたくても触れられないのだ。
 ほんとはもっといろんなこと知りたいのに。


「カカシ先生・・・食べないんですか?」
 茶碗と箸を持ったまま考え込んでたオレにイルカ先生が不思議そうな視線を向けた。
「ん、食べてますよ?イルカ先生もホラ!コレも食べてね。オレの自信作」
 ずずっとしいたけの乗った皿をイルカ先生の方へ押した。
 別にいぢわるしてるわけじゃない。
 ただ知りたかったのだ。イルカ先生がどうするのか。
 今日のしいたけは一枚のまま傘の部分にしっかり肉を詰め込んで焼いてある。絶対に飲み込めない大きさだ。
 イルカ先生はコレを食べるのか食べないのか。噛むのか噛まないのか。
 それとも、しいたけは嫌いですと言ってくれるのか。
 いろんな思惑に駆られながら見ていると、イルカ先生がいよいよしいたけに箸を伸ばした。
「おっきなしいたけですね」
 そう言って笑う顔にウソは見られない。純粋にびっくりしてる顔だ。そりゃあそうだろう。スーパーで並んでいた中で一番大きいのを買って来た。普通の倍。子供の手の平ぐらいはある。
 何度も言うけどほんとにいぢわるしてるわけじゃない。
 ただ、イルカ先生のことを話して欲しかっただけなんだ。
 イルカ先生の箸がしいたけに伸びるのをドキドキしながら見ていた。
 しいたけを摘む箸の先を凝視する。
「あっ」
 摘み上げたしいたけが大きくて箸の先から転げ落ちた。皿にぶつかって肉としいたけが分離する。てへへとイルカ先生は照れたように笑って肉の方だけ先に口に入れた。
「おいひいれす」
 口をモゴモゴさせながらイルカ先生が言った。それににっこり笑って見せた。肉が好物なのは判ってる。問題なのは残った、ソレ。
 このまま残すのかな。
 それならそれでぜんぜん良かった。嫌いなものを隠されるよりむしろその方が。
 なのに、イルカ先生は何でもないかのように箸を伸ばしてぱくっとしいたけを口に入れた。
 食べちゃった・・・。
 なんだか面白くない。
 イルカ先生を見ていると口をもごもごさせている。あれって顔して初めてその大きさに気付いたみたいに。
 ・・・・飲み込めないんだ。
「イルカセンセ、無理しなくても――」
 ――いいですよ。
 そう言おうとしたら、飲み込んだ。
「ん・・ぐっ!」
 で、喉に詰まらせた。
 イルカ先生の手から箸がぽろっと落ちて、どんどん胸を叩いた。
「ちょっ!なにやってんの!」
 慌てて後ろに回りこむ。
「出して!いいから出して!ちょっと、なにやってんの!?」
 ばしばし背中を叩いて吐き出させようとしていると、イルカ先生がぽろぽろと涙を零しながらお茶に手を伸ばし、口に含むと一気に流し込んだ。
「けほっ・・・はぁ・・・びっくりした・・・」
 苦しそうに息をする。
「イルカセンセ、大丈夫?」
 あーもう!なんでこんなこと試したんだろ。こうなる可能性が一番高かったのに。
 深く反省した。もう2度とこんなことしない。それでも、
「すいませんでした。食事中に・・・」
 イルカ先生がしおらしく謝るのを聞くと、カッとしてバンッと卓袱台を叩いた。勢い良く叩きすぎて上に乗っていた物が跳ねて、イルカ先生もビクッと跳ねた。
「なにやってるんですか!あんな大きいもの飲み込む人がいますかっ!」
「すいません・・・」
 イルカ先生がしゅんと項垂れた。
「すいませんじゃないですよ。大体嫌いなものがあったら言ってくださいって最初に言ったじゃないですか。」
 これは八つ当たりだ。判ってる。でも押さえられなかった。
「言ってません」
 項垂れたまま小さい声でイルカ先生が反撃してきた。
「言いましたよ」
「言ってません。カカシ先生が言ったのは『食べれない物があったら・・・』でした。俺、しいたけは食べれます。嫌いだけど、ちゃんと食べれます」
「・・・ナニそれ・・・」
 体からどっと力が抜ける。
「もういいです」
 腹が立つやら呆れるやらで投げやりに言ってしまった。するとイルカ先生が大きな体を縮こまらせて、「だって」と呟いた。
「なんですか」
「・・・俺、カカシ先生に迷惑かけてるから」
「ナニ言ってるの?」
 思わず低い声が出た。
「オレ、迷惑だなんて言ってないデショ?」
 取り繕うように軽く言ってみたが。
「でも・・・俺があまりにも身の回りのことが出来ないから。それでカカシ先生は・・・。それなのに好き嫌いなんて――」
 言えません、と消え入りそうな声で呟いて、これ以上ないぐらい眉間に深く皺を寄せる。
 もう、なんだかな。
 イルカ先生も自分のことを話さないけど、オレも話してなかったことに気付いた。お互い言葉が足りない。
「ちがーうよ。オレがご飯つくりに来てるのはイルカ先生と一緒にいたいからですよ。イルカ先生がおいしそうに食べてるのを見るのがすきなんです」
 わかりました?と、ぽんぽん頭を撫ぜてから立ち上がる。しいたけの皿を取ると台所へ持って行き、食べやすいように6等分にカットする。
 それにしてもイルカ先生があんな風に思ってるとは思わなかった。いつもニコニコしてのんびりしてるように見えるけど、心の中でいろいろと抱え込んでしまっているのかもしれない。意外と人から与えられる好意に慣れていないのかな――。
 どれも憶測ばかりではっきりしない。
 ならこれから知っていくしかない。もっと話をして――オレのことも知って欲しい。
「ホーラ、いつまでもいじけてないで。ご飯食べまーすよ」
 居間に戻ればイルカ先生が膝を抱えている。
「別に・・・いじけてなんかないです」
 そう言いながらも唇を尖らせて、怒られた後の子供みたいないじけっぷりに思わず噴き出した。こういうイルカセンセイの頑ななところは嫌いじゃない。むしろ可愛くって仕方が無い。でも、いつかその頑ななところが解けてくれればいいなとも思う。
「ねぇ、イルカセンセ。コレだけは知っておいてね。オレはアナタのことが好きだからいろいろ世話やいちゃうけど、それを負担に思う必要はないからね」
 本当はまだ伝えるつもりはなかったけど、言っておいたほうがいいような気がして、はっきり言葉にして伝えた。だからといって、今すぐイルカ先生の答えが欲しいとか、付き合おうとか思ってたわけじゃない。
 なのに、イルカセンセイは俯いていた顔をばっと上げると、

「お、俺もカカシ先生のこと好きです」


 ――・・・返事を貰えてしまった。



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