やさしい手 13
イルカ先生に顔も見たくないと思われるほど嫌われてる――・・・かも。
浮かんだ考えを辛うじて疑問の形にしてみても、不安や焦燥が込み上げて胃の底でむずむずと何かが這い回る。頑なに俯いたイルカ先生の表情は伺えなくて何と言っていいのか分からないでいると、イルカ先生が掻き混ぜていた手を止めて、鍋にフタをすると火を消して、顔を見せないように背を向けて台所から出て行こうとする。
「待って!」
引き止めようと背後から肩を掴めば、ビクッとイルカ先生が震えた。それでも手は離さない。
「ちゃんと話をしましょう?・・・その上忍とかそんなの気にしなくていいから思ったこと言って――・・・」
「ちがいます。ただ顔を洗いに行こうと思っただけで・・・。怒ってるとかそんなことぜんぜんないですから・・・・・あっ」
前に回ってイルカ先生の顔を覗き込もうとして――背けられた。その上肩を捩って掴んだ手から逃れようとする。
怒ってないって言ったくせに!
避けられてることが悲しくなって更に回り込めば、今度は腕を上げて顔を隠す。その手首を掴んで顔から引き離そうとすれば力を入れて抗った。
「や・・めて、くだ・・さい」
「イルカ、センセ」
もう片方の手でオレを押し退けようとするのに、その手首も掴むと、今度はしゃがみ込むようにして避けるのに、両手首を上にひっぱり上げた。
嫌がってるイルカ先生にこんなこと・・・。
自分でもびっくりするほど余裕がない。
「やめてください!や、だっ・・って!」
顔を背けようないほどイルカ先生をひっぱり上げて――固まった。
「あ。」
「はなせーっ!!」
「・・・・・・・ぶっ」
「・・・っ!笑うなっ!」
「いや、・・ごめっ・・・、フッ、ククク・・・あ、イテッ」
堪えながら笑っていると脛を蹴られた。まったく容赦がない。
「だから嫌だったのに・・・」
なんだ。コレが理由か。
赤い顔をして必死に顔を背けようとするイルカ先生の瞼は水を孕んでぷくりと腫れ上がっていた。いかにも『昨日泣きました』といったカンジで。
安心してまた笑いが込み上げそうになるとイルカ先生が口をへの字に曲げた。
「カカシ先生が昨日あんなことするから・・・」
「えっ、オレ?」
小さな声でぶつぶつ呟いて、はっとしたように口を閉じる。その口角がみるみる下がって。
あらら。自分で言って傷ついてる。
別にいいのに。
「あんなコトってどっちのほう?」
ちょっとイジワルに聞いてみる。
「え・・・?」
「ヘッドロック?それとも、――その・・・」
後のほう?
耳元で囁けば、羞恥に顔を赤くしてきつく目を閉じた。
「じゃあ責任とらないと。ね?」
そのままの体勢でイルカ先生を引っ張って居間に連れて行った。さっき不安にさせてくれたお返しと、――そんなことで傷つく必要なんてないことを知らせるために。
「わわっ、ちがっ、昨日は俺が勝手に・・・っ」
とたとたと手を上げたまま後ろ向きに引っ張られて縺れそうになる足を動かしながら必死に言い募る。
「はーい。ここにすわってくださーい」
必要のない弁解には聞く耳を持たず、座布団の上に降ろすとイルカ先生はぺたんと膝を曲げて座った。
「カカシ先生、あの・・・」
気まずそうに見上げてくるのにしゃがみ込んで視線を合わせる。
「目を閉じてて」
ぎゅうっと寄せられた眉間の皺が愛しい。
「ホーラ」
そこをつんつん突付いて促すとゆっくり緊張を解いて瞼を下ろした。
ん。いい子だね。
膝の上でぐっと握られた手をぽんぽんと軽く叩くと背後に回った。イルカ先生のすぐ後ろに膝を立てて座ると目隠しするように瞼を覆う。
「・・・・カカシ先生?」
「ん・・・そのままでいてね」
不安げな声を上げるのに出来るだけやさしく聞こえるように言った。
ぷくぷくしたイルカ先生の瞼を中指の腹で押さえてその感触を確かめる。
そっか。これはオレのせいなのか。
昨日のイルカ先生の泣き顔を思い出してくすぐったい気持ちになる。いくつか目の周りのツボを押してそれからゆっくりとチャクラを流しはじめた。
「な・・に?」
「血行、良くしてるの。・・・フラつくデショ?凭れてていーよ」
目の上でチャクラを回され平衡感覚を無くしてグラついたイルカ先生をそっと引き寄せ胸に凭れさせた。預けられた背中から少しずつ熱が伝わって胸に広がっていく。
そうしてる内にカーテンの布地を透かして入り込んだ朝の光が部屋中に満ちた。
***
「そんなに見ないでくださいよ」
朝から勢い良くご飯を掻き込むのを見ながら、チラッと目元に視線を走らせれば、拗ねた口調で言ってむすっと口を尖らせた。
「ハハハ・・・・ゴメンなさい。・・・でもそんなに気にしなくても分からないと思いますよ」
それを気休めと受け取ったイルカ先生がむすっとしたままご飯を口に運んだ。その目元はさっきよりはマシになったとはいえ、よく見ればわかるかな?というぐらいには腫れが残っている。
「イヤ、・・・ほんとーに」
「・・・そんなこと言って・・・・じゃあバレたときはカカシ先生に泣かされたって言いますからね」
「げふっ」
悪戯が成功したときの子供みたいな顔して咄嗟に噎せたオレを得意げに見ているが。
わかってない!この人絶対その意味判ってないっ!
「そーしてください・・・ぜひ」
それを聞かされた時の周りの反応が見てみたい。
沢庵をぽりぽり噛みながら、まだ告白もしてないのに二人の関係が公になる瞬間を夢見てしまった。
「カカシ先生、なんだか顔赤いですけど・・・もしかして風邪なんじゃあ―――」
ウルサイよ。なんでこの人こんなに天然なんだ。
「ちがいます。それよりイルカセンセ、早く食べないと時間なくなりますよ」
「あ」
時計を指してやれば、慌てて箸を動かすことに専念しだした。昨日の残り物のご飯に味噌汁、それに朝焼いた玉子焼きといったメニューを厭きもせずおいしそうに平らげていく。
「・・・イルカセンセ、今晩、なに食べたいですか?」
気になっていたことをさりげなく聞いてみた。玉子焼きを突付きながら。
「・・・え」
忙しなく動いていた箸が止まる。きょとんとこっちを見るのに、ずんと胸の中に何かが沈んできた。池に重い石を放り投げたみたいに。
やっぱり厚かましかったか。毎日来たいとか言ったら・・・迷惑だよねぇ。
次はどうやって来よう、今度はいつここに来れるんだろう、そんなことを考えていたら、
「ぶり」
唐突にイルカ先生が言った。
「は?」
「ブリの塩焼きが食べたいです」
「あー・・・、ブリは冬にならないと手に入らないですよ・・・」
「そうなんですか?じゃあそれは冬になったらで・・・・うーん・・・」
「・・・アジなら今が食べごろですよ」
「じゃあ、アジが食べたいです」
「わかりました。今日はアジで」
味噌汁を口に含みながら、ゆっくりと今の会話を反復して――理解する。
・・・・・・・・・・・やった。
またここに来れる。しかも冬まで来てもいいらしい。
「ね、イルカセンセ。あの・・・毎日ご飯つくりに来てもイイ?そうしてもかまわない?」
欲を出して聞いてみる。イルカ先生が首を傾げて考えるのに、「頷いて」と願う。
「俺は構わないですよ。カカシ先生のご飯おいしいですし」
許可が、出た。
「よかった。じゃあこれからもよろしくお願いします」
頭を下げると慌てたイルカ先生が箸を置いて、「こちらこそ」と頭を下げ、鼻のキズを掻いた。
それから二人で片づけを済ませると一緒に家を出た。帰りは同じぐらいの時間になりそうだったので、待ち合わせして買い物に行く約束も取り付けた。