すこしだけ 9



果たしてカカシ先生は俺のことを好きなのかどうか。

最初の告白以来、好きと口にしなくなったカカシ先生に頭を悩ませた。
いや、もう好きでなくなったのならそれはそれでいいが、違うのならそれなりの対処をしなければいけない。
俺は誰とも付き合う気はないから、もしまだ好きならば丁重にお断りする必要がある。
だけど何も言わないカカシ先生に、こっちからその話を持ち出すのは気が引けて、結局はっきりしないまま数日が過ぎた。

今日も仕事が終る頃になるとカカシ先生が迎えに来た。
いつも空きっぱなしの職員室のドアからカカシ先生が顔を覗かせると、放課後でざわついていた職員室がシンとなった。
何事かと先生達の視線が入り口に向いて、カカシ先生が困ったように頭を掻いた。
弱った視線がこっちを向いて、俺は席を立つと急いで入り口に向かった。

「どうしたんですか?」
「こんなところまでゴメンなさい。受付の方に行ったら今日は入ってないって言われたから‥‥」

シンとした職員室に大きな声を出してはいけないと思ったのか、カカシ先生は頭を下げて内緒話をするように声を潜めた。
それでもカカシ先生は背が高いから、自然と俺はカカシ先生を見上げる形になった。

「この後どうしますか‥?」
「日報書いたら終わりなんです。すぐ出ますんで、門のところで待ってて貰っていいですか?」
「ウン。じゃあ後で」

にっこり笑うと去っていく。
少しだけその背中を見送って、席に戻ろうと振り返ると一斉にみんなの視線が突き刺さった。
カカシ先生もこの視線に晒されたのかと思うと気の毒になる。
でも内勤をしていると外勤の忍びや戦忍と疎遠になるから、みんなが関心を持つのは分からなくも無かった。
しかも相手はカカシ先生ほどの忍びだ。
内勤じゃなくても関心は高い。

「なんだよ、イルカ。お前、はたけ上忍と親しかったのか?」

隣の同期のヤツが話しかけてきたのをきっかけに、わっと周りを囲まれた。

「親しいって言うか何て言うか‥‥。はたけ上忍の部下が俺の教え子だったからそれで知り合いになって――」
「えー、いいなぁ。はたけ上忍と知り合いになれるなんて羨ましい」
「はたけ上忍って普段どんなことしてるんですか?」
「え?いや、俺もそこまでは知らない」
「どんな話したりするんだよ?」
「子供たちのこととか、ご飯のこととか‥」
「それで、はたけ上忍は何の用事だったんだ?任務か?」
「いいや。晩ご飯食べに行く約束してたから――」
「えーっ!私も行きたい!良いでしょ?イルカ先生?」
「ずるいっ、私も!」
「それなら俺達も行きたいよな?なぁ?」
「おう」

いいだろうと期待の視線が集まる。

「え、でも、カカシ先生に聞いてみないと――」
「じゃあ、はたけ上忍がOKしたらいいですね」

勝手に話は纏まって、みんな慌しく片づけを始めた。




大人数で門に押しかけた俺達に、カカシ先生は嫌な顔せずに了承してくれた。
内心断るだろうと思っていた俺はショックを受けた。
そしてショックを受けた自分に吃驚した。
前はこんな風にみんなで食べに行くのが好きだったのに、今は集団を疎ましく思う気持ちがあった。
楽しそうなみんなの顔を見ているとイライラして、――だけどイライラする自分が嫌だ。
居酒屋では当然のようにカカシ先生の周りをくのいちの先生たちが囲み、席が離れた。
いつもなら俺が隣なのにと思うと面白くない。
はっとカカシ先生の糸を見ると、誰とも繋がっていなかった。
ホッとすると同時に意地の悪い気持ちも込み上げる。
どんなに取り入ったって、誰もカカシ先生と結ばれたりしない。
だけど不意に気になった。
結ばれなくたって、カカシ先生が誰かと付き合うことはあるじゃないか。

(その時、俺は――)

きゃーっと歓声が上がり、はっと声の方を見た。
カカシ先生が、あっさりと口布を下ろし、くのいちの先生のみならず男の先生もカカシ先生に見惚れていた。

「いいんですかぁ?」
「だって、下ろさないと食べれないデショ?」

甘えるくのいちの先生に、カカシ先生がにっこり笑って胸の中がぐちゃぐちゃになった。

「お、どうした?イルカ」
「ちょっとトイレ」

部屋を抜けると足早にトイレに向かい、洗面台の蛇口を捻った。
冷たい水に手を浸して顔を洗う。
何度かバシャバシャやって、流れを受け止める自分の手を見た。
落ち着けと自分に言い聞かせて気持ちが静まるのを待つ。
どうしてこんなにもイライラするのか――。
キィと音を立ててトイレのドアが開いた。
誰かが入ってくる気配に、我に返って蛇口を閉めるとポケットからハンカチを出して顔を拭いた。

「どうしたの?具合悪い?」

聞こえてきた声にかあっと顔が熱くなった。
当たり前のことなのに、自分だけがカカシ先生の顔を見ることを許されたと、特別のように思い上がっていたことが恥ずかしい。

「なんでもないです」

丸めたハンカチをポケットに押し込むとカカシ先生の横をすり抜けようとした。
が、すぐに腕を引かれて足を止めた。

「イルカセンセ、忘れてるよ」

額当てを渡されて、かぁっとなった。
顔を洗う時に外したのを忘れていた。

(こんな大事なものを忘れるなんて‥)

醜態ばかり晒す自分が嫌になる。

「すいません‥」
「待って、まだ額が濡れてる」

額当てを結ぼうとした手を止めて、カカシ先生が俺の額を拭った。
ハンカチをそうっと押し当てて、水分を拭っていく。
そうされると、さっきまでのイライラが抜けて行った。
気持ちが落ち着いて、――代わりに胸の奥でちくちくする痛みに気付いた。
額当てが手から取られ額に当てられる。
きゅっと頭の後で布が結ばれ、顔を上げようとするとカカシ先生の腕が背中に回った。
距離が縮まって、腕の中に抱き込まれる。

「‥‥みんなを連れて来たのは、オレと二人で食事しないため‥‥?」

どこか不安げな声に体から力が抜けた。
同時に胸の痛みも治まって、安らかな気持ちになる。

「違います。話をしたら来たがったから‥‥」
「そう」

ぎゅううと一際腕の力が強くなって、抜けた。

「みんな待ってるから戻って」
「はい‥」

いささかぼうっとなりながら席に戻ると、隣のヤツがこっそり謝ってきた。

「ごめんなイルカ。はたけ上忍怒ってなかったか?いきなりこんな大人数で囲んで迷惑だったよな」
「いや、そんなことないよ」
「そうか?だったらいいんだけど‥」
「気にするなって」

ぽんぽんと背中を叩いて空の盃に酒を注ぐ。
返盃されて盃を傾けているとカカシ先生が戻ってきた。
すぐにくのいちの先生に囲まれたけど、さっきのような苛立ちは襲ってこなかった。

「はたけ上忍って彼女いるんですかぁ?」

不意に聞こえてきた会話を耳が捉えた。
ずっと気に掛かっていたことを知れるチャンスに、同僚達と騒ぎながら耳を傾ける。

「‥いないよ」
「そうなんですかぁ?はたけ上忍かっこいいのに」
「なら私が立候補していいですか?」
「それはダメ。オレ、好きな人がいるから」
「きゃあ、うそ!はたけ上忍、片思いしてるんですか?」
「う〜ん。そうなるのかな‥」
「えぇ、どんな人?はたけ上忍が好きになるぐらいだから綺麗な人?」
「そうだなぁ、綺麗って言うより可愛いかな。すごく正直な人で、いっしょにいると楽しい。ずっと傍にいたくて努力してるんだけど、なかなか‥‥ね」
「えぇー、はたけ上忍にここまで思われてて靡かないって‥、‥誰なんですか?私たちの知ってる人?」
「う〜ん、どうなかなぁ‥。‥‥ね?イルカ先生」

意味深な視線を向けられてドキッとした。
くのいちの先生たちの好奇の視線が俺に集まる。

「イルカ先生は誰なのか知ってるんですか!?」
「エー、だれだれ?」
「う、あ‥、それは‥‥‥」
「はーい、この話はもうお終い!」
「えぇっ、やだ、気になるぅ」

くのいちの先生たちの視線はすぐに逸れたが、一度バクバクした心臓はなかなか収まらなかった。

二次会への誘いを断って家に向かった。
カカシ先生も明日も任務があるからと断って、当然のように俺の家の方に歩いた。
繁華街の喧騒から離れて夜の道を二人で歩く。
俺の心臓はバクバクしたままで、もしかしたらまた告白されるのではないだろうかと思った。
その時俺はなんと答えたらいいのだろう‥?
だけどアパートに着くと、「またね」とカカシ先生は踵を返した。
毎日毎日、俺のことを送るばかり。
初めて俺はカカシ先生の気持ちを考えた。
好きと言って、気持ちを返されないのは辛くないのだろうか。

「‥カカシ先生、さっき好きな人がいるって言ったのは俺のことですか?」

帰りかけたカカシ先生が足を止めて振り返った。
優しい表情に心臓が跳ねる。

「‥‥そうですよ」
「だけど前に俺、カカシ先生のこと好きじゃないって言いましたよね」
「うん、言ったね」
「なのにどうして、いつまでも俺のこと好きでいられるんですか」
「だってそれは‥‥」

帰りかけていたカカシ先生が戻ってきた。
息が触れそうな距離まで来て足を止める。
何を言われるのかと思うと心臓が止まりそうだった。
だけど逃げなかった。
カカシ先生のことだけを傷つけるのはフェアじゃないからだ。
傷付く覚悟を決める。
なのにカカシ先生が言ったのは思いもよらない事だった。

「イルカ先生、オレのこと好きデショ?」
「はぁ?」

何を言い出すんだと呆れるとカカシ先生が可笑しそうに笑った。

「だってイルカ先生、オレとキスしたの嫌じゃなかったでしょ?あの時イルカ先生真っ赤になってたけど、嫌がってなかったよ」
「そ、そんなこと‥」
「それにスキって言ったら、嬉しいって顔したよ」
「しっ、してねぇっ!」
「したよ。だからもう一度キスしようとしたら逃げちゃうから、吃驚させちゃったのかなって」
「ちがっ、ちが――」
「ちがわなーいヨ。次の日だって、オレに会ったら泣きそうな顔したのに、ご飯誘ったらすっごく嬉しそうな顔して。だからイルカ先生はゆっくりした方がいいのかなって‥。それにイルカ先生、オレにぎゅっとされるのスキだよね?」
「好きじゃない!」
「ウソ。スキだよ」

そう言って、カカシ先生は一歩前に進むと俺のことを抱きしめた。
途端に体から力が抜けて身動きが取れなくなる。
なんだってこの腕の中はこんなに気持ちがいいのだろう。

「今日も嫉妬してくれたんデショ?妬いてるイルカ先生‥、すっごく可愛かった‥‥」
「違いますっ!」
「どうしてオレのこと、スキって言ってくれないの?男同士だから?」
「だから違うって!俺はカカシ先生のこと、好きじゃないです」
「ウソ」
「嘘じゃない!好きじゃない!好き――」

ふにっと唇が塞がって言葉が途切れた。

「んんーっ」

吃驚するほどカカシ先生の顔が近くにあって、――いやそれより唇を塞ぐカカシ先生の唇に混乱した。
柔らかいと思ったのは一瞬で、強く押し付けられて口が開いた。
ちろちろと柔らかい物が舌に触れ、それがカカシ先生の舌だと気付くのに随分時間が掛かった。

「んんーっんーっ」

抗議の声を上げて逃げを打つと塀まで追い込まれた。
逃げ場を失い恐慌に陥る。
上顎を舐められると、ビリビリッと電気が走った。

「あふっ!」

(なんだ、これ‥‥!?)

もう一度舐められると背筋が震えて、腰に覚えのある甘さが走る。

(どうして!?)

横に逃げようとすると足の間にカカシ先生の足が入った。
ぐっと腿を押し付けられて、ソコが甘く痺れた。
慌てて足を閉じようにもカカシ先生の足が邪魔で閉じれない。
今、足を動かされたらと思うと泣きそうになった。
みっともない姿を晒してしまう。

「ひっ‥」
「動かないで‥。キスするだけだから」

唇を離したカカシ先生が、こつんと額を合わせて言った。
潤みかけた目元に口付けられる。

「ね?」

囁くように言った唇が鼻筋を辿った。
鼻のてっぺんから離れた唇が唇に触れそうになって離れる。
誘われるようにカカシ先生を見上げると、カカシ先生がそうっと目蓋を伏せた。
もう一度近づいて来る唇に目蓋を閉じる。
ちゅっちゅっと啄ばむように唇がくっつき、舌が潜り込んだ。
つんつんと舌先を突付かれ、くすぐったさから奥へ逃げると追いかけてきた。
唇が深く合わさり、舌が重なる。
ぬるぬると絡み付くと不思議な気持ち良さが生まれた。
手甲を嵌めた手が耳朶を触り、ジンと気持ち良くなる。
ちゅくちゅくと弾ける水音が口の中から鼓膜に届いた。
誘われるまま舌を伸ばすと、じゅっと吸い上げられた。
強い刺激に、腰にビリビリと電気が走って体を震わせると、カカシ先生が唇を離した。
崩れ落ちそうになる体をカカシ先生が支えた。
はふはふと肩で息をして熱が冷めるのを待つ。
ぼうっとなった頭に疑問が沸いた。

キスって唇をくっつけるだけじゃなかったのか‥。

「‥‥‥みんな、こんな風にキスするんですか?」
「そうだよ。イルカ先生初めて?」

頷くと、ぎゅっと抱きしめられた。


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