すこしだけ 8



(‥絶対無視されるよ)

カカシ先生との来る未来を想像して、胸が重くなった。
もしくはその場は取り繕われて、後から徐々に距離を置かれたりとか。

今までの経験だと大抵そうだった。
どうして皆あんなに素っ気無くなるかなと思う。
それまではとても親切にされたり、気遣ってくれたり、一緒にいてとても心地いい相手だと思ったりするのに、告白されて断った途端冷たくなる。
道で会っても知らん顔で、目が合ったら逸らされたりする。
話し掛けようもんなら露骨に嫌な顔されて、だったら今まで仲良かったのは何だったんだよと思う。

(はぁ‥、人を好きになるってなんなんだろう?)

縁の無い俺には分からなかった。 分かっているのは赤い糸の繋がりは絶対で、人の力では変えることが出来ないということだ。
みんな赤糸を持っていて、いずれ誰かと結ばれる。
だから俺は好きとか嫌いとかじゃなくて、友達として繋がっていたかった。
恋人としての繋がりはやがて消えるが、友達としてならずっとだ。
そう思って、不用意に告白なんかされないように気をつけてきたのに‥。

(なんで告白するかな。)

カカシ先生のはまったく不意打ちだった。
だってカカシ先生は男だし、上忍だし、有り得ないじゃないか。

「はぁー‥」
「なんだよイルカ、さっきから溜息ばっか‥。何回目だよ、それ」
「‥ごめん」

謝ったそばから、はあっと溜息が出てタツミに呆れられた。

「そんなんじゃ、帰還した忍に叱られっぞ」
「ああ‥」

気が重かった。
今度カカシ先生に会う時、俺はどんな顔すればいいのだろう。
今日は長期任務明けで休みだろうから会うことはないが、ニ三日後には受付所に来るだろう。
そこでいきなり無視されたら、落ち込むかもしれない。
せめて昨日の帰り方は失礼だったから謝りたいけど、謝ると余計気を悪くさせる事もある。
上手く話して、出来れば昨日の事は無かった事にして、時々でいいから一緒にご飯を食べに行けるようにしたい。
だけどそれを口にするのは、俺の都合ばかりの気がして言い難かった。

(結局いつもみたいに疎遠になっていくのかな‥‥)

どうせそのうち、俺よりもっと好きな人が出来るのに。
それまでの間、俺と付き合うかどうかなんて大した問題じゃないのに。
だけど皆は糸が見えないから、そうは思ってくれない。

「はぁあー‥」
「イルカ」
「すまん」

ぱんっと頬を打って気合を入れ直した。
考えても今日はカカシ先生に会わない。
まだ日にちはあるんだしと、受付に精を出していると瞬く間に時間が過ぎた。
仕事に集中している間は悩みも忘れていられた。
人が途切れて交代まであと五分となった時、受付のドアが開いた。

「お疲れさまで――」

入ってきた人を見て心臓が音を立てた。
カカシ先生だった。
急に心臓が抉られるように痛くなってうろたえた。

(どうしよう‥‥)

まだ、傷付けられる準備をしていなかった。
ふるふると胸の底が細波のように震える。

「イルカセンセ、そろそろ出れますか?終る頃だと思って迎えに来ました」
「‥え?」

笑顔を向けられて、ぽかーんとしてしまった。
まるで昨日の事なんて無かったみたいに振舞うカカシ先生にしばし見入った。

(‥‥いや、本当になかったのかも)

あれは俺が見た夢で、カカシ先生の告白は無かったんじゃ‥‥。

「昨日イルカ先生いきなり帰っちゃったデショ?今日どこに行くか決めてなかったから‥」
「そ、そうですよねっ!やっぱそうか‥‥、いや、あの、あと五分ぐらいで終りますから」
「ウン、分かった。じゃあ校門のところで待ってるね」
「はい!わかりました」

「あとで」と去っていくカカシ先生に、ぱあっと胸が晴れた。
昨日の告白はあった。
だけどあれは冗談だったのかもしれない。
そう思わせるほど、さっきのカカシ先生は普通だった。
俺のことを怒ってる様子も責める様子もまったくなかった。
もしたとえ万が一、告白が本当だったとしても、断って疎遠になることは無いように思えた。
食事の席で昨日の話を持ち出されたらと思うと気が重くなるけど、誘われた喜びの方が強くてご飯に行かないと言う選択はなかった。

(早くカカシ先生に会いたい‥)

待ち遠しくて、そわそわと時計の針が回るのを眺めた。





カカシ先生が向かったのは小料理屋だった。
俺が前に茶碗蒸しを食べたいと言ったのを覚えていて、美味しいところがあるとここに連れて来てくれた。

「どう?美味しいデショ?」
「はい、美味しいです」

小さな木のスプーンで茶碗蒸しを口に運びながら、いつもと変わらないカカシ先生の様子に安心した。
いつ昨日の話を持ち出されるのだろうとビクビクしていた気持ちはなりを潜めて、逆にこっちから昨日言ったことは何だったのかと問い詰めてみたい気持ちになる。
だけど余計な事をして墓穴を掘りたくなかったので、カカシ先生に合わせて俺も何も無かったように振舞った。

(告白された事も、キスされた事も忘れる)

――キス、と思うとかあっと顔が火照った。

あの唇が俺のにくっ付いたんだと思うと、まともにカカシ先生の顔が見れなくなって、空になった器の底を眺める。

「イルカセンセ、お替りしたいの?オレのまだ手をつけてないからあげようか?」

俯いた顔を覗き、きゅうと目を細めて聞かれると、顔だけじゃなく体まで熱くなった。
じっと見られると心臓がどきどきする。

「い、いいです」

器をテーブルに戻すと目の前の盃をきゅっと呷った。
喉を通る酒がジンと胸を焼いて、顔の周りがぽわんとした熱に包まれる。

「イルカセンセ、飲みすぎちゃダメでーすよ?」
「わかってます」

(昨日の二の舞にならないように、カカシ先生に告白される隙を作ってはいけないから、意識をしっかりさせとかないといけないんだ)

そう思っても顔がぽやぽやする。

「カカシセンセ‥‥‥‥」
「ウン?」
「‥‥‥‥‥‥」
「酔っちゃった?」

すーっとカカシ先生の指先が俺の頬を撫ぜた。

(‥どうしてこんなにいつもどおりなんだろう?)

笑みを浮かべたカカシ先生の顔を眺める。

(ホントは俺のこと、どう思ってるんですか?)

口に出せない問いが酒精と一緒に溢れてしまいそうだった。




「ごちそう様でした」
「うん、ごちそうさま」

割り勘で支払いを済ませると店の外に出た。
てくてく歩いて家の方へ向かう。
住宅街に入ると夜の道はシンとして、隣を歩くカカシ先生に嫌でも意識が向いた。
ホントに普通だった。
前に一緒にご飯を食べた時と変わらない、いつものカカシ先生だ。
すぐに別れ道になって、足を止めるとカカシ先生に向き合った。

「それじゃあカカシ先生、おやすみなさい」
「ん、送ってくよ」
「え、でも‥‥」
「イルカ先生酔ってて、ちゃんと帰れるか心配だから」
「そんなに酔ってません」
「でも心配だから」

そう言うと、カカシ先生は俺の家の方へと先に歩いて行ってしまった。
てくてく、てくてく歩いてカカシ先生の後を追うと、あっという間にアパートの下に着いた。

「‥ありがとうございます」
「ウン。おやすみなさい」

「じゃあ」と手を上げると、あっさり来た道を戻っていく。
家に着いたらお茶でもとか、でも家に上げても大丈夫か?とか帰り道にごちゃごちゃ悩んでいた事が無駄になった。
ポケットに手を突っ込んで歩く後姿に声を掛けた。

「おやすみなさい、カカシ先生」

振り向かずにポケットから出た手がバイバイと手を振る。
カカシ先生の考えてる事がまったく分からなかった。


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