すこしだけ 7



「今日の任務は牧場の草刈だよ。Dランクだからといって気を抜いて鎌で指を切ってはいけないよ。じゃあ行って。散!」

先生の号令に、俺達は思い思いの場所に散った。
クヌギは丘の向こうに。
ユリと俺は丘の下に。
選んだ場所がユリと近かったことを知って、俺は離れた。
鎌を使ってる間に、うっかりユリを傷つけないように。
秋に入り、夏の日差しをたっぷり浴びた牧草は腰の辺りまで伸びて、しゃがむとすっぽり体を隠した。
目に映るのは、風に揺れる草原と青空だけになって、その心地良さに目を細めて大きく息を吸い込んだ。
草の香りが胸を満たす。

「よし、始めるか」

しゃがんで小さな手に掴めるだけ草を掴むと鎌を根元に当て、引いた。
ザクッと茎の切れる手応えの後に、短く刈られた草の根元が残る。
伸びきった草を横倒しに置くと、切った隣の草を掴んだ。
ザック、ザックと繰り返すと、自分の周りに開けた空間が出来ていく。
立ち上がって丘の上を見ると、先生が笑顔で頷いた。
これで良いんだと、俄然張り切って草を刈る。
額に流れる汗を拭いながら、まるで陣地を広げるように草を刈り続けていたら、ユリの声が近づいた。

「イルカー?休憩にしなーい?」
「うーん。でももうちょっとするよ」
「先生が熱中症になるといけないから、水分を取りなさいって」
「わかった」

立ち上がると、ユリがこっちに向かって水筒を振って見せた。
その腕から伸びる赤い糸に、クヌギがどっちにいるのか分かった。

「上から見るとココだけぽっかり穴が開いて、イルカのことが良く見えたよ。さっき先生と一緒に見てたの」
「へぇ、誰の穴が一番大きい?」

並んで座ると、受け取った水筒に口を付けた。
喉を流れていく水に思っていたより喉が乾いていたことを知った。

「うーん、クヌギかなぁ」

悩みながらもあっさり出た答えに、生来の負けん気が顔を出した。
水筒を置くと鍬に手を伸ばす。
立ち上がろうとするとユリに腕を引かれ、振り返った。

「どうしたの?」
「イルカ、…あのね、私相談があるんだけど…」
「うん。なぁに?」
「あの…、イルカは将来のこと、どんな風に考えてるの?」
「将来…って、中忍試験のこと?」
「そうじゃなくて‥もっとあと‥‥」
「もっとあとって‥?」
「だから、大きくなったら‥‥!」
「‥‥??」
「‥‥‥」

よほど口にし難い事なのか、ユリはそれっきり口を閉ざしたまま何も言わない。
最近ユリが悩んでいる様子もなかったから、ユリが何を相談したいのかまったく思い当たらなかった。
沈黙の中、サラサラと草の擦れる音だけが耳に届いた。
もう少し深く話を聞いてみようかとユリを見て、顔を赤くして耐えるように唇を噛む姿に具合が悪いのかと思った。

「ユリ、木陰で休んだ方が‥‥」
「もう!ニブいわね!イルカのことが好きって言ってるの!‥私をね、イルカのお嫁さんにして欲しいの」

消え入りそうな声にくすっと笑う。

(‥‥なぁんだ、そんなことか)

ユリの悩みが分かって心が晴れた。
その事なら、俺でも答えが出せる。

「僕もユリのこと好きだよ。でも、将来ユリが結婚するのはクヌギとだよ」

パンッと頬が鳴った時、何が起こったのか理解出来なかった。
遅れてジンと痺れる頬に叩かれたのだと気付いた。
吃驚してユリを見ると大粒の涙が頬を濡らしている。
ざくざくと草を踏みしめる音が近づいた。

「なぁ、休憩よりそろそろメシに――」

草を掻き分けて入って来たクヌギにユリの肩がビクッと上がった。
泣いているユリに、俺を見るクヌギの目が険しくなる。

「ユリになにをした!!」

初めて目にするクヌギの怒りの表情に身が竦んだ。

「僕、なにも‥‥」
「何もしないでユリが泣くか!」
「違うの!クヌギ、私が勝手に‥‥」

濡れた頬を拭って笑顔を浮かべようとするユリの腕をクヌギが強く引いて立たせた。

「ユリを泣かせるな」

ユリを連れてクヌギが去っていく。
二人に取り残されて、ただ呆然とその場に立ち尽くした。




目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。
なにか哀しい夢を見ていた気がして胸が重い。
むくりと体を起こすと、ベッドから抜け出た。
畳みに足を下ろして、はあっと大きな溜息を吐く。
夢よりも、もっと胸が重くなる現実を思い出した。

『イルカ先生、オレはイルカ先生がスキです。オレと付き合ってください』

告白を、されてしまった。
カカシ先生に。
昨日。
突然。
まさかカカシ先生から告白をされるなんて思ってもみなかったから、言われた瞬間頭の中が真っ白になった。
それに唇に残る柔らかい感触。
生まれて初めてしたキスに、動揺し過ぎて訳が分からなくなった。
つま先から熱湯に浸けられた様に体が熱くなる。

『イルカ先生、返事を聞かせて貰ってもいいですか?』

指先をぎゅっと握られて、まだ手を繋いでいたことに気付いた。

(どうしよう、どうしよう、どうしよう‥‥‥、何か言わないと、何か言わないと、何か言わないと‥)

ぶるぶる体が震えて、目の前もぐるぐるした。
どくん、どくんと鼓膜が煩く音を立てて考えるのを邪魔した。

『イルカセンセ‥』

口をぱくぱくさせているとカカシ先生が近づいて、顔を傾けた。

(キスされる‥!)

分かったけど体が硬直して動かない。
ふっと唇に温かい息が掛かる頃になって、ようやく呪縛が溶けた俺はカカシ先生を突き放した。
繋がっていた手を振り払って瞬身で逃げると、後も振り返らずに家に帰り、カギを閉めて居間に入ると叫び出しそうになる自分を押さえ込んだ。
頭の中では何度もさっきの光景が再現される。

(カカシ先生に告白された!カカシ先生に告白された!カカシ先生に告白された!)

火を噴きそうなほど顔が熱くなって洗面台に走った。
蛇口をいっぱいに開いて顔に浴びせる。
それでも熱が冷めなくて、水と止めるとしゃがみ込んだ。
タオルで顔を拭って、そっと唇に触れてみる。
ふにっと押して、ぼっと顔から火が出そうになった。

(うわーっ!うわーっ!)

転がりそうになるのを蹲って耐える。
だけど、高揚は長くは続かなかった。

(カカシ先生は、いずれ誰か別の人を好きになる人だ‥)

カカシ先生の腕に揺れる赤い糸を思い出す。
見せられた現実に、冷水を浴びせられたように高揚していた頭が冷えた。
それに、去り際に言ったじゃないか。

「俺は好きじゃありません」と。




(嫌われたなー‥‥)

もうちょっと言いようはなかったのか?

歯を磨きながら、昨日から何度も繰り返した問いを思い浮かべて、同じ答えに行き着いた。
あの時はいっぱいいっぱいで、あれしか言葉が出てこなかったのだ。
朝食を作る気になれなくて、もそもそ着替えるとカバンを肩に掛けた。
もうこれからは一緒にご飯なんてこともないだろう。
こんなことなら、カカシ先生がいなくて嫌われたかもと悩んでいた方が良かった。
深く溜息を吐くと、今日から訪れる苦い現実に頭を垂れた。


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