すこしだけ 6
受付の交代時間が来ると俺は急いで校門へと走った。
校庭を横切り、門に寄り掛かっているカカシ先生を見た時、お店で待っていて貰えば良かった事に気付いた。「カカシ先生…!すみませんっ、お待たせてしまって……」
「そんなに走って来なくて良かったのに。お疲れ様、イルカ先生」
「お疲れ様です、カカシ先生」いつも言ってる言葉を貰って嬉しくなる。
「イルカ先生、今日はなに食べたい?」
「そうですね…、腹が減ってるのでお肉とかがっつりしたものがいいです」
「ん、分かった」
「あ、でも給料日前で持ち合わせがあまりないので安いとこで…」
「いーよ。この前約束すっぽかしたから、今日はオレがおごります」
「そんな!任務だったんだし気にしないでください」
「いーから、いーから!」ずんずん先に歩いて行ってしまうカカシ先生に慌てた。
奢って貰おうなんて、そんなつもりは無かった。
引き止めたいのにカカシ先生は笑うばかりで取り合ってくれない。(どうしよう……)
こんなことならイワシとかもっと安いものを言っておけば良かった。
カカシ先生が行くところだから高級料亭かもしれない。
だとしたら、今度奢り返そうにも返せない。
それに料亭は苦手だよ…と弱気に付いて行ったら、意外にもカカシ先生が連れて来てくれたのは鉄板焼きのお店だった。
小汚い…と言ったら失礼だけど、そうとしか言いようの無い小さな店の暖簾を潜る。「へぃらっしゃい!」
威勢の良いおじさんの声がして、わあっと煙と一緒に香ばしい匂いがした。
店の真ん中にある大きな鉄板をカウンターに、その周りを客が囲んでいる。
カシャカシャと鉄板を叩くフライ返しの音が響いて、おじさんがさっと客の前へ寄せた。
出来上がったばかりのレバニラ炒めが鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てる。「わあ、旨そう」
「デショ」空いた丸イスに座るカカシ先生を見て、いいのかな?と思った。
ここは衝立も仕切りもない。
「こっち」と手招かれて隣に座ると、カカシ先生が口布を外した。「カカシ先生、いいんですか?」
「うん、ここは常連しか来ない店なの。オレの顔はみんな知ってるから」
「そうなんですか…」と納得したのも束の間、そんなところに俺が来てもいいのか不安になった。
ここは言わばカカシ先生にとってテリトリーと言うか馴染みの店で、カカシ先生が顔を出しても大丈夫ってことは、並みの忍びが集まってる所じゃなくて、上忍待機所でも顔を晒さないカカシ先生が平気と言うことは、それって暗部とか暗部とか暗部じゃないだろうか………。「あの、カカシセンセ…」
言いかけた言葉を遮るように、おしぼりとビールをどんっと置かれた。
カウンターの向こうでおじさんがニコニコ笑ってる。「ちょっと混んでるから飲んで待ってて」
「は、はい」
「じゃあイルカ先生、乾杯しよっか」
「はい」カチッとジョッキを合わせと、カカシ先生はくーっと半分ほど一気に飲み干した。
いつにないカカシ先生のリラックスした様子につられてジョッキを傾ける。
ぷはっと一息ついて上唇に付いた泡を舐め取っていると、カカシ先生が見ていた。「なんですか?」
「ううん。イルカ先生何食べたい?好きなもの頼んでいいよ」
「あ、えっと…」メニュを広げられて悩む。あまり高くないものを…と探していたら、カカシ先生がぱたんとメニューが閉じた。
え…?と戸惑ってカカシ先生を見たら、じっと俺のことを見ている。
気を悪くしたんだろうかとうろたえていると、ふっとカカシ先生が表情を緩めた。「イルカ先生には最初に『おごる』なんて言っちゃあダメなんだね。じゃあ、オレが勝手に決めちゃお。大将、注文!。出し捲き卵とカキの味噌炒め。あさりの酒蒸しにレバニラ炒め…、あっ、サラダも。それからこの人に旨い肉がっつり食わせてやって。あとは適当に」
「あいよー!」
「カカシ先生、そんなに…」
「ふふっ、ここの料理は美味しいよ。いっぱい食べてネ」
「……はい」楽しそうなカカシ先生を見ていると、あまり恐縮ばかりしているのは悪い気がしてきて、今日は奢って貰おうと開き直ることにした。
その代わり、「給料日が過ぎたら俺にも奢らせてくださいね」
「ウン、楽しみにしてます」そう言って貰えた事にホッとした。
奢られっぱなしじゃない事と、いつかの約束が出来たことに。
やっぱり俺に『ずっと』の約束は重たい。
ちょっと期待するぐらいがちょうど良かった。
出来上がった料理はどれも美味しくて食が進んだ。
勧められるままビールもお替りして、腹が満たされるとビールを酒に切り替えた。
ちょっと飲みすぎたのか、とろんとほろ酔い気分になる。「ねぇ、イルカ先生。オレがいない間、誰かと食事に行きましたか?」
「ふぇ?………」カカシ先生はお酒に強いなぁと思った。
同じぐらい飲んでるのに、まったく酔った様子が無い。
真剣に見つめられて、首を横に振った。「誰とも…。忙しかったので、残業が多くて食べに行けませんでした」
嘘だ。
本当はカカシ先生を待って、同僚に誘われても断っていた。
思い出すと、ちくんと胸が痛くなったがへらっと笑った。「カカシ先生、気にしないでくださいね。お互い任務もあるんだし、毎日一緒にご飯食べるなんて無理なの分かってます。今まで通り時々でいいです。また偶然会ったときにでも誘ってください」
「……今まで通りなんてイヤです。偶然なんかじゃ、イヤなんです」
「え…?」
「はぁ〜、なんであの日任務が入ったんだろ」深く溜息を吐いてうな垂れるカカシ先生に首を傾げた。
そんなに気にするほどの事じゃないのに。
「すこし散歩してから帰りませんか?」帰り道、カカシ先生に誘われて川沿いの道を歩いた。
家へはちょっと遠回りになるけれど、夜の風が火照った頬に心地よかった。
サラサラ流れる水音に誘われて土手を歩く。「イルカセンセ、そんな端っこ歩いてたら落っこちますよ」
「平気ですよ〜…。おわっ」小石を踏んずけて体が斜面の方へ傾いた。
バランスを取ろうと振り回した手をカカシ先生が掴んで引き戻した。「ホラ、言わんこっちゃない」
「ス、スミマセン」バツが悪くて赤くなる。
「あの、カカシセンセ?もう大丈夫ですよ…?」
掴んだまま、離されない手を不思議に思った。
「ダメですよ。イルカ先生さっきからフラフラして危ないんだもん」
ぎゅっと握られる手に頬が熱くなった。
手を繋ぐなんて子供みたいだと思った。
だけどカカシ先生の手の平が温かくて心地良くて離せない。
ふと、赤い糸が気になった。
繋いだ手から伸びている赤い糸が嫌だった。
強く握る手の平から、強引に指を引き抜くと反対側に周った。「イルカセンセ‥‥」
カカシ先生の左手。
こっちなら赤い糸がない。
手を伸ばして自分からカカシ先生の手を握ると、カカシ先生が吃驚した顔で振り返った。
へへっと笑いかけると、カカシ先生もふふっと小さく笑って歩き出す。
こんなことするなんて酔ってるに違いない。
手を繋いで嬉しいだなんて。
だけどいいじゃないかと言う思いが強く湧き上がる。
だって心地良いんだから。「ねぇ、イルカセンセ。オレ、任務に出てる間ずっと思ってたことがあるんですけけど‥‥」
「…なんですか?」
「ウン……」なかなか続きを言い出さないカカシ先生に手を揺らして催促すると、カカシ先生が足を止めた。
「ずっと、イルカ先生と一緒に入れたらいいなって…。せっかくご飯の約束したのに、何も言わずに置いてきちゃったから、他の誰かに取られてたらどうしようって」
「カカシ先生…、そのことならもういいですよ…?」違うとカカシ先生が首を横に振った。
「イルカ先生、オレとお付き合いしてくださいませんか?」
「はい?」明日行くお店の約束だろうか?
「…はい、どこへ行けばいいですか?」
カカシ先生は明日里にいるのかな?と思いながら聞き返せば、カカシ先生が困ったように笑う。
「そうじゃなくて……」
おもむろに空いた手で口布を下ろすとカカシ先生が近づいた。
近づいて、近くなって、カカシ先生の顔が迫ってくる。
近すぎるよ!!と思ったら、
「!!」
ふにっと唇にやわらかいものが当たった。
一瞬でカカシ先生は離れて、「こういうことです」と言った。
その唇の動きから目が離せない。……俺は今、カカシ先生とキスしたんだろうか?
「イルカ先生、オレはイルカ先生がスキです。オレと付き合ってください」
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