すこしだけ 10



襟足を撫ぜる手が心地良かった。
後れ毛を絡めるみたいにカカシ先生の指が動く。

「…イルカ先生、そろそろ家の中に入りますか?」

どれくらいの間抱きしめられていたのか、カカシ先生が耳元で囁いた。
はっと我に返って、間近にあったカカシ先生の顔を見上げた途端にがーっと羞恥心が湧き上がった。

「そ、そ、そうですね。夜ももう遅いし…」

腕を突っぱねて密着していた体を離すと、かろうじて力の入った足でニ、三歩下がった。

「帰ろうとしてたのに、引き止めてしまってすいません、お気をつけて…」
「え、あ…、そう。…ウン、わかりました。今日は帰ります。…イルカ先生、オヤスミナサイ」
「おやすみなさいです」

じっと立っていたらカカシ先生が動かないので、ぺこりと頭を下げるとアパートの階段を上がった。
上りきって振り返ったら、カカシ先生はまだその場に居てにっこり微笑む。
足早に部屋に向かってカギを開けて中に入ろうとしたら、カカシ先生はまだ俺を見ていた。
なんだかドアを閉めづらい。
困っていたら、カカシ先生は小さく振った手で口布を上げると帰って行った。
すぐに見えなくなったカカシ先生に、ドアを閉めてカギをかけた。
サンダルを脱いで自分の部屋にホッとした途端、腰が抜けて板間の廊下にべちゃっとこけた。

「い、いたい…」

まさかこけるとは思ってなかったから上手く受身が取れなかった。
強かに打った額を押さえながら四つんばいになって居間に向かうと、草臥れた座布団に顔を埋めた。

「はぁー…、…………」

痛みどころじゃない。
ごぉっと全身が火を噴いた。

(う、わああああああっ)

俺、なにやってんだろう!?
カカシ先生とキスしてしまった。
それも前よりずっと濃いのを…!

じっとしていられなくて、座布団を抱えたままゴロゴロ畳の上を転がった。

しかも拒絶出来た筈なのに、拒絶しなかった。
キスされると分かっていて、それを受け入れるみたいに…。
くちゅっと耳の奥で弾けた音を思い出して顔が熱くなった。
まだ、口の中を掻き回された時の感覚が残っていた。
体中がサウナにいるみたいなおかしな熱に包まれる。

「…………」

腰の昂ぶりを感じてズボンの前を寛げた。
パンツの中に手を入れると、緩く勃ち上がりかけていた昂ぶりを握り込む。

「‥ぅっ」

いつもしている行為なのに、何故か今日は敏感に疼いた。
パンツを下ろして昂ぶりを外に出すと手を動かす。
甘い痺れはすぐにやってきて下肢を溶かした。
少し手を早めて今にも訪れそうな絶頂感に耐えながら、頭の中に思い浮かべていたのはさっきしたカカシ先生とのキスだった。
唇の柔らかさや、舌の動きを思い出す。
上顎を擦られた時のくすぐったさや、舌を吸い上げられた時に走った甘い痺れを――。

「‥っあ!…ぅう…んっ…」

予期せず弾けた先端から、押さえる間も無く大量の白濁が飛び散った。
走り抜けた快楽は今まで感じたことがないほど深く、甘い。
暫らくは快楽の余韻に浸ってぼうっとしていたが、熱が引くにつれ後ろめたさが押し寄せた。

(……なにやってんだよ、俺…)

カカシ先生で抜いてしまった。

ずーんとその事実が圧し掛かる。
今まで身近な人を思い浮かべてシたことなかったのに。

(……………カカシ先生のことを好きになったのだろうか?)

そっと両方の袖を捲くった。

「……………」

そんなことある筈無い。
無かった。

体を起こしてティッシュを引き抜くと畳みを拭う。
濡れた先端も拭ってパンツを履くと、風呂は明日と決めてパジャマに着替えた。
空しさに布団を深く被って目を閉じる。

俺が誰かを好きになるなんてある筈無かった。
俺には赤い糸が無い。



子供の頃は何とも思ってなかった。
赤い糸を持ってない子は他にも居たし、むしろその方が多かった。
それが五歳になり、六歳になると変わってきた。
赤い糸を持たないのがアカデミーでは俺ともう一人だけになった。
八歳になった時、もう一人に赤い糸が出来た。
一人になっても俺は希望を捨てなかった。
世の中には十歳年の離れたカップルだっていたから。
十五になる頃、俺は逃げた。
もしかしたら自分の糸は見えないんじゃないかと。
だけど他人には見えないこの糸に、自分の糸が見えないことに何の意味があるのか理由を見出すことは出来なかった。
それからずっと赤い糸を追いかけた。
どんな時に変化するのか。
他に赤い糸を持たない人はいないのか。
――結果。
俺は今に至るまで赤い糸を持たない人に出会っていない。
だたそれらしく変化することがあることを知った。
それは運命の相手を亡くした時。
その時赤い糸は切れて短くなった。
終わりのある糸は地面に落ちたリンゴのように色褪せたが、でもそれは愛し愛されたことのある証だった。
俺とは違う。
二十一歳になった今は、――もう諦めた。


俺はカカシ先生を好きにならない。
誰のことも好きにならない。


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