すこしだけ 11



もう一度、カカシ先生に好きじゃないと伝えよう。

そう決めて、受付の任務に就いた。
カカシ先生とこれ以上親しくならないようにしなければならない。
あまり使いたくない手だが、カカシ先生を避けることに決めた。
暫らく会わなければ、カカシ先生にも俺にその気が無いことが伝わるだろう。
自分がされて嫌だったことをカカシ先生にするのは抵抗があったが、他の方法が思いつかないのだから仕方ない。
もう二度とカカシ先生とはご飯に行けなくなるかもしれないが、それも仕方ないと諦めた。
万が一カカシ先生を好きになって、後で振られるよりずっといい。

一枚一枚報告書類を受け取りながら、カカシ先生と対峙する時を思って胸が重く塞がった。
どんな言い方をしようと相手を傷つけることには変わりなく、またせっかくの縁が切れてしまうのも変わりない。

(…どうして好きなんて言ったんだよ)

カカシ先生に対して理不尽な怒りが込み上げる。
だけどカカシ先生があんなこと言い出さなければ、ずっと一緒にいられる筈だった。
カカシ先生が余計なことを言ったばかりに離れ離れになる。
そう思うと、つんと鼻の奥が痛くなった。
泣きたくも無いのに目がじんとするのを堪える。
ひたひたと細波のように胸の奥から寂しさが押し寄せる。
だけど親しくなっただけでこうなんだからと自分に言い聞かせた。
好きになって別れたりしたら、きっとこのぐらいでは済まない。

(もう誰とも親しくならずに、付き合いもなくしてしまった方が楽かもしれない)

「イルカセンセ」

そんな風に思い始めていると、名前を呼ばれて顔を上げた。
いつの間に来たのかカカシ先生が目の前にいる。
慌ててカカシ先生に言うべきことを考えていると、すっと腰を屈めたカカシ先生が顔を寄せた。

「イルカセンセ、アワビ好きですか?」
「アワビ?」
「この前鉄板焼き食べたデショ?あのお店からアワビ仕入れたって連絡があったんです。食べるでしょう?」
「アワビ…」
「そう、アワビ。ステーキで食べてもいいし、お刺身にして肝醤油で食べても美味しいよ」
「肝醤油…」

アワビ、――それは言わずと知れた高級食材。
値段が云々の前に、海から離れた木の葉の里では手に入りにくい食材だった。
好き嫌い以前に食べたことが無い。
テレビで見るたび思っていた。
一度でいいから食べてみたいと。

「今日の晩御飯はそこでいい?」

首が勝手に頷いた。

「じゃあ決まり。数が無いからみんなには内緒だーよ。あとで校門でね」

ばいばいと手を振って受付所を出て行くカカシ先生を見送った。
頭の中ではアワビが小躍りをしている。
じゅるっと溢れそうになる涎を拭って、我に返ったのは同僚に袖を引かれてからだった。

「はたけ上忍なんて?」
「…………ひみつ」
「そ、そうか……」

何故か顔を赤くした同僚が俺から目を反らして、はっとした。

カカシ先生に好きじゃないと言うはずだったのに!

だけど今から追いかけて言うにはタイミングを逃しすぎていて、また後で言おうと諦めた。
けっしてアワビに目が眩んだワケじゃない。



「らっしゃい!」
「いらっしゃいませー」

暖簾を潜ると前と違って女の子の声がした。
カカシ先生の肩越しに前を覗くとカウンターを拭く女の子がいた。

「あれ?アルバイト雇ったの?」
「まあな」
「ふぅん?前は一人で十分って言ってたのに」

イスに座ってカカシ先生と店の大将の会話に耳を傾けていると、おしぼりが差し出された。

「ありがとう」

声を掛けるとにっこり笑って、とても可愛らしい子だった。

「とりあえず生ビール二つ持ってきてくれる?」

カカシ先生が注文すると、カカシ先生の素顔を見た女の子がぽっと頬を赤らめた。
慌ててカカシ先生の腕に視線をやると、……良かった。
繋がってない。
カカシ先生の糸も女の子の糸も別々の方向に伸びていて、俺を安心させた。
でもカカシ先生に好意を持った人が近くにいるのは面白くない。
距離を置くと決めたくせに、カカシ先生が誰に好意を寄せられるのは嫌だった。
俺にはそんな権利はないのに誰からもカカシ先生を遠ざけたくなる。

(…いっそのこと、どこかに閉じ込めてしまったらどうだろう?)

そんなこと、中忍の俺には出来るはずも無いが。

「おまたせしました」

運ばれてきたビールで乾杯をする。

「店のほうがいいから奥で下ごしらえしてくれ」

大将の声がして、女の子が居なくなった時にはホッとした。

(…ずっと、傍に――)

「イルカセンセ。アワビ、刺身とステーキ、どっちから先に食べる?」

ふっと浮かび上がった考えは、ぎゅぎゅっと脳みその奥へ押し込んだ。

「じゃ…、刺身から」
「了ー解!大将、アワビの刺身ね。それと後適当に。刺身だったらお酒飲もっか?」

次々と楽しそうに注文するカカシ先生の横顔を眺める。
帰る時にはちゃんと言うんだ。




「イルカセンセ、アワビ美味しかったね」
「はい」

帰り道、カカシ先生の意見に大きく賛同した。
旨かった。
コリコリした歯ごたえの刺身もバターで焼いたステーキも。

「また来ようね」
「…………」

一生に一度でいいと思った。
今日カカシ先生と一緒に食べたアワビの味を一生忘れない。
いつ、話を切り出そうかとタイミングを伺った。
ご飯を食べに行ったのは失敗だったかもしれない。
楽しかったから、余計言い辛くなってしまった。
きっと送ってくれるだろうから、別れ道の手前で言おう。
あそこに辿り着くまでに、カカシ先生に言う。

「イルカセンセ、ちょっと散歩しながら帰ろう」
「…はい」

その方が良かった。
まだ心の準備が出来ていないから時間が欲しい。
前に通った川沿いの道を歩いた。
カカシ先生に告白された道だ。
思えばあの時、俺がカカシ先生の手を握ったのがいけなかったかもしれない。
あんなことをしなければ、カカシ先生は友達としていてくれたかもしれないのに。
視界の端で伸びてきたカカシ先生の手を避ける。

「カカシ、センセ――」

不意に唇を塞がれて、息を止めた。
しっかりと重ねられた唇から熱が伝わる。
目の前の目を閉じた端正な顔をじっと見つめた。
やがて離れると、唇は目蓋や頬に触れた。
そうっとそうっと、蝶が花の蜜を吸うように軽く触れる。
もう一度唇に戻ってきた時、どうしてカカシ先生の好意を拒まないといけないのか分からなくなった。
角度を変えて啄ばむ唇にそっと応えた。
変化はすぐに伝わって、カカシ先生の腕が背中に回った。
ぎゅっと抱きしめられて体から力が抜ける。
頭の後ろに回った手に引き寄せられるまま、カカシ先生の肩に顔を埋めた。

「こうしてる時が一番幸せなんです」

カカシ先生が言った。

「イルカ先生、スキ」

だけど俺はカカシ先生に応えることは出来ない。
俺はカカシ先生を好きじゃない。


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