すこしだけ 12



どうしよう…、どうしよう…。

焦る気持ちばかり空回りして毎日が過ぎていった。
一人で家に居るときは、次に会ったら好きじゃないと伝えようと決心が固まるのに、カカシ先生を前にすると言えなくなる。
困ったことにご飯を食べに行くことは勿論、帰りに送ってもらってキスするのも当たり前のようになっていた。
だけど今日こそは、はっきりとカカシ先生に伝えるんだと意気込みを固めて時計を見ると、タツミがもうそんな時間かと呟いた。

「え?」
「もうすぐ交代の時間だな。はたけ上忍、迎えにくるんだろ?」
「ああ。…なんで?」

何故か顔を寄せて声を潜めたタツミに耳を寄せると、とんでもないことを言ってきた。

「上手くいってるみたいで良かったな。そろそろはたけ上忍と付き合いだして三ヶ月だろ?」
「馬鹿っ、付き合ってないって…!」
「わーってるって。ヒミツなんだろ?」
「違うって!誤解だよ」
「大丈夫、大丈夫。誰にも言わないから…って言っても――、おっと……」

訳知り顔でぽんぽんと背中を叩くと、入ってきた忍びに口を閉ざした。
笑顔で書類を受け取り処理するタツミに訂正の機会を伺う。
たんっと判子を押し、「お疲れ様でした」と頭を下げたタツミに話し掛けようとしたら、カカシ先生が受付所へ入ってきた。
それを目に留めたタツミの顔がニヤッと目配せしてくる。
だから違うって言いたいのに、カカシ先生に書類を出されて言えなくなる。

「お疲れ様です、イルカ先生」
「お疲れ様です」
「ハイ、報告書」
「お預かりします」

目を通すと今日の任務は子供たちと畑仕事だったようだ。
不備無しと判子を押すとカカシ先生が手にした袋を差し出した。
なんだろ?と見てみると紫色の茄子がごろごろ入っている。

「イルカ先生、茄子好きですか?今日行った農家で形が悪いのは売れないからって、たくさん貰ったんです。
オレはいいって言ったんですけど、サクラが均等に分けちゃって…。すごく美味しいそうですよ。採れたてだから、薄く切って刺身にして食べたら旨いんだって」
「刺身!?」
「うん。こっちの丸いの」
「あ、水茄子だ」

(水茄子の刺身ってどんなだろ?)

未知の味に心惹かれる。

「………いただきます」
「うん。全部どうぞ」
「えっ、いいんですか?」
「うん。オレ、料理しないし」
「ありがとうございます。あ、でもこんなにいっぱい……」

食べられない。

「タツミ、お前も持って帰るか?」
「すまん。俺茄子ダメなんだわ。……二人で食べたらすぐ無くなるんじゃね?」
「二人?」
「はたけ上忍と一緒に。焼いたり味噌汁に入れたらすぐだろ」
「味噌汁……」

それまで黙って俺達の遣り取りを聞いていたカカシ先生が呟いた。
なんだか期待いっぱいの瞳が俺を見ている。

「…………」
「…………」

いやいやいやいや!
でもそれって家に招待するってことだろ?!
好きじゃないって言おうと決めているのにそれって変じゃないか?
でも貰いっぱなしって言うのも気が引ける。
大体嫌われるようなこと言うつもりなのに茄子貰ってどうする俺!

結局また気を逃して、茄子の入った袋を持って立ち去るカカシ先生を見送った。

……どうしよう。

話が決まってしまったものはしょうがないが、――今、部屋がものすごく汚い。



門で待っていたカカシ先生に一時間ぐらいしてから来るように伝えると、飛んで家に帰った。
途中で木の葉スーパーで買い物したから、カカシ先生が来るまでにあと三十分しかない。
とりあえず買ってきたものを冷蔵庫に突っ込むと部屋の掃除をした。
散らばった汚れ物を掻き集めて洗濯機に放り込むと座布団を干す。
干しても日が無いからとにかく叩いて埃を飛ばすと、窓を全開にして畳を掃いた。
数ヶ月ぶりの掃除に綿埃が舞い散り、風遁で部屋ごと吹き飛ばしたくなる。
なんとか掃除を終えて、米を洗って、流しに溜まった洗い物を片付けていたら玄関が鳴った。
コンコンとドアを叩く音に手から滑った皿がガチャンと派手な音を立てた。
洗う必要が無くなってしまった皿はひとまず置いて、手の泡を流すと玄関に向かった。
ドアを開けるとカカシ先生が立っていて、何故かドキッとしてしまった。
なんだろ、これ。
このカンジ。

(…まるで、初めて恋人が家に来たみたいじゃないか?)

そう考えて鼓動が早くなった。
付き合ってないとは言え、仮にもキスしたりする仲なのに家に上げて大丈夫なんだろうか?
いや、大丈夫も何も、何もないんだけど。
それでも万が一間違いが起こったらどうするんだ?
いや、俺とカカシ先生とじゃあ、何も起こりえないだろう。

「…イルカセンセ?」
「あ、はいっ!…いえ、どうぞ上がってください」
「ウン、おじゃまします」
「いらっしゃい…ませ?」
「ふふっ、お店じゃないんだから」
「そうですね。あははっ…」

こんな時なんて言ったらいいんだ?
滅多に人を呼ぶことが無いから咄嗟に出てこなかった。
ナルトだったらよく来たな、だけど…。

玄関先でサンダルを脱ぐカカシ先生を待って、居間に案内した。
卓袱台と座布団しかない部屋がやけに殺風景に見えて心許ない。
雑誌でも買っておいたほうが良かったか。

「カカシ先生、すぐにご飯の支度するので、その間テレビでも見て待ってて貰っても――」

振り返った先、目の前に伸びてくるカカシ先生の手に心底吃驚した。
さっき『何か』を危惧したばかりだ。
体が大仰に跳ねて縮こまった。
顎を引いて逃げようとするとカカシ先生の手が髪に触れた。
すぐに離れて、目の前に来ると、

「ホコリ。大きいのが付いてましたよ」

指先にある綿埃を見せられて、かかーっと顔が火照った。

なに警戒してんだよ…。

自分の自意識過剰ぶりが恥ずかしい。
さっき掃除した時についたやつだとカカシ先生の手から埃を取るとゴミ箱に捨てた。

「イルカセンセ、オレも手伝いますよ。…そういえば、さっき大きな音してたけど大丈夫だった?」
「なんでもないです!あの、台所狭いから待っててもらった方が……」
「…そう?あ、これ。茄子と、葡萄。ご飯の後で食べよう。あとお酒も買ってきました」
「わあ、ありがとうございます」

受け取った葡萄を冷蔵庫にしまうと早速調理に取り掛かった……、とその前に割れた皿をこそっと片付ける。
味噌汁用に煮干を入れて湯を沸かすと、その横で網を置いて茄子を焼いた。
その間に流しを片付け、炊飯器のスイッチを入れる。
買ってきた魚に塩を降るとグリルに並べて火を点けた。
それだけ火を使うとさすがに熱くて、額に浮かんだ汗を拭う。
でも誰かの為にご飯を作るのは楽しくて、満ち足りた気持ちになった。

(あとはわかめを洗って、茄子を切って――、こんなに茄子だらけなのに味噌汁も茄子でいいのかな……)

「…カカシ先生、味噌汁も茄子でいいんですか?」

振り返ると、ベストを脱いで額宛や口布も外して、すっかり寛いだカカシ先生が笑みを浮かべた。
頻繁にご飯を食べに行くようになったが、ベストを脱いだカカシ先生を見るのは初めてで、その姿は自宅にいる時のカカシ先生を連想させて落ち着かない気分にさせられる。

「うん、味噌汁も茄子がいいです」
「わ、わかりました」

視線を逸らして、さっと前を向くと焼き茄子をくるくる引っ繰り返した。
焼けた茄子の皮の割れ目からポタポタと汁が落ちて、じゅっと香ばしい煙が上がる。
はっと思い出して魚を返して反対側を焼いた。
味噌汁に入れる茄子を切ってぼたぼたと鍋の中に入れる。
そうしているうちに気持ちが落ち着いて来て、焼けた茄子の皮を剥きながら、わかめを切って鍋に入れると味噌を溶いた。
仕上げに刻んだねぎを入れるといい香りが台所に広がった。
ちょっと味見してみると自炊なんて久しぶりだが、なかなか良い出来だった。
満足していると足音が近づいて、カカシ先生が背後に立った。

「いい匂いがする」
「カ、カカシ先生!向こうで待っててください!」
「だって気になるんだもん」

だもん、だなんて可愛く言って、味噌汁の鍋を覘いて目で催促する。

「…………味見しますか?」
「ウン」

嬉しそうに返事したカカシ先生に、小皿にとって味噌汁を渡すと口元に運んだ。
薄い唇が皿の淵を挟んで傾ける。
こくっとアンダーに隠れた喉が動いて、ふわぁーと笑った。

「イルカ先生、美味しいです。すっごく美味しい」
「大げさですよ!」

照れ臭くなって、手放しで褒めるカカシ先生に突っ掛かる。
だけど内心では嬉しくて有頂天になった。
ご飯を作るのがやたら楽しい。

「イルカ先生、オレも手伝うね。コレ、皮を剥いたらいいんデショ?」
「はい」

手を洗ったカカシ先生がお箸を使って器用に焼き茄子の皮を剥いていく。
狭い台所に二人で並ぶとぎちぎちになったが楽しかった。
ぴーっと炊飯器が鳴って、まな板を洗うと冷やしておいた水茄子を出した。
半分に切ってヘタを取ると細く切った。

「……水にさらした方がいいんでしょうか?農家の人、何か言ってました?」
「ううん。このままでいいんじゃない?」

カカシ先生の手が伸びて茄子の端っこを取ると、ぱくっと食べた。

「うん、ダイジョウブ。ホラ」

カカシ先生が摘んで目の前に持ってきた茄子をぱくっと食べる。
それからはっとした。

(このさり気なさ……)

「ネ?このままで美味しいデショ?」
「はい……」

むしゃむしゃ口を動かしながら、俯いて火照った頬を隠した。

俺は悟った。

無理だ。
この人に好きじゃないなんて言うなんて。


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