すこしだけ 13



そもそも俺みたいな恋愛経験が浅いどころか、恋すらまともにしたことない人間がカカシ先生に敵う訳ない。

「イルカセンセ、茄子すごく美味しいね。魚も美味しいよ」

こんなに嬉しそうな顔されたら、女の人なんてイチコロだろう。
しかも里一番と称されるぐらいの忍びなのに、あんなにあっさり武装を解いて無防備な姿を見せた上、その男前な顔で近づいて、手ずから食べさせられた日には好きになるなと言う方が無理だ。
すべてが自然なのだ。
キスにしても、接触にしても、警戒を抱かせる前に踏み込んでくる。
一体どのくらい経験を積めば、こんな風になれるのか…。

「カカシ先生って何人ぐらいの人と付き合ったんですか?」
「…ぐふっ」

質問が唐突すぎたのか、カカシ先生が飲みかけの味噌汁に咽た。

「…どうしたの?イキナリ。今までそんなこと聞いた事なかったのに。イルカ先生もオレに興味出てきた?」
「そんなんじゃありません。ただ、どれぐらいかなぁと思っただけで……」
「ふぅん?…まあ、オレも二十八になるから、それなりに付き合いはあったよ」
「それなりって?」
「……それなりです」

秘密なのか詳しく教えてくれない。

「…………カカシ先生、モテますよね」
「そんなことないよ」
「そんなことありますよ。前の飲み会だって女の先生に囲まれて…。カカシ先生、男前だし」
「ふふっ、顔は関係ないデショ。誰も覚えてないんだし」

そうなのだ。
次の日職員室に行ったら、みんなカカシ先生の顔を覚えてなくて、そのことが話題になっていた。
誰もいつ術を仕掛けられたのか分からなくて、俺もそうなのかと聞かれて曖昧に頷いた。

「でも、格好良かったってのは残ってて、みんな思い出そうと必死でしたよ」

そんなことされたら余計カカシ先生のことが気になってしまうんじゃないだろうか。
心の中に深く残って、より強い印象を残してしまう。

「イルカ先生は?」
「へ?」
「イルカ先生が今まで付き合った人は何人?」
「えっ、お、俺は…、俺は……」

じっと俺を見据える眼差しから目を逸らした。
答え難い。
いや、答えられない。
一人も居ないなんて、劣等感が刺激されて言えなかった。

「…何人だっていいじゃないですか。どうしてカカシ先生にそんなこと答えなくちゃいけないんですか!」

怒ってから、俺が先に聞いたのを思い出した。

「……ごめんなさい」
「ううん、いいよ。オレも気になったから」

にこっと笑うと気にしてない素振りでご飯を食べる。
大人の応対を見せられて、しょぼんとなった。
こういうところもモテる秘訣なんだろう。
俺もカカシ先生も今は特定の人がいないのは一緒だが、人としての器が大きく違っていた。
年齢の差もあるだろうけど、きっとカカシ先生が俺と同じ年の頃にはもう何人かと付き合っていただろう。
特に過去の恋愛に傷付いた様子の無いカカシ先生に、俺もこんな風に恋をすれば良かったんじゃないかと思えた。
だけど終わりの見えている恋と、そうではない恋は違う。
初めから終ると分かっている恋なんて、する意味が無かった。
それに相手の赤い糸を見ると他の人のものに手を出しているようで嫌だ。
横取りみたいなことはしたくなかった。
しかも最後には必ず負けると分かっているのに。

(……恋なんて絶対するもんか)

はぐっと口の中にご飯を詰め込むと魚を解した。
小骨に四苦八苦して、魚は面倒だったなとカカシ先生の皿を見ると綺麗に身を外してある。
まるでレントゲン写真を撮ったみたいに骨だけになった魚に感嘆した。

「……カカシ先生、器用なんですね」
「ん?魚?好きなんです。だからかな…?」

俺だって魚は好きだが、あんな風には出来ない。

「解してあげようか?」
「あ、はい」

伸びてきた箸に、つい皿を出しかけて止めた。

(いやいやいや……)

甘やかされてはいけない。

(もうその手には乗らないぞ。)

「いいです、自分でします」
「そう?コツがあるんですよ。小さい魚とか細い魚なら挟んで――」
「挟む?」
「そう、こうやって…。大きいのならココで身が分かれるから先に箸を入れて解すと、……ほらネ?」
「ホントだ。簡単に外れ――」

はっ!!!

またカカシ先生の手管に乗せられていた。




食事の後片付けが済むと、カカシ先生が持って来てくれた葡萄を摘んだ。
カカシ先生は果物は苦手なのか、一人盃を傾けている。

「イルカ先生、お酒はもういいの?」
「はい。カカシ先生は葡萄は食べないんですか?」
「ウン」

そうかと思いつつも、葡萄を食べているとどうしても無口になってしまう。
房から摘んだ実を口に運んで皮を押すと、中身を吸い上げて皮を戻した。
瑞々しくてすんごく旨い。
夢中になって食べていると、不意に腕を掴まれて葡萄の実が転げ落ちた。

「あ」

たんっ、たた…と畳の上を転がっていく実を目で追いかける。

「イルカ先生、オレにも頂戴」
「だって、さっき食べないって……」

俺ばっかり食べていたのを咎められたのかと言い訳すると視界が回った。
何故か天井を見上げていて、カカシ先生が現われる。
伏せるように近づいて来るカカシ先生に、これから起こる事を予想して逃げた。

「あわわわわわっ!カカシ先生、酔ってるんですか!?」

すぐさま起き上がって離れようとしたが腰に回った手が体を引き寄せる。
俺だって大概重いのに、易々と畳みの上を滑ってカカシさんの懐へ抱き込まれた。
背中から覆い被されて慌てふためく。

「どうして逃げるの?キスならいつもしてるデショ?」
「そうですけど、ふぐ…っ」

上向きに顎を上げられて口を塞がれる。
酒精を纏った息と舌が口の中に滑り込んで、じんと舌が痺れた。
舌の表面を擦り合わされて、カカシ先生の舌越しに酒を味わう。

「あまい…」

恍惚としたカカシ先生の呟きに、それがカカシ先生も同じなのだと知った。
いつも同じものを食べていたから気付かなかった。
くちゅくちゅと口の中を動き回る舌が心地良くて、カカシ先生の酒の味に酩酊していった。
体から力が抜けると顎を掴んでいた手が頬を撫ぜた。
耳の淵や首筋を撫ぜられるとくすぐったいけど気持ち良い。
いつもの触れ方に気を許すと、カカシ先生の手が体に触れた。
服の上から腕を摩ったり、胸を撫ぜたりする。
胸を撫ぜられると手に乳首が引っかかるのが嫌だった。
カカシ先生の手が何度もそこを往復する。

「……カカシ先生、胸に触るのは止めてください」
「どうして?気持ちヨクない?」

なんだそれ、と手を押し退けると、僅かばかりに唇を離したカカシ先生が不思議そうな顔をした。
こんなところが気持ち良いワケがない。
キスも終わりと体を起こそうとすると、引き戻された。

「カカシ先生」
「もう少しだけ…」

ちゅ、ちゅっと唇を吸われて口を尖らせる。
するとカカシ先生は可笑しそうに笑って、同じように尖らせた唇をくっつけた。

(なんだよ…、俺がキスを強請ったみたいじゃないか)

照れ臭くなってカカシ先生の腕の中で、もう離せと暴れる。
嫌だと押さえようとするカカシ先生に上から圧し掛かられて、カカシ先生を見上げた。
さっきまでふざけて笑っていたカカシ先生の表情が変わる。
いつの間にか繋がっていた手が指をぎゅっと握り、甘い痺れが走った。
空いた手が額に掛かった髪を後へと撫で付ける。
切なく見つめられて、動けなくなった。

「……イルカ先生、先に進んではいけませんか?」

先、と言われて鼓動が早くなった。
ドキドキ、ドキドキと煩いぐらいに胸が高鳴る。

「イルカセンセ」

黙っていると、カカシ先生が寄せるように体を傾けた。
びくっと体が跳ねるが、動きを止めたカカシ先生にほっとする。
ふいに腿に硬いものが当たって何かと思った。
それがカカシ先生の昂ぶりだと分かって、顔が高潮した。

「……怖い?」

問われて目をつぶった。
怖いとかそんなんじゃない。

「イルカセンセ」

名前を呼ばれて大きく首を振った。

「……嫌だ」

これ以上先になんて進みたくない。

「どうしても…?」

頷くと、カカシ先生が体を離した。
起き上がって座ると、背中を丸めて深い溜息を吐く。
そのガッカリした様子に俺は傷付いた。
自分から拒んでおいて、それでも傷付いた。

(もう、これでカカシ先生とは終わりになってしまうのだろうか?)

声を掛けることも出来ずに、カカシ先生の出方を待った。
暫らくうな垂れていたカカシ先生が、くしゃくしゃっと頭を掻くと俺を振り返った。
指一本動かせないでカカシ先生を見ていると、伸びてきた手が頭を撫ぜた。

「無理言ってゴメンね」

起こされるままカカシ先生に寄り掛かると抱きしめられた。

「イルカ先生が良いって言ってくれるまで待ちます」

背中を撫ぜながらカカシ先生が言った。
すぐに離れると立ち上がる。

「今日はもう帰りますね」

額宛を付け、ベストを着るカカシ先生をじっと見ていた。
身支度を整えると、カカシ先生が屈んで唇を合わせた。

「カギ、締めなくちゃダメですよ?」

名残惜しげに唇を離すと、カカシ先生は居間を出て行った。
ドアを閉める音が寂しく聞こえてくる。
耳を澄ましてもカカシ先生の足音が聞こえて来なくて、本当に帰ったのかと玄関を覗いたが誰も居なかった。
どたっと寝転がって体を丸める。
緊張と興奮と困惑が綯い交ぜになって、何から考えていいのか判らなかった。
寝返りを打つと、畳みに転がったままの葡萄が見えた。
手を伸ばして粒を拾うと、そっと手の中に包み込む。

(…欲情されたのなんて初めてだ)

ぼぉっとカカシ先生との遣り取りを思い浮かべながら、手の中の実を握り締めた。


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