すこしだけ 67
お風呂とご飯、どっちを先にするか、なんて話をしていたらアパートが見えてきた。カカシさんと一緒だと家に帰るのも楽しい。カカシさんが来なくなってから、家に帰るのが怖かったと言ったら、カカシさんはどんな顔するだろう?
独りで過ごす部屋は孤独を耐える場所でしかなかった。でもこれからは違う。またあの部屋は、俺達を暖かく包んでくれるだろう。
「ご飯にしよ。オレ、イルカ先生のご飯が食べたい。米はオレが洗うからさ」
「わかりました。じゃあ、俺はさんま焼きますね」
「ウン」
隣でニコニコ笑うカカシさんを見ていたら、幸せが胸に満ちてくる。足音を立ててアパートの階段を上ると、繋ぎっぱなしだった手を離して鍵を出した。
ドアを開けると、むあっとした空気が押し寄せてきて顔を顰めた。しばらく留守にしていたから部屋が湿気てしまった。
大きくドアを開け放ち、サンダルを脱ぐと空気を入れ換える為に窓を開けながら部屋の奥へ進んだ。
(……あれ、部屋が片づいてる……?)
いつも通りの部屋の様子にうっかり通り過ぎそうになったが、俺達が争った痕跡が無くなっていた。俺が蹴り飛ばしたクナイが無く、血痕も無かった。あの時は窓や玄関を閉める余裕も無かったから、それらが閉まっていたと言うことは、
「……暗部の方が片付けて下さったんでしょうか?」
寝室の窓を開けながら聞くと返事が無かった。
(あれ…、カカシさん……?)
振り返ると、誰も居なかった。
居間のカーテンがふわりと風に持ち上がり、ゆっくり元の位置に戻っていく。ガランとした部屋で動くのはそれだけで、台所にも玄関先にもカカシさんは居なかった。
まるで、さっきまでカカシさんと一緒だったのが夢だとでも言うように、静かな部屋の中を風が流れる。
あっと言う間に独りぼっちだった時の心境に戻って、バタバタ廊下を走ると外に飛び出した。廊下の手すりを掴んでアパートの下や道路にカカシさんの姿を探す。
(そんなことない!夢じゃない……!)
「…っ」
見つからなくて、外に探しに行こうとしたら、
「イルカ先生、どこ行くの!」
背後からの声に慌てて振り返ると、カカシさんが脱衣所のドアからひょっこり顔を覗かせていた。俺の足下に視線をやって、また顔に戻すと不思議そうに俺を見ている。
わあっと頭の中が一杯になって、汚れた足のままドタドタ床を踏み鳴らしてカカシさんの元へ行くと、胸元を掴んで揺さぶった。
「どうして俺が呼んだのに返事してくれないんですかっ!」
「えっ!なに?……どうしたの?」
「どうして!ど…して…っ」
ぐにゃりとカカシさんの顔が滲んで、カカシさんが酷く慌てた顔をした。
「わっ、ゴメン!洗濯物をね、洗濯機に入れようとしたら脚絆が壁の隙間に落っこちて!それを拾うのに夢中でイルカ先生が呼んだの聞こえなかった。ゴメン、許して」
頭を抱えられて冷静さが戻って来た。
違う。カカシさんが聞こえなかったワケ無い。俺が名前を呼んでなかった。問い掛けも独り言みたいだった。なのに、カカシさんを怒鳴ってしまった。
「……ご、ごめ、…な、さい……。俺…、勘違い……」
ぼろっと目の淵から涙が落ちた。カカシさんが傍にいてホッとしているのに、勝手に涙が溢れて止まらない。
「ううん、いーよ。イルカ先生泣かないで……」
「……う゛、ぅうっ……」
平気だと笑おうとして失敗した。胸の中に冷たい箱があって、そこから涙がどんどん出てくる。それは独りぼっちになった時に隠し持った箱だ。その中に、カカシさんのいない寂しさやカカシさんを失う恐怖をたくさん詰め込んでいた。
婚約が解消された今、彼女を恐れなくて良いと理解して、もう平気だと思っていたのに、さっきカカシさんが見当たらなかったことで蓋が弾け飛んでしまった。中から哀しみが溢れ出す。
だけどそれはどこか色褪せた、遠くにあるような哀しみだった。以前ほど胸が痛まない。泣くことで胸がスッキリした。
「……ごめん、なさい。もう大丈夫です」
心配そうに俺を覗き込むカカシさんに涙を拭いた。
「……オレがいないと思ったの?」
優しく頭を撫でられて、うんと顎を引いた。可笑しいでしょ?と笑いたいのに、だめだ。カカシさんの声を聞くと、また涙が出てきた。子供みたいにしゃくり上げる俺の頭をカカシさんが必死に撫でていた。
「オレがいなくて、不安になったの?」
再び頷くと、突然強い力で抱き締められた。
「カカシ、さん…?」
抱擁は息が止まりそうなほどきつく、顔を上げると唇が重なった。強く押し付けられて唇の形が変わる。噛みつくように唇を吸われて、意識がトロンと混濁していく。カカシさんの腕の中で抗えない力に包まれると、心底安心して体から力が抜けていった。
立っているのも難しくなって、カカシさんの背中にしがみつくと、カカシさんが俺を抱えて移動した。
連れて行かれたのはベッドの上で、ぼふっと背中から布団に下ろされて青空を見上げた。ふわりと舞い上がっていたカーテンが空を隠すと、カカシさんが俺の上着を引っ張り上げた。腕を上げると指先から服が離れ、秋風が素肌を撫でた。俺の腰を跨いだカカシさんも上着を脱いで、服を床に落とした。日の光の中でカカシさんの肌は白く眩しくて、目を細めて手を伸ばすとカカシさんが覆い被さってきた。温かな肌が重なり胸がじんとする。
濡れた頬を撫でるカカシさんがとても優しい目で俺を見ていた。愛しくて愛しくてたまらないと、そんな目で俺を見つめる。
「カカシ、さん……」
名を呼ぶと唇が重なった。ちゅっと吸い上げて角度を変えると、またちゅっと吸い上げる。そうしながらカカシさんの手が肌の上を滑った。俺はカカシさんの背中に手を回して、そのしなやかな肌に触れた。
目を開けて、カカシさんを見つめるとチュッと鼻先に口吻けられた。そのまま鼻筋を通って目元までくると、目蓋の片方ずつに口吻けられる。それからおでこと両頬にもキスを貰って、くすぐったさに微笑むと、カカシさんも笑って睫毛を伏せた。唇を見つめられ、もう一度そこにカカシさんがキスしてくれるのを待った。
「イルカセンセ」
形の良い唇が俺の名前を呼んで近づいてくる。もう一度くっついた時には、ぺろりと唇を舐められた。誘われて薄く唇を開くと、熱い舌が潜り込んでくる。
「んっ…、ふぅっ…」
口の中で動く舌を気持ち良いと思った。俺も一生懸命カカシさんの舌に絡め合わせた。心臓がドキドキして息が荒くなる。舌を差し出すと、口の端から唾液が零れた。カカシさんが俺の舌を吸い上げる。
「んんっ…!んぁ…っ」
ビリビリッと背中に電流が走って喉を鳴らすと、カカシさんが唇を離した。熱く潤んだ瞳で見つめられて肌が上気する。
「イルカ先生、シよ?」
内緒事みたいに囁かれて、ますます体が火照った。
← →