すこしだけ 53



 翌朝、眠る事が出来ず憔悴した俺に、カカシさんは休む事を進めてくれたけど、俺は首を横に振った。
 外に出るのは正直気が重い。
 昨日みたいにあの人に追い掛けられるのは嫌だ。だけど家にいても、俺の目の届かないところでカカシさんがあの人と会っていないか気になりそうで、そっちの方が嫌だった。
 せっかく作ってくれた朝食にも箸が進まず、辛うじて卵焼きだけ口に入れて咀嚼すると、服を着替えて出掛ける準備をした。髪を結うために上げた腕が重く、おざなりに髪を結ぶ。そのまま額当てを結ぼうとしたら、カカシさんに呼ばれた。
「イルカ先生、こっちおいで」
 手招きされて、ふて腐れた気持ちが沸き上がった。カカシさんの方を向いて、一緒に視界に入ってくる赤い糸を見るのが苦痛だ。
(…カカシさんが、違う人と運命の糸を繋げてるのがいけないんだ…!)
 俺のことが好きなら、俺と結ばれているべきだ。
 カカシさんにはどうにも出来ない事に腹を立てて感情が乱れた。ともすれば涙が込み上げそうになる。堪えるために唇を引き結ぶと自然と唇が尖って、ふぃっとそっぽを向いてカカシさんから顔を逸らした。
 八つ当たりだ。分かっている。だけど素直にカカシさんに接する事が出来なかった。視界が滲んで胸の奥がズキズキする。痛い。胸が痛い。
(どうしていつも俺だけこんな――)
 寂しい想いをしなくてはいけないんだろう…?そう続く筈だった心は、カカシさんの腕の中に抱かれて掻き消された。
 両腕が締まり、窮屈な腕の中に閉じ込められて互いの体が密着する。ジンと皮膚の合間を微電流が流れるような感覚がして、はっとカカシさんの胸を押した。
「カカシ、さん…っ!」
 カカシさんのチャクラが俺の体に流れ込む。内勤の俺に、これから任務に出るカカシさんがそんなことをして言い訳なかった。万が一、カカシさんが怪我でもしたら――、
「しー…、イルカ先生じっとして」
「いやだ…!」
 肩に回った手が俺を引き寄せた。曲がった腕をさらに折り畳まれて身動きが取れなくなる。宥めるように額に吸い付かれた。カカシさんの体が温かかった。流れ込むチャクラが優しく俺の体を癒やしていく
「ぅ…、ゃだ…」
「ダイジョーブだよ」
 囁いた唇が俺のと重なって、そこからもチャクラが入ってきた。体温が上昇して、かあっと体が熱くなった。まるでカカシさんに抱かれている時みたいな感覚がして小さく喘いだ。
「ぅ…はぁ…っ…ぁっ…」
「イルカ先生、可愛い」
 首筋に顔を埋めたカカシさんがきつく首筋を吸い上げて、痛みと共に小さな快楽が泡のように背骨に弾けた。
「あぁっ」
 甘く掠れた声を上げると、流れ込んでいたチャクラが徐々に引いて、体の火照りも収まっていった。
「…どう?楽になったデショ?」
 熱の燻る頬にぼうっと瞳を潤ませながらカカシさんを見たら、悪戯っぽく笑っていた。
「医療忍術ってほどでもないけど、チャクラを活性化させて血の流れを早くしたんだーよ。疲労物質が早く体の外に出て…うわっ!」
「あ、朝っぱらからなんてことするんですかっ!」
 喘がされた恥ずかしさから拳を振り上げると、カカシさんがぴょんと後ろに飛び退いた。足の間が気になったが、幸い発射した様子は無かった。じんじんする首筋に、洗面台に走って鏡を見れば、大きく鬱血した痕が残っていた。
「こんなところに痕を付けてどうするんですか…!」
 ベストのファスナーを一番上まで上げて、ぎりぎり隠れるかどうか。念のためとばんそうこうを探していると、カカシさんが声を掛けた。
「イルカセンセ、もう出ないと遅刻するよ?」
「うわぁっ!今日は会議があったのに…!」
「じゃあ、早く行こ」
「アンタが言うな!早く、ばんそうこう…!」
「大丈夫、見えてなーいよ」
「あーもぅ!」
 諦めてサンダルを履くと外に飛び出した。小走りの俺にカカシさんが付いて来た。
 驚くほど体が軽い。カカシさんのお陰かと、ちらっと横を見るとカカシさんがにこっと笑った。慌てて前を向いて速度を上げる。気が付けば、いつの間にか心まで軽くなっていた。
 やっぱりカカシさんのお陰だ。カカシさんが、疲れどころか不安まで消してしまった。
 感謝の気持ちと面映ゆさからスピードを上げると、手を掴まれた。
「イルカ先生待って。ここまで来たら、あとは歩いて行っても間に合うデショ?」
「あ、はい…」
 手を引かれて、歩調を緩めた。アカデミーのすぐ傍まで来ていた。テクテク歩いていると冷たい風が頬を撫でた。
「…涼しくなってきましたね」
「ウン、もう秋だーね」
 空を見上げたカカシさんにつられて視線を上げると、雲は高く、葉は色付きかけていた。
「ネ、イルカ先生。約束覚えてる?」
「約束?」
「もうすぐオレの誕生日」
「あ」
 覚えている。カカシさんが俺に何かして欲しいと言っていた。
「覚えてますよ。俺は何をしたらいいんですか?」
「う、うん…、その日になったら言うよ」
「…?準備とかしなくていいんですか?」
「うん、…身一つで出来る事だーよ」
「そうなんですか…?」
 余程言いだし難いお願いなのか、ほんのり頬を染めたカカシさんが言い淀んだ。
「イルカ先生は?イルカ先生は何か欲しい物ある?」
 さっと話題を変えられて、これ以上触れて欲しくないんだなと、自分の欲しいものに気持ちを切り替えた。
「欲しいもの…、欲しいもの…」
 そう言われても何も思いつかない。元より物が増えるのが好きじゃないから、余計な物は置かないようにしていた。
 それに、カカシさんの誕生日の頃と言えばそろそろ彼女が帰る頃だ。果たして一緒に過ごせるのだろうかと不安が過ぎって、ぎゅっとカカシさんの手を握った。
「イルカセンセ?」
「…一緒にいてくれたら、それでいいです」
「えっ!」
 何をそれほど驚く事があるのか、カカシさんが目を見開いて俺を見た。赤かった頬がますます赤くなり、指が痛くなるほど強く掴む。
「い、痛っ!カカシさん、痛い!」
「あっ!ゴメン!…ウン、そうだよね!」
「カカシさん?」
 一人で何事かを納得したカカシさんがぶつぶつ呟きながら歩いて行く。かと思えば急に立ち止まって、くるっと振り返った。
「イルカ先生、指見せて」
「指?」
 手相でも見てくれるのかと両手を差し出すと、カカシさんが俺の手を返す返す眺めた。それから思いだしたように手を繋いで歩き出す。
「イルカ先生、一生思い出に残るような誕生日にしようね!」
「はぁ…」
 そんなに力まれたって、俺は何をしたらいいのか分からないのに…。
 そう思うなら、少しぐらい当日のヒントをくれればいいのにと唇を尖らせた。
「それじゃあイルカ先生、オレ行くとこあるから」
 珍しく校門の前で手を振るカカシさんに首を竦めて手を振り替えした。
「ん?どうしたの?」
「…痕が見える気がして…」
「あぁ、大丈夫だよ。見えてないよ」
「…でも」
「見せてごらん」
 亀みたいに首を引っ込めていると、カカシさんが俺の顎に手を掛けて顔を上げさせた。
「そんなに濃く色が付いてないから目立たないよ?大丈夫、大丈夫」
「そうかな…」
「あっ!」
 すぐ傍で聞こえた声に、俺とカカシさんが視線を移すと、顔を赤らめた同僚が俺たちを見ていた。
「あの…、す、すまんっ!」
 何故か謝った同僚が瞬身で消えた。
「…?…………あーっ!!」
 絶対に勘違いされた!
 顎に添えられた手と顔を上げた俺。俺に覆い被さるように俯いたカカシさんとくれば、端から見ればキスするように見えただろう。
(ち、違う!違うのにー!!)
「じゃあね、イルカ先生」
「えっ!」
 急いでいたのか瞬身でカカシさんは消え、俺だけが残された。顔の下を流れる血がドクドクと熱を発する。
(いやだ…、行きたくない…)
 職員室へ向かう足取りは、今朝想像したのと違う意味で重くなった。


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