すこしだけ 52
驚くほど平穏に毎日が過ぎていった。ミツバ先生が里に来る前となんら変わりない。婚約話の方は、カカシさんからすっきりとした返事は貰えなかったけど、かと言って話が進んでいる様子もなく、俺は次第に安心していった。
(やっぱり彼女が帰ってしまえば、無事に済むかもしれない。)
予想が確信に変わっていく。上からの命令なら絶対だと思っていたけど、結婚ともなれば人の一生を左右する。里もあまり強く出られないのかもしれなかった。
何よりカカシさんが嫌がってる。
そのことを免罪符の様に、俺はカカシさんの婚約から目を逸らした。
「イルカ先生、一緒に帰ろ」
いつもの様に迎えに来てくれたカカシさんに、机の上を片付けるとカバンを提げた。
「お疲れさまでした」
ペコリと頭を下げると同僚達が軽く手を上げてくれる。彼らにとって見慣れた光景になっていた。一瞬浮上した婚約話の後も変わらぬ俺たちの様子に、誰もがあれはただの噂だったと記憶を薄れさせた。
「カカシさん、今日は買い物に行くんですか?」
「ううん、まだ冷蔵庫に野菜が残ってるから行かないよ。イルカ先生、なにか欲しいものあるの?」
「…いえ」
首を横に振ると、カカシさんが目を細めた。
「作り置きしてあるハンバーグがあるから、それ焼いて食べよーネ」
「あ!チーズ入ってたヤツですか?」
「ウン」
前に食べたのを思い出してヨダレが垂れそうになった。カカシさんが作ってくれて、かぶり付くと肉汁と一緒にトロトロのチーズが出てきて凄く美味しかった。
「やったっ!」
喜びが溢れて小さく飛び跳ねると、カカシさんがポンポンと繋いだ手を自分の足に当てた。喜びを分かち合おうとするように、優しく当てる。
「カカシさん」
満たされた気分になって意味も無く名前を呼んだ。
「なぁーに?イルカセンセ」
「……呼んでみただけです」
「そう」
くすぐったそうに笑うカカシさんに照れ臭くなって俯こうとしたら、突然、カカシさんの空いた手に繋がっていた赤い糸が、ひゅるるんっと波打った。呆気に取られてる内に、糸は屋根の上へと巻き上がり、俺たちを追い越していく。
(あの人がいる…)
感知出来ない気配と移動速度に、彼女のレベルを知った。
気付いていないのかカカシさんは前を向いたまま歩いていく。
糸は俺たちが進む2つ向こうの角で止まった。
(…俺たちが来るのを待ってる)
ザッと血の気が下がって、足が震えそうになった。
(嫌だ…)
進みたくない。あの人と対峙したくなかった。
「イルカセンセ?」
急に足を止めた俺をカカシさんが不思議そうに見た。
「カ、カカシさん、散歩して帰りましょう…?」
カカシさんの肘を掴むとすぐ傍の角に押し込んだ。足早に歩いてカカシさんを彼女から引き離すが、糸はずっと俺たちの後にあった。彼女が俺たちの後を付けている。
「どうしたの?イルカセンセ。そんなに慌てて」
「あっ」
カカシさんが肘を掴んでいた俺の手を外した。指先が離れて不安な顔をした俺を、くすりと笑って手を繋ぎ直す。
「ゆっくり行こう?デートみたい」
「デ、デートなんかじゃ…」
照れ臭い言葉が苦手な俺は、いつもの癖で言い返そうとした言葉を飲み込んだ。カカシさんがデートだと言うならデートでいいじゃないか。
(見せつけてやる)
心の中で思った。カカシさんには俺が居るのを見て、カカシさんのことを諦めて欲しかった。
(どうか、諦めてくれ…)
ふいに、胸の中に彼女の見ている光景が思い浮かんだ。
(俺とカカシさんが一緒に居るのを見て、どう思ってるんだろう…)
自分の婚約者が男の恋人と一緒にいるのだ。それでも彼女は後を付いて来た。
(……彼女は、カカシさんに一目惚れしなかっただろうか…?)
俺は初めて、そのことに考えが及んだ。自分のことしか考えていなかったから、彼女の想いなんて気に留めなかった。
彼女が初めてカカシさんに会った時、運命めいたものを感じなかっただろうか?それを一目惚れと受け止め、カカシさんを好きになったりしなかっただろうか?
運命の相手と出会って何も感じない筈が無い。それなのに好きな相手から婚約を断られ、さらには『あの女』呼ばわりされて。
(…俺なら耐えられない)
俺は途轍もなく酷いことをしていた。二人の運命には関係の無い俺が間に立って、邪魔をしている――。
「…オレね、この道スキ」
カカシさんの声が俺を思考の縁から引き戻した。辺りを見れば、川沿いの道に出ていた。
サラサラ、サラサラ土手の下で川が流れ、夏の間に伸びた草が風にたなびいている。
「覚えてる?この道で、初めてイルカ先生とキスしたんだよ」
さあっとあの夜の風が頬を撫ぜた気がした。
火照った頬に冷たい風が気持ち良かった。カカシさんが手を握ったから、ますます頬が熱くなった。
(あの時にはもう、カカシさんが好きだったんだ…)
ずっと気付かないフリをしていた。やがて傷付くのを知っていたから。それでも俺はカカシさんを好きになった。好きになってしまった。
そのせいで誰かが傷付くとしても、もうこの手を離せない。
「…カカシさん、俺の傍に…いて……」
蚊の鳴くような小さな声で言った。届かなくても良いと思ったけど、ちゃんとカカシさんは聞き届けてくれて俺の体を両腕で包んだ。
「ずっと傍にいるよ。ずっといる」
苦しいほどの抱擁に顔を上げると唇が重なった。
「あっ」
彼女の視線を思って離れようとしたけど、カカシさんの手が項を押さえて逃れられなかった。口吻けが深くなり、舌が絡まる。
「イルカ先生がスキ。イルカ先生だけがスキ」
いつしか赤い糸は地面に垂れて、通りの向こうに消えていた。
「あっ…あ…、んっ!…カカシさん…カカシさん…っ」
家に帰り着くと、服を脱ぐのももどかしくベッドに縺れ込んだ。
後口にカカシさんのモノを深く刺し貫かれて受け止める。揺さぶられる激しさに、息も絶え絶えに喘いだ。灼熱の快楽が体を溶かし、互いの境界を曖昧にしていく。
「はっ…、イルカ、センセ…」
ぐうっと体を倒したカカシさんが唇を塞いだ。深く舌が絡まり快楽が高まる。
「あっ…んんぅっ…んん…っ、はあっ…はぁっ…ああっ」
呼吸すら奪う口吻けに息が絶え絶えになると、ちゅっと音を立てて唇を離したカカシさんが胸に顔を伏せた。散々弄られて赤くなった乳首に舌が絡まる。
「ああっ!…あっ、あっ、だめ…っ、…だめぇっ…」
「もうイっちゃう?」
探るように中心に触れられて、広げられた足に電気が走った。つま先まで痺れて、足が痙攣する。
「スゴイ、ぐちょぐちょになってるよ?」
「あぁっ…!!」
知らしめるように濡れた先端を親指で丸く撫でられて嬌声を上げた。射精しそうになって、カカシさんの背に爪を立てると、あともう一押しを待った。だけど、カカシさんは何もくれない。
「あっ、あっ、やぁっ…もっと…、…しごいて…っ、あっ」
「ダーメ。今日は後ろでイって」
「やぁ…っ、…ねがっ…もっとぉ…!」
「もっと、シて欲しいの?」
必死になってガクガクと頷くと、カカシさんは「いーよ」と笑った。それから徐に俺の足首を掴むと持ち上げた。浮いた腰にカカシさんが腰を回すようにして突き挿れてくる。
「ひぁっ!」
ぐりっと弱い所を抉られて腰が跳ねた。ソコばかりを責められて悶絶する。カカシさんが突く旅に前から白濁が零れて胸を濡らした。
「ああっんっ、…アッ!…あぁっ!カ、カカシさんっ、カカシさん…っ」
地獄の様な快楽に啜り泣いた。突かれる度に射精しているのに、別の快楽が押し迫っていた。体の奥が甘くさざめき、その波の感覚が短く大きくなってくる。
「あっ、だめっ…!くるっ!あ…、らめっ…しんじゃう!…しんじゃうぅ…」
「一緒に死のう、イルカセンセ」
はっとして目を開けると、カカシさんが優しく微笑んでいた。セックスの事だと分かっているが、俺には違う意味に聞こえて胸が詰まった。嬉しくて嬉しくて涙が出た。
「…いっしょ…?」
子供の様に甘えて両腕を伸ばすとカカシさんの首にしがみついた。
「ウン、一緒」
甘く囁いたカカシさんに笑いかけると、カカシさんの向こうに赤い糸が見えた。
糸が天井に向かって伸びている。
「ヒィッ!!」
全身を貫く恐怖に飛び起きると、カカシさんも飛び起きた。
「えっ!え?何事??」
心臓が破れそうなほど激しく波打ち、全身がガタガタ震えた。
「どうしたの?イルカ先生。…怖い夢でも見たの?」
「夢…?」
改めて辺りを見渡すと真っ暗で、二人とも裸のまま眠っていたようだった。カカシさんの頭はボサボサで、ついさっきまで繋がっていたようには見えなかった。糸も天井から垂れていない。
「夢……」
どこまでが夢だったんだろう?帰って来てからすぐにカカシさんと抱き合った。いつの間にか眠ったらしい。
そうと分かっても、体の中から恐怖は抜けて行かず、震えが止まらなかった。次第にぽろぽろと目から涙が零れて頬を濡らした。
「わっ!そんなに怖い夢見たの?かわいそうに…。ダイジョウブだーよ、オレが居るから。何も怖くなーいよ」
抱きかかえられて背中を撫でられる。
「怖くなーい。怖くなーいよ」
「ひっ…ひっぅ…」
「ダイジョウブだーよ」
カカシさんが大丈夫だと言えば言うほど俺の中の不安は形になって、深い沼のように胸が重く沈んだ。
← →