すこしだけ 51



 家を出ると、カカシさんはいつもと代わらず手をしっかり繋いできた。にっこにっこと笑いながら話す様は、不安なんて一つも無い様に見えた。
 時折すれ違う人が、「あっ!」って顔で見て行ったけど、カカシさんはお構いなしだった。俺のことしか見ていない。噂の真偽を確かめるみたいにチラチラと視線を向けられて、手を離そうとしたらぎゅっと握られた。そのまま指を絡める様に繋ぎ直す。
「カ、カカシさん!」
 さすがに遣りすぎだと思って手を振るが、カカシさんの手も一緒に付いてきた。
「ちょ…、離して――」
「イルカ先生、手を離したらヤダ」
「ヤダ…って!往来でこんなことしたら恥ずかしいじゃないですか!」
「恥ずかしくなぁいもーん」
「もーんじゃねぇ!俺は恥ずかしいんだ!」
「やーだ」
 右に振っても左に振っても離れないカカシさんの手に業を煮やす。はっと気が付いて周りを見ると、見てはいけないものを見た様に視線を逸らされた。カカーッと顔が火照る。
「も、もうっ!行きますよ!」
「ウン」
 慌ててその場を離れると、カカシさんも手を繋いだまま上機嫌で歩き出した。
「それじゃあ、カカシさん…」
 アカデミーの門に差し掛かって手を引くと、指が離れた。ぎゅっと握られて汗まみれになった手を腰に当てて、婚約のことをちゃんと話してくる様に念を押そうかと迷っていると、カカシさんが門の中に入ってきた。
「…カカシさん?」
「ウン」
 どこに行くのだろうと首を傾げると背中を押された。校庭を横切って、アカデミーの建物の前まで来ると、ここで別れる気かと見上げるが、カカシさんはアカデミーの中にまで入って来た。
「カカシさん、どこに行くんですか?今日は 上忍師の任務ですよね?」
「いいから、いいから」
「???」
 カカシさんの行動の意味が掴めないまま職員室の前まで来て、はっと今朝のことを思い出した。
 ――子供みたいにどこまでも俺の後についてきた。
(まさかギリギリまで俺の傍に居るつもりじゃないだろうな…?)
「それじゃあ、カカシさん。いってきます」
 そそくさと挨拶して職員室の中に入ろうとしたら、案の定カカシさんも中に入ろうとした。さっと、みんなの視線が集まる。恥ずかしくなって追い出そうとすると、カカシさんが足を踏ん張った。
「ちょっとカカシさん!どこまでついてくるんですか!」
「だって、まだ時間あるもん」
「だってじゃねぇ!さっさと任務に行って下さい!」
「やだーっ、まだイルカ先生と一緒にいる!」
「煩い!さっさと行け!」
 真っ赤な顔で押し返すと、カカシさんがふぅと溜め息を吐いた。
「…しょうがないですねぇ。じゃあ行ってくるけど、イルカ先生浮気しちゃあダメですよ」
(どっちがだ!!)
 カカシさんが浮気した訳では無いけれど、思わず頭の中で突っ込むと、何を思ったのかスッと口布を下ろしたカカシさんが微笑んだ。
「帰りは一緒に帰ろうネ。いってきます」
 いつも見慣れてる俺でさえ、ぽぅっとなってしまいそうな顔で言うと、ちゅっと俺の頬に口吻けて瞬身した。
 しん、と静まり返った職員室が騒然となった。
「キャー!!見た?はたけ上忍の顔!!カッコいいーっっ!!」
「すっげぇな!初めてはたけ上忍の顔見たよ!」
「イルカ!お前が男と付き合うなんてと思ってたけど、ようやく理解出来たよ!アレなら男でも堕ちる!!」
 ぽんと肩を叩かれて、俺の首は赤べこのように揺らいだ。
(な、な、な、何するんだ!!!)
 恥ずかしくて悶死しそうだった。

 噂は一瞬で塗り替えられた。
 狙ったのか、たまたまなのか、カカシさんがしたことは効果てき面だった。カカシさんの顔の話題が駆け巡り、婚約の噂が消えた。それと一緒に俺にべた惚れだってことも広まった。
 休憩時間になるとカカシさんの顔を見られなかった教師や噂を聞いた忍びが集まり、見た教師に変化を迫った。だけど、今回も忘却の術を掛けたらしく、いくら再現しようとしても無理だった。
 なんとか変化してみても、カカシさんの顔を見た女性教師陣からは不評だった。
「はたけ上忍の顔はそんなんじゃ無かったわよ」
「…そんなんって、じゃあどんなんだよ?」
「もっと、こう格好良くて…」
「カッコいいだろうが」
「どこがよ!あーん!もう一度はたけ上忍の顔が見たーい!」
 黄色い声と視線が俺の背中に突き刺さったが、一切無視した。この上カカシさんに変化なんかしたら俺の心臓は間違いなく止まる!
 どっきどっきと逸る心臓を抑えて眠ったフリをすると、また変化を行う音が聞こえて女性陣のブーイングの声を上げた。
 放課後になると、もう一度カカシさんの顔を見れるかも、とソワソワした空気が広まり、俺はカバンを提げると外に出た。木の陰に隠れて、ひっそりとカカシさんを待つ。
「どうしたの?イルカセンセ」
 いつもと違う場所にいたのに、カカシさんは違えずに俺の所に来て首を傾げた。
「カカシさん…!」
 いそいそと隣に並ぶとアカデミーの外に向かう。
「…もしかして、いぢめられた?」
「そんなに何度も虐められませんよ」
 心配性なカカシさんからふいっと顔を逸らして、急ぎ足で歩いた。
「待ってよ、イルカ先生」
 きゅっと手を握られて、手の平がヤカンみたいに熱くなった。
「アレ?熱い…。イルカ先生、熱があるの?」
「熱なんてありません」
 カカシさんが手を伸ばして額に触れようとするのに顔を背けた。
「イルカ先生、さっきからどうしたの?オレのこと、怒ってる…?」
「…怒ってません!」
「でも…」
「早く帰りますよ」
「ウン…」
 納得してない返事にも、俯いて応えなかった。……照れ臭いだけだった。今朝、あんな男前な顔で笑ったりするから。思い出すと心臓がどっきどっきと高鳴る。
 それに、みんなの前で俺を恋人として扱ってくれたから嬉しかった。今日一日、俺はそのことが嬉しくて堪らなかった。
「イルカセンセ、買い物しないでダイジョーブ?」
「あっ」
 せかせか動かしていた足を止めて、カカシさんを見やった。
「何もないかも…」
「じゃあ、買い物して帰ろ」
 向きを変えて、くいっと手を引かれる。今度はカカシさんのペースで歩いた。
 カカシさんの指に、手甲の手触りに、意識を向ける。俺の手と繋がったこの手を、心底愛しいと思った。それから、反対側の手から伸びる赤い糸――。
「…カカシさん、婚約のことどうなりました?」
「んー…」
 曖昧な返事に不安になった。
「…駄目、だったんですか?」
「ちゃんと言ったよ。あの女と結婚するつもり無いって。だけど年寄りは頭が固いからね。ま、イルカ先生は心配しないでいーよ。オレがなんとかするから」
 こっちを向いてニコッと笑うカカシさんを信じた。その笑顔に嘘偽りは見当たらなかった。


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