すこしだけ 50



 時間が経つにつれ、複雑な心境になってきた。婚約のことを隠していたカカシさんに、不信感が募る。
(まだ、俺が知らないことを隠してるんじゃないか…?)
 疑心暗鬼になってもやもやするが、そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、カカシさんは甲斐甲斐しく俺の世話を焼いて機嫌を取った。
 一緒に、と言うのを撥ね退けて、別々に風呂に入ると髪を乾かし居間の明かりを消した。寝室に入ると、ベッドの中で本を読んでいたカカシさんが俺を見てニコッと笑った。自分のスペースに潜り込むとカカシさんに背を向けて体を丸めた。すぐに明かりが消えて、カカシさんが俺の背中に張り付いた。
「イルカセンセ…」
 体に回される手に身を固くする。団子虫のように手足を縮めると、カカシさんが顔を上げた。
「…イルカセンセ、どうしたの?今日はシないの?ねぇ、シようよ?」
 ぎゅっと体に力を入れることでカカシさんを拒むと、哀しそうな声がした。
「イルカ先生、怒ってるの?オレのことキライになった…?」
 哀れみを誘う声にイラッとした。嫌いになれたらどれほど楽だったろう。眉間に深い皺を寄せて無視を決め込むと、カカシさんが俺の首筋にぐりぐり顔を押しつけた。
「イルカ先生ゴメンなさい。明日、絶対ちゃんとするから。オレのこと、キライにならないで…。
ねぇ、イルカ先生…、イルカ先生…」
 カカシさんの声が震えてる気がした。
(泣いているのだろうか?)
 まさかカカシさんが泣くまい、と思いながらも心が揺さぶられる。泣いているかもと思うと、氷がすーっと溶けていくようにカカシさんへの怒りが薄れ、哀れみ気持ちが湧いた。
「イルカせんせぇ…」
 振り向いてカカシさんに声を掛けようとしたら、カカシさんが布団の中に潜り込んだ。
 なんだ?と思ったら、布団の中でカカシさんが俺の足を開いた。その間に身を割り込ませると、パジャマを下ろして足の間に顔を埋めた。
「なにして…!」
 いきなりの口淫に動揺して、体を起こそうとしても足を押さえ込まれて起きられなかった。
「いやだ…っ!やめろ!」
 じたばた足を暴れさせるがカカシさんの力の方が強い。
「このっ!」
 無理矢理の性行為に初めての時のことを思い出してカッとするが、遣り様がいつもと違うのに気付いて動きを止めた。俺の性欲を高めようとするのではなく、ただ許しを請うようにヒタヒタと舐める。その様子が、傷付いた犬が傷口を舐めるようで、またしても怒りが引いていった。
(俺って、もうカカシさんを怒れないんじゃないか?)
 カカシさんがあまりにも俺の深いところに入りすぎて、強く出られない。おまけにヒタヒタと舌を使う合間に、ぐずっと鼻を啜る音が聞こえて諦観の溜め息混じりに名前を呼んだ。
「…カカシさん」
 布団の中で声が聞こえないのか、カカシさんがぐずぐず、ヒタヒタを続ける。怒りが薄れると現金なもので、敏感な所を舐められた刺激から興奮が兆した。
「カカシさん」
 いつまでも続けるカカシさんにじれったくなって、布団の中に手を入れると髪に触れた。ビクッと震えたカカシさんが離れまいと俺の足にしがみ付いた。まるで子供だ。
「…カカシさん。するならちゃんとしてください」
「イルカ、せんせ」
 息苦しげに呟いたカカシさんが「ズッ!」と大きく鼻を啜った。いそいそと布団の中から這い出てくると俺の顔色を窺う。
「イルカせんせ、もう怒ってない?」
 目と頬と鼻の頭を真っ赤に染めて上目遣いに見つめる。
(…ずっるいなぁ…っ)
 本当なら泣きたいのはこっちだ。なのにカカシさんに先に泣かれてしまったから泣くに泣けない。でもカカシさんの情けない顔を見ていると、なんとかなりそうな気がしてくる。
「………………怒ってません」
「イルカせんせっ」
 カカシさんが嬉しげに頬を重ねると、ちゅぱちゅぱとそこに吸い付いた。
「イルカセンセ、イルカセンセ、スキ…。イルカセンセ、オレのこと信じてね。キライになったらイヤだよ?オレ、イルカ先生がいないと生きていけない。オレを捨てたらダメだよ?」
 顔を話して俺を見下ろすカカシさんの瞳から、ぽたっと透明な雫が落ちて頬を濡らした。ひっくひっくと喉を振るわせるのに呆気に取られた。
 捨てられるのは俺の方だとばかり思っていたのに、カカシさんの方が捨てないでと泣く。
(俺から捨てられる訳ないじゃないか)
 一生に一度の恋なんだ。カカシさんの手を離したら、俺だって生きていけない。
「カカシさん、絶対に断ってくださいね」
「ウン、分かってる。分かってるよ、イルカセンセ…」
 再会した愛撫の手に身を委ねながら、俺は自分が鬼になった気がした。俺はカカシさんの運命の人を、カカシさんの幸せを知っているのに、ぶった切ろうとしている。
(…いつかバチが当たるかもしれない)
 それでも良いと思えた。カカシさんが手に入るなら、罰ぐらい、いくらでも受ける。


 白い光の中で目を覚ますと、身動き出来ないほどがっちりとカカシさんの腕の中に閉じ込められていた。
 痛い。それにトイレに行きたい。そっと腕の中から抜け出そうとすると、腕の輪はますますきつく締まった。
「い、痛いっ!ちょっと…起きてください!カカシさんっ、カカシさんっ!」
「んぁっ!?どこにも行っちゃあダメだよ!イルカ先生!!」
「…っ!寝ぼけてないで、腕を放せ…!」
「え?あ…、ゴメン。……どこ行くの?イルカ先生…」
「トイレです、トイレ」
「そう…」
 腕が緩み、布団から抜け出すと、カカシさんも後をついてくる。
「…カカシさんもトイレですか?先、入ります?」
「ん、いいよ。イルカ先生、先に入って」
 腑に落ちないながらも用を済ませて外に出る。そのまま洗面台に向かうとカカシさんもついてきた。
「…カカシさん、トイレ入らないんですか?」
「ン、いい。オレも歯磨きする」
「そうですか…」
 並んでシャカシャカ歯磨きするのは変な感じだ。いつもなら、カカシさんが早起きして朝ご飯を作ってくれるのに、今日はそれが無かった。
 先に口を流して台所に向かうと、バタバタとカカシさんがついてくる。
「イルカセンセっ」
 振り返ると、カカシさんの口許に歯磨き粉が残っていた。
「カカシさん、付いてますよ。ちゃんと顔洗ったんですか?」
 指先で口許を拭って見せると、カカシさんは腕でゴシゴシ拭いて誤魔化した。
「ン、いい」
「良くないですよ。ちゃんと洗え」
 俺は教師だから、こういう事には煩い。ぐいっとカカシさんの体を押して、洗面台へ追いやろうとすると、カカシさんが泣きそうな顔で抗った。
「イ、イヤだ、傍にいる…!」
 ぎゅうぅと抱き締められて優越感に浸る。
(カカシさんは俺の事の方が好きだ)
 赤い糸で結ばれたって、あの人を選んだりしない。
「…どこにも行きませんよ。ほら、一緒に行くから顔を洗って」
「ウン」
 手を引くと、カカシさんが嬉しそうに笑う。大きな子供が出来たみたいだった。


 出勤の準備をしながら授業に必要なものをカバンの中に詰めていると、知らず溜め息が零れた。家の中に居る分にはいいが、やはり外に出るのは怖い。また違う噂が流れていたらとか、ミツバ先生に会ったらと考えると、気持ちが沈んで暗くなった。
「ダイジョウブだよ?何も心配しなくていいよ」
 俺の溜め息に気付いたカカシさんが優しく声を掛けてくれる。
「…でも、ミツバ先生はそれで納得するでしょうか…?」
 何気ない問い掛けに、カカシさんがハッと俺の腕を掴んだ。
「イルカ先生、あの女の事知ってるの?噂では名前まで出てなかった筈だけど…」
 あっと思った時には遅かった。確かに噂では、誰もミツバ先生の名前を口にしなかった。ただ『深窓の令嬢』とか、『誰か相手が居る』ってだけで、カカシさんの婚約者について具体的なことは知っていなかった。
 でも、俺は見えているから、相手はミツバ先生だと決めつけていた。
「その…俺…」
「イルカ先生、あの女に何かされた?」
 怖い顔で俺を見つめるカカシさんに、前のことを思い出した。俺に文句を言いに来た女の人達をカカシさんが追い払った。あの時のヒヤリとした空気を思い出して、急いで頭を横に振った。
「ち、違います!前に病院で会っただけで…、何もされてません。誰かがあの人だって言ってたから……」
「だれ?」
「え?」
「誰が言ったの?」
「あの…えっと…、…昨日はいろんな人にいろいろ言われたので覚えてません…。あっ」
 言い訳のつもりで言った言葉が、知らずカカシさんを責めていた。怖い顔をしていたカカシさんの眉尻がへなっと下がる。
「そんなに言われてたの?ゴメン、辛い思いさせて」
「いいんです!言われるのなんて平気です。……あの、カカシさん。あの人はどういう人なんですか?」
 慰める腕の中でゴシゴシと頭を撫でられるのに気を大きくして、思い切って前から気になっていたことを聞いてみた。なのにカカシさんの答えはあっさりしたもので、
「…イルカ先生は知らなくていーんだよ。すぐに居なくなるから」
 何故かその言葉にドキッとして、――すぐに2ヶ月したら彼女が居なくなるのを思い出した。
「研修が終わったら、帰るからですか?」
「そんな話までしてるの?他に何か言ってた?」
「いえ…、あまり話す暇が無かったから…」
 困った顔で見つめられて、しどろもどろになった。
「それでいーよ。あの女の事はオレに任せて。ネ?」
 さっきまで子供みたいだったくせに、大人の顔に戻ったカカシさんに諭されて、渋々頷いた。


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