すこしだけ 45



 くしゃくしゃした気持ちのままアカデミーに戻ると、職員室の前にカカシさんが居た。子供用のベンチに長い足を持て余すように座り、本のページを捲っている。
 その姿を見て強ばっていた気持ちが緩んでいくが、俺を見つけて微笑むのを見ると泣き出したい衝動に駆られた。
「カカシさん…!」
 切ないほど好きだと言う気持ちが溢れ出す。どうしても取られたくない。
「おかえり、イルカ先生。…どうしたの?子供の様子、酷いの?」
 心配そうに俺を見つめるカカシさんに、自分がどんな顔をしているのか知った。
「ううん。大丈夫です。家族の人も来てくれたので、きっともう帰る頃だと思います」
「そう。大事にならなくて良かったね」
 うんと大きく頷いて、自分のことのように心配してくれるカカシさんに甘えたい気持ちになった。カカシさんに依存しきっている自分に気付いて、嬉しくも哀しい気持ちになる。カカシさんだったから、俺はここまで人を受け入れることが出来たし、カカシさんでなければ、ここまで胸の裂ける想いをしなくて済んだだろう。
「もう帰れるの?一緒に帰ろう?」
「はい。カバン取ってきます」
 カカシさんを失うなら、きっと手足がもげた方が楽だ。


「イルカ先生、今日の晩ご飯はオレが作るよ。何が食べたい?」
「うーん、何でもいいです」
 カカシさんが作ってくれるものなら。
 料理をしないと言っていたカカシさんは、俺と住むようになってから、めっきり料理の腕を上げた。最初は俺が作るのをちょこちょこ手伝うぐらいだったが、あっと言う間に上達して、今では俺よりずっと旨い飯を作った。その上、ただ魚を焼いて出すだけの俺の料理とは違い、和え物とか手の込んだものを作る。
「そうだなぁー…、あ、オレ前から肉じゃが作ってみたかったんだけど…、それでいーい?」
「肉じゃがですか!?そんなの作れるようになったんですか!?食べたいです!俺、肉じゃが好きです」
「う、ううん。テレビでちらっと見ただけだから失敗するかも…。あんまり期待しちゃダメだーよ?初めてだし」
「分かりました。…でも楽しみです」
 そっと手を繋いで嬉しいと伝えた。カカシさんがその手を握り返す。照れくさくて下を向いた。こうして二人でいると、カカシさんの運命の人のことが薄れていった。糸はちゃんと在るけれど、あの人が現れる前のような穏やかな気持ちを思い出す。
「なに見てーるの?」
「いえっ」
 赤い糸から目を離して顔を上げるとカカシさんが不思議そうに首を傾げていた。なんでもないと首を横に振ると、カカシさんがにっこり目を細めた。
「ネ、イルカ先生んちの肉じゃがはどんな味だった?味付けは濃い方だった?それとも薄い方?」
「えーっと…、………あまり覚えてないです。食べた気はするんですが…。カカシさんちはどうでした?」
「オレんちはあまり家で食事すること無かったから」
「そうですか…」
「ふふっ、じゃあイルカ先生の家庭の味はオレの味だーね」
 嬉しそうに告げるカカシさんに、きゅん!と胸が高鳴って泣きたくなった。きっと今の言葉は何年経っても思い出して、カカシさんへの愛しさと共に俺を苦しめるだろう。だけど、そう言って貰えたことが嬉しい。泣きそうになるぐらい嬉しかった。


「イルカセンセ、イルカセンセ!ホラ、出来てきたよ。ネ、味見して?」
 ぐつぐつ煮える鍋の前で、カカシさんは何度も俺を呼んだ。手伝おうとすると座ってて良いと言う癖に、余程気になるのだろう。ジャガイモに火が通ったと言っては呼ばれ、味付けをしたと言っては呼ばれる。
「ネ、このぐらいでいーい?もう味薄くない?」
 煮汁の入った小皿を渡され味見する。
「うん、いいと思いますよ。おいしいです」
「ホント?ふふっ、じゃあそろそろ火を止めようかな。味染みてるかな?」
「…さぁ、どうでしょう」
 そもそも煮物なんて、どのぐらい煮たらいいのか分からない。鍋の中で薄く醤油色に染まったジャガイモを見下ろし、ごくりと唾を飲み込んだ。
「…じゃがいも、美味しそうですね」
「味見してみよっか?」
「はい!」
 カカシさんが持ったままの小皿にひょいとジャガイモを乗せて、二つに割った。ジャガイモの割れ目からほかりと湯気が上がる。カカシさんがふーっと息を吹きかけ、箸で摘んだジャガイモを俺の口の前に持って来たから唇を開いた。アツアツのそれを舌の上で転がしながら咀嚼する。
「…どう?」
「…あひっ!うまっ!旨いです」
「そう?」
 にこーっと嬉しそうな顔になったカカシさんが自分の口にジャガイモを運んで、満足そうに微笑んだ。
「ウン、ちゃんと出来てる」
 その笑みをじっと見つめた。
「ん?どうしたの?…もしかして、惚れ直した?」
「ふんっ、何言ってんですか。早くご飯にしてください。俺、腹ぺこです」
「はぁーい。イルカ先生のお肉いっぱい入れてあげるネ」
「やった!」
 ご飯とお味噌汁を用意して卓袱台で待っていると、カカシさんが肉じゃがの入った器を運んできた。コトンと置かれた器の中にはタマネギと大きなジャガイモを覆い隠すように肉が乗せられていた。
「うわーい、肉!」
 殊更俺は喜んだ。「いただきます」と手を合わせると、まず肉じゃがに箸を付ける。肉を頬張って、それからジャガイモを口いっぱいに詰め込んだ。
「おいひ」
 むぐむぐ口を動かす俺をカカシさんが嬉しそうに見ている。
 今まで食べた肉じゃがの中で一番旨かった。


 夕食後、皿を洗っていたら風呂の準備を終えたカカシさんがぼそぼそ呟いた。
「…一緒に入りたいなぁ」
 聞こえるか、聞こえないかの声で、それでも俺に届いたと言うことは聞かせたかったのだろう。
はっきり言わないのは、あれだ。俺が前に拒絶したから。カカシさんは強引な所がある癖に、案外繊細だ。俺に拒絶されると傷付くらしい。
「……入りたいなぁ、一緒に入りたーいなぁー…」
(子供かっ!)
 込み上げてくる可笑しさを必死に隠す。
「………」
「え!?」
 泡を水で流しながら呟いたら、カカシさんが飛んできた。さすが上忍。地獄耳だ。
「イルカ先生、今なんて言ったの!?もう一回言って?!」
「聞こえなかったのならいいです」
「いえ!聞こえました!『いいですよ』って言いました。イルカ先生、一緒にお風呂入ってもいいの?」
「……そんなこと、何度も言いません!」
 唇を尖らせると、背中に覆い被さったカカシさんに揉みくちゃにされた。遠足を前にした子供みたいにはしゃいで大興奮している。
(なんでこの人こんなに俺のこと好きなんだろ?)
 いつも不思議になる。


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