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すこしだけ 44
きゅぅと血の気が下がって視界が狭まっていく気がした。まっすぐ向けられる彼女の視線に全身が凍り付いていく。
(この人がカカシさんの……)
改めて見ると、とても綺麗な人だった。明るさと聡明さが面差しに現れ、彼女を知的に見せている。
「…昨日、火影室でお会いしましたよね」
「えっ?ああ…はい。お医者さんだったんですね」
俺を見ていた目が、ふわっと撓んで弧を描いた。すぐに視線は外され、子供の目線に合わせると、「どうしたのかなー?」と顔を覗き込む。微笑むと、彼女は途端に可愛らしくなった。
(太刀打ち出来ない…)
苦々しさが口の中に広がる。迫り来る敗北感にどっぷり首まで浸かった。
「…っく、は、鼻…ぶつけた…ひっく…」
「どこをぶつけたのかな?」
「ココ…」
辿々しく答えるヨロイに、はっと我に返って事情を説明した。彼女は俺の話を軽い頷きを交えて聞きながら、さっとメモを取るとヨロイに向き直った。
「じゃあ、先生に見せてくれる?冷たい器具を入れるけど、怖くないからねー」
ヨロイの鼻の中から赤く染まった詰め物を取ると、金属の医療具が差し込まれた。鼻の中を覗く為だろうが、ヨロイの目から大粒の涙が落ちて、嫌がるように仰け反った。
「痛く無いよ~。…お父さん、すみません。お子さんの頭、抑えて頂けますか?」
「お、お父さん!?俺!?」
「あ…、違うんですか?さきほど『子供が』とおっしゃってたので…」
「違います。教師です」
「担任の先生ですか?」
「あ、いえ…、たまたま居合わせたアカデミーの教師です。……海野イルカと言います」
噛み合わない会話に困っていると、彼女が目を細めた。
「私はミツバです。じゃあ、海野先生、お願い出来ますか?」
「はい」
にこりと笑いかけられて、思わず笑い返した。人を和ませる空気が彼女にはある。
「…うん、神経は切れてないですね。鼻血が出て辛いとは思いますが、しばらくこのまま詰め物をして、何度か血の塊が下りてきたら止まると思います。様子が見たいので、カーテンの向こうのベッドで休んで貰えますか?ただし寝ないで。寝ると血が喉に下りるから…。我慢できるかな?」
てきぱきと俺に指示すると、最後はヨロイに向かって問いかけた。綺麗な先生に見つめられて、ヨロイがこくんと頷いた。促されてベッドに腰掛けると、恥ずかしそうに顔を背けた。そんなヨロイの姿に、ミツバ…先生はにこりと微笑むと診察に戻って行った。
「大したことなくて良かったな。…ヨロイはすずめ先生のクラスだったな?アカデミーに連絡して、親御さんに迎えに来て貰うな」
ベストから紙と鉛筆を出すと経過を認めて鳥に換えた。窓から放すと大きく翼を羽ばたいて飛んでいく。
「…せんせい、ぼくのこと知ってるの?」
「ん?ああ、アカデミーの生徒のことなら大抵のことは知ってるぞ」
ヨロイとたわいない話をしながら、彼女のことに思いを巡らせていた。名をミツバとしか教えてくれなかったが、姓だろうか名だろうか。姓だとしたら聞いたことのない名字だった。少なくとも里にミツバ一族は居ない。
さっきお父さんに間違えられたことを思い出してショックを受けた。こんな大きな子供がいるような年に見えるのだろうか?よく年より老けて見えると言われるが、
「…ヨロイはいくつなんだ?」
「12だよ」
「………」
……あんまりだ。
この病院にはずっといるのだろうか?だとしたら、カカシさんに会う機会も増えるだろう。二人はどういう関係だろうか。
(……昨日、カカシさんが火影室に呼ばれた理由って何だったんだろう?)
突然重要なことに気付いて、ドキッとした。昨日は赤い糸を見たせいで考えが及ばなかったが、わざわざ彼女が居る場に呼びつけられるなんて特別なことだ。少なくとも、火影様は彼女にカカシさんを会わせたかったのだ。何故?あの後、火影室ではどんな会話がなされたのだろう。
帰ったら、カカシさんに聞いてみようと思った。だけど任務の話なら、俺が聞いても教えて貰えない。でも、任務のことなら問題ない。だって、任務なら一時的なものだし、二人を繋げることにはならない………。
――遅かれ早かれ。
鐘を鳴らすように頭の中に響いた。そうだ、時期はいつになろうと、二人はいつか惹かれ合う。
それは俺がどう考えようと、どんな行動を取ろうと変わらないことだ。はあっと内心重い溜め息を吐くと、声がしてカーテンが開いた。
「どうですか?」
「まだ出ているようです」
「そうですか。ちょっと見せてねー」
処置を施す彼女の手首から赤い糸がふわりと浮かんで伸びていた。
(この先にカカシさんがいる…)
言いようの無い寂しさに胸が覆われた。
(…消えて無くなりたい)
ほわ、と泡のように浮かんだ想いを叱責した。
(何言ってんだ。ずっと、分かってたじゃないか。いつかこんな日が来るって。準備してきたじゃないか)
だけど、どんな風に終わりを迎えるのかは想像してなかった。
「…この病院には、ずっといらっしゃるんですか?」
だとしたら辛い。
「いいえ、研修で来てるんです。2ヶ月したら帰ります。本当はツナデ様にお会いしたかったんですけど、いらっしゃらないようなので、こちらでお世話になることになったんです。なにせここは火の国の医療技術の最高峰ですから」
少しだけ嬉しいと思った。2ヶ月したら彼女は目の前から消える。その時、カカシさんとどうなっているか分からないが、彼女とカカシさんが一緒にいるところを目にしなくて済むだろう。
「…優秀な方なんですね」
「あら、それを言うなら海野先生もでしょう。アカデミーは火の国の学問の最高峰でしょう?」
屈託無く微笑む彼女に溢れる自信が見て取れた。卑屈にものを考える俺とは違う。若く、綺麗で聡明で、俺なんかよりずっとカカシさんにお似合いだと思った。誰が見てもそう言うだろう。
じりっと胸の底が焦げ付いた。どんなに彼女が素敵な人だろうと、俺は一生彼女を好きになれない。
(…早く誰か迎えに来てくれないだろうか)
一刻も早く彼女の傍から離れたかった。どんどん自分が嫌になっていく。
「海野先生は――」
「え?」
名前を呼ばれて視線を向けるが、彼女が続きを言う前にドアがノックされた。
「失礼します。アカデミーの先生とご家族の方がいらしてます」
「あ、すずめ先生」
「イルカ先生!すみません、うちのクラスの子が――」
「ヨロイ!」
「母ちゃん!」
一気に賑やかになった病室に、これ幸いと腰を上げた。
「それじゃあ俺、アカデミーに戻ります」
すずめ先生に耳打ちすると一斉に頭を下げられた。
「イルカ先生、ありがとうございました」
「いえ」
「あっ!イルカ先生、はたけ上忍が待ってましたよ」
秘密を打ち上げるように告げられた言葉に反応したのはミツバ先生だった。『え?』と聞こえた小さな声に心臓が固まる。追求する視線を感じて、頑なに目を合わせないようにした。逃げるように診察室を抜けると、振り返らずに病院を出た。自然と足が速くなる。
(どうして俺が逃げなきゃいけないんだ…!)
今、カカシ先生と付き合っているのは俺なんだ!と頭のどこかが主張した。でもすぐに、カカシ先生の本当の相手は俺じゃないと、俺の本質が告げてくる。考えることがぐちゃぐちゃで、頭が可笑しくなりそうだった。
(なんでなんだよ!!!)
爆発しそうな感情が込み上げる。なんで、俺がカカシさんの運命の相手じゃないんだ。
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