すこしだけ 39
家に帰る途中、カカシさんは始終無口で、手を繋いでいなければ別々に帰っているような雰囲気だった。少し前を歩くカカシさんの表情は見えなくて、何を考えているのか判らない。
(……呆れてるかな)
いくら相手が上忍でも、女の人に囲まれて泣いたのは良くなかった。あの場では庇ってくれたけど、同じ男として情けなく思ってるかもしれない。
『男が泣いてもみっともないだけね』
言われたばかりの言葉が蘇って胸を刺した。今まで自分のことで手一杯だったから、周囲が俺たちのことをどう見てるかなんて考えてなかった。あの人達は面と向かって言ってきたけど、きっと心の中で同じように思ってる人が沢山いるに違いない。
(……カカシさんは、俺の居ない所で、何か言われたりしなかったんだろうか…?)
もしそうだとしたら申し訳ない。次第に繋いだ手が気になってきた。こんな風にしていると、また何か言われるかもしれない。 そっとカカシさんの手の中から自分の指を引き抜こうとすると、急にカカシさんが指を強く握った。そのまま振り向きもせず、まっすぐ前を向いたまま俺の手を引く。
「……カカシさん」
返事は無かったけど、指が緩むことは無かった。
部屋に帰り着くと、見慣れた景色に凄くホッとして布団に潜り込みたくなった。以前の俺ならそうしている。だけど今はカカシさんがいるから出来なかった。ご飯の用意をしなくてはいけないし、何よりそんな姿を見せたら、ますます情けないヤツと思われかねない。
「…カカシさん、俺、ご飯作りますね」
「イルカセンセ」
笑顔を浮かべて台所へ逃げ込もうとしたら、それまで無口だったカカシさんが俺の名を呼んだ。きゅっと心臓を掴まる心地に聞こえないフリをした。何かを言われるのも嫌だし、慰められるのも嫌だ。
「今日のご飯は何がいいですか?お魚焼きましょうか?」
「イルカセンセ」
日常的な会話を許さない声音にぐっと口を閉じた。口の端が震えてまた泣きそうになる。
「……イルカセンセ、今日はオレがご飯作るよ。疲れたデショ?」
そっと背中に手を添えられて、突然感情が爆発した。
「どうして俺が疲れるんですか?内勤で、外で働いてないのに…!中忍だから大した仕事だって任されてないし、顔だって良くないし…!」
「センセ!イルカセンセ!」
背中の手を振り払って、ドンと強くカカシさんの胸を打つと抱きしめられた。身動き一つ取れないほど、強く強く抱きしめられる。離れようと藻掻いたけど駄目だった。
「ゴメン!ゴメン、イルカ先生」
俺の肩に顔を押しつけて、カカシさんが何度も謝った。カカシさんの胸を裂くような悲痛な声が、爆発して熱くなった感情を冷やしていく。熱が失せると、後に残ったのは地割れのような深いひびだった。俺は果てしなく傷付いていた。
「ゴメン…」
「どうしてカカシさんが謝るんですか…?」
悪いのは俺じゃないか。俺が至らないから、いろいろ言われる。
「オレのせいだから…。イルカ先生、オレのことキライになった?」
(俺がカカシさんを…?)
思いもしない問い掛けにカカシさんの顔を見ると、唇が近づいた。
(怖い)
ふぃっと顔を横に背けると、カカシさんが俺の唇を追いかけた。
「いやだ…!」
カカシさんのキスは俺を傷付ける。左右に顎を引いて逃げるが、無理矢理カカシさんの唇が重なり深く口吻けられた。
「ぅんっ…いゃ…」
必死に顔を背けそうとすると、不意に唇を離したカカシさんが俺を寝室へ運んだ。そこで行われることを想像して体が強ばる。
(気持ち悪いって言われたんだ。男のくせに、カカシさんの下で足を開いて気持ち悪いって…)
「いやだ…っ、したくないっ…」
ベッドに押しつけられ額当てが外された。カカシさんの体の重みを感じて顔が歪んだ。
「嫌だ…!お願いだからやめてください…!」
「そんなにイヤ?もうオレに抱かれたくない?」
強く顎を掴まれ上を向かされた。
嫌だ。絶対にしたくない。
拒絶の意味を込めて頷くと、
「……イルカ先生、オレのことスキ…?」
いきなりそんなことを聞かれて息を飲んだ。どうしてそんな話になるのか。突然のことに答えられないでいると、カカシさんが目を細めた。
「オレ、一度もイルカ先生にスキって言われたことがない」
(そんなことない、ちゃんと言った。ただ、カカシさんに届かなかっただけで…)
にっこり笑うとカカシさんは俺の顎から手を離した。胸が痛くなるような笑顔だった。
「…カカシ、さん」
「ん。黙って」
カカシさんの手がベストのファスナーを下ろした。カカシさんが俺を抱こうとしているのは明白だったが、抵抗出来なかった。
(…どうしよう。カカシさんを傷付けた)
だけど、改めて好きだとは言えなかった。面と向かって好きだと言ったりしたら、別れた時にもっと俺が傷付くからだ。
手甲を外したカカシさんの手が頬を撫でて首筋に触れる。後を追うように唇が触れ、軽く吸い上げた。いつもは楽しいこの行為が、急に味気ない乾燥したものに思えた。
「イルカセンセ」
甘い声でカカシさんが俺を呼んだ。だけどカカシさんの心がどこか遠くへ行ってる気がして寂しくなった。自業自得だが、――今日はなんて日なんだろう。
「ねぇ、イルカセンセ」
黙り込んでいると、カカシさんが俺の顔を覗き込んだ。指先が頬を撫でる。鼻筋や傷の上を丹念に撫でて、唇に触れた。かさかさした唇を何度も撫でる。
「閉じ込めちゃおっかな」
「え?」
「イルカ先生をどこかに閉じ込めようかな。オレしか知らない場所。誰にも会わせないで、オレにしか会えないの。あ、でも窮屈なのはイヤだよね?うーん、そだ!無人島なんて良くない?オレと二人だーけ。いいデショ?」
「……………」
無邪気なカカシさんの笑顔に、想像してみた。無人島を。南の島だった。椰子の木があって、焼けた砂浜をカカシさんと歩いたりする。誰も居なくて二人きりで…、だから誰にも傷付けられることもなくて。カカシさんの赤い糸も海の向こうに伸びているけど、俺しかいないから誰とも繋がることは無い。そしたら凄く安心だ。もう誰かに取られる心配なんかしなくていい。
「…ずっるいなぁ」
カカシさんの声が俺を現実に戻した。その顔がひどく穏やかだ。いつものカカシさんに戻っていて、苦笑しながら俺を見ていた。
「スキって言ってくれないくせに…、どうしてそんな嬉しそうな顔するかな。普通そこは嫌がる所デショ?」
「あ…」
だってすごく嬉しかったのだ。凄く凄く嬉しくて、涙が出そうになるくらいに。
「カカシ、さんっ」
どっちから求めたかなんて分からなかった。キスしたいと思ったらカカシさんの唇が触れていて、夢中になって重ね合わせた。行為は進み、だけど下衣を脱がされそうになると思わずズボンを掴んだ。裸になるのが少し怖い。
「…アイツ等に何か言われた?」
知られたくなくて首を横に振ると、カカシさんが「あーぁ」と溜め息を吐いた。
「純白だったイルカ先生が恥じらいを覚えた」
「な、なんですか、それ…!」
「だって、イルカ先生、オレがなにしても嫌がらなかったのに…。チクショー。やっぱアイツ等シメてこようかな…。でないと気が済まない」
「そ、そんなことしなくていいですっ」
なんかいろいろ気になることを言われたが、それどころじゃない。慌ててオレの上から退こうとしたカカシさんの腕を掴んだ。その目が窺う様に俺を見る。
「じゃあ、続きしてもい?」
首を傾げる姿はすっかりいつものカカシさんだ。恐る恐るズボンを掴んでいた手を離すと、嬉々と俺の下衣を剥いだ。それから自分も裸になると俺の上に覆い被さる。
「イルカ先生、スキだよ」
温かい腕に抱かれてホッとした。
熱に飲まれながら頭の隅で考えた。いつか、彼女達みたいなことを俺もするだろうかと。
その日が来ても、きっと俺には出来ない。
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