すこしだけ 38
一日休んでアカデミーへ向かうと、緊張でドキドキした。
(休んだ理由はなんて言おう?)
風邪だったと言うには元気すぎるし、どこも悪い所はない。まだ少し腰に鈍痛が残っていたけど、それは口に出せることじゃなかった。昨日は突然休んだから迷惑を掛けたに違いない。野外授業だってあったのに……。
ガラガラッとドアを開けて、とにかく謝ろうと職員室を見回すと同僚が俺を見つけて、おっと片眉を上げた。
「き、昨日はゴメン、その……」
後が続かず困っていると、同僚が引き継いだ。
「いーよ。はたけ上忍の任務だったんだろ?急で大変だったな」
「え?…あ、うん。そうなんだ」
「代わりに一限だけだったけど、はたけ上忍が授業見てくれて、口寄せをやってくれたから子供達がすごい喜んでたぞ。お前からもお礼言っといてくれよな」
「え!?そうなのか?……分かった、言っとくよ。ありがとう」
最後にお礼を言うと同僚は不思議そうな顔をしたけど、朝礼が始まったので聞き返して来なかった。
嬉しかった。
カカシさんが子供達の面倒を見てくれたことや、俺の欠勤理由を伏せていてくれたことが。俺が恥ずかしがるのを見越して、黙って先に手を打ってくれていた。教えてくれた同僚に感謝する。
教室に入ると、子供達が昨日見た口寄せのことを興奮気味に話してくれた。本物の上忍に会えて嬉しかったのだろう。口々に将来契約する動物を宣言して、いつもは嫌がる印の練習を率先して始めた。みんなの顔が生き生きしていた。
受付所でも急な欠勤を謝ると笑って許して貰えた。ここでも任務に出ていたことになっていて、本当の理由を考えると小さくなったが、カカシさんの好意に甘えた。これからは気を付けないとな、と気を引き締める。
「アレ?珍しいな。イルカがアクセサリーなんて」
書き物をしていると、タツミが言った。ツンツンと手首を突かれて、心臓がドキンと跳ねた。そこにはカカシさんが結んでくれた紐が付いている。
「そ、そうか?別に珍しくないよ」
ぐいっと袖を引っ張って紐を隠すとシラを切った。カカシさんに結んで貰ったなんて、照れくさくて言えない。
「え、でもお前、一度もそんなん付けたことないだろ?」
「そんなことないよ」
「いや、あるだろ」
「ないって…。それに、これはアクセサリーとかそんなんじゃなくて…」
しどろもどろになっていると、目の前に報告書がすっと差し出された。話が逸れることにホッとして顔を上げると、口布と額当てで右目しか見えてない忍びが立っていた。
「カ、カカシさん!?」
吃驚して名前を呼ぶと、カカシさんは目を弓なりに細めた。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
照れくさい話をしていたところに、照れくささの元となる人が現れて。かあっと顔が火照った。
「すぐに確認しますね」
火照る顔を誤魔化したくて下を向いたが、なかなか熱は引いてくれない。
(…なんてタイミングで来るんだろう)
とにかく今は仕事が先決と集中していると、するっと手甲を嵌めた指が頬を撫でたから飛び上がりそうになった。
「イルカ先生、顔が赤いですよ。熱でもあるんじゃない?」
「な、…ちが、だ、だ、だ、大丈夫です!」
なんでもないと首を横に振ると、「そう」と呟いたカカシさんが手を引っ込めた。その腕に、俺が結んだ紐が巻き付いている。はっと隣を見ると、タツミがそれを食い入るように見つめていた。
(バレた……!)
「イルカセンセ、もういーい?」
「は、はい!」
書類のことを指されて、内心汗を掻きながら頷いた。カカシさんの手はもうポケットに隠れている。
「じゃあ、また後でね」
「…はい」
背中を丸めて受付所を出て行くカカシさんを見送る。
「………………お揃いか」
しばらく経ってからぽつんと聞こえてきた声に、恥ずかしくて全身が蒸発しそうになった。
だから俺を見つめる鋭い視線があることに気づけなかった。
「アンタ、どういうつもりなのよ」
書類を火影室へ持って行く所だった。廊下でくのいちに呼び止められて、裏庭に連れて行かれた。そこで待っていたのは、見知った顔ぶれだった。
いつも俺を待っているカカシさんに声を掛けていた人達。カカシさんを好きなくのいち達だ。総勢5人の上忍くのいち達に囲まれて、俺は木の幹に追い詰められていた。
どの人も美しい人ばかりで、でも今はその顔を険しくして俺を睨んでいた。
曰く、カカシさんの傍に寄るな。カカシさんの邪魔だ。カカシさんに相手にされてるからっていい気になるな、自分達だってそうだったのだから、と。
親しげな様子から朧気にそうかな?と思っていたけど、付き合っていたことをはっきりと聞かされてショックを受けた。カカシさんがこの人達全員と関係があるのかと思うとたまらなく嫌な気持ちになった。カカシさんの過去を知ったのも嫌だったし、この人達を見ていると、どうしてカカシさんが俺を選んだのか分からなくなる。
「カカシったら、いつまでこんなのに関わってるつもりなのかしら?」
「珍しいんじゃない?カカシほどになると、どんな相手にも不自由ないから」
「たまに毛色の変わったのと遊んでみたかったのかしら…?」
酷い言われようにぎゅっと目を閉じた。まったく反論出来ない。みんな綺麗だから、俺みたいなのがカカシさんを独占していたら面白くないだろう。
だけど俺は知っている。この中の誰ともカカシさんの赤い糸が繋がってないのを。だったら俺と立場は変わらないはずだ。少なくとも今は俺と付き合ってるんだから、俺の方が立場が上な筈…。
「い、いい加減に――」
「大体この人、鈍いのよ。カカシが嫌がってるのに、無理矢理腕を組んだりして」
「え?」
いつのことだろうと首を傾げた。そんなことないと否定したい気持ちを追従した声が許さない。
「そうそう、私も見たわ。カカシが迷惑そうな顔してるのに、腕を引っ張ったりしてるのよ」
(うそ……)
そんなの全然気が付かなかった。足下が崩れそうな不安に襲われる。カカシさんはいつもニコニコしてたから、自分が嫌がることをしてたなんて気付かなかった。
「カカシはベタベタされるのが嫌いなのに」
「……!」
ひくっと震えて、今までの行動を思い返した。俺はカカシさんにベタベタしたばかりだ。自分からキスしたし、体を寄せた。紐だって結んだし。…本当はあんなことされるの嫌だっただろうか?カカシさんがどこまでが許せて、どこからが許せないのか判らない。
「ねぇ、ところでアンタとカカシって、肉体関係があるの?」
「は?」
考えに沈んでいた思考を思わぬ言葉に引き戻されて、咄嗟に聞き返そうとした声を「きゃーっ」と黄色い悲鳴と笑い声が掻き消した。
「やだぁ、何聞いてるのよ」
「だって、気になるじゃない」
「その場合、カカシが下になるのかしら?」
「あのカカシよ?カカシが下になる訳ないじゃない!」
「えー?じゃあ、コイツが下になってるって言うの?」
「どんな顔してカカシの下で足を開いてるのかしら」
「あははっ!喘いだりするのー?」
「気持ち悪い。カカシもよく相手出来るわね」
侮蔑の言葉と視線が胸を刺し貫いた。閨のことを赤裸々に暴かれて血の気が引いていく。端から見た俺とカカシさんの情交がどんな風に見えるかなんて考えたこと無かった。確かに俺みたいなのがカカシさんの下で足を広げて喘いでいるのは気持ち悪いかもしれない。
ぽろりと涙が零れた。慌てて堪えるが、目の表面がジンジンと熱くなる。
「やだ、この人泣いてるわよ」
「男が泣いてもみっともないだけね」
(もう分かったから、早くこの時間が終わって欲しい。)
願いは、唐突に割って入った声に叶えられた。
「なにしてるの?」
木の上から聞こえた声に全員が顔を上げた。誰も気づけなかった。そこにカカシさんが居るのを。
カカシさんが居たのを知って、くのいち達ははっと体を強ばらせたけど、カカシさんの表情が変わらないのを見て気を緩めた。
「カカシ、私たち教えて上げてたのよ」
「そうそう。この人があんまり鈍いから」
「カカシもそろそろ困ってたんじゃない?純情そうなのに手を出したりするから」
「ふぅーん」
興味無さそうに抑揚のない、冷淡な声に肝が冷えた。音もなく地面に下りたカカシさんに背後に立たれて息を詰めた。カカシさんの声を聞くのが怖い。
俯く俺の頬に、するっとカカシさんの指が触れた。
「……泣いたの?」
ふわりと体に巻き付いた腕が強く俺を引き寄せる。涙が堰を切ったように溢れた。
「カカシ、さん…っ!」
声も無く泣く俺の頭をカカシさんが抱えた。よしよしと撫でられて、また涙が溢れる。
「カカシ!もういいじゃない、そんなヤツ!」
「そうよ、いい加減、私たちの元に戻ってよ!」
「……ゴメーン、言ってる意味が分かんないんだけど?」
「だから!これからも私たちが相手するって言ってるのよ。そんな人と別れて――」
「いやーだね。どうしてそんなことしなくちゃならないの?やっと見つけたのに…」
撫でる手は温かいのに、何故かヒヤリとした。カカシさんの胸から顔を上げると、慈しむように俺を見るカカシさんがいた。その瞳を奥を覗き込む。いつものカカシさんのようなのに、どこか違う。それを探ろうとすると、そっと頭を胸に押し戻された。背中を撫でられると心地良くて、まあいいかと思えた。今はカカシさんに抱かれていたい。
「でも、私たち上手く付き合ってたじゃない」
「付き合ったつもりないよ。大体、アンタ達だれ?」
「なっ!?」
「だってそうデショウ?処理の為に宛がわれた穴のことなんていちいち覚えてなーいよ。アンタ達も、それでいいって言ったよね」
カカシさんが酷いことを言っているのを理解していた。理解していたけど、俺はそれを止めようとは思わなかった。くのいち達を傷付ける言葉は、甘露のように俺の耳に染み込んで、痛んだ心を温める。自分が利己的に思えたが構わなかった。
「オレねぇ、やっと出会えたの。もう処理なんて必要ないんだよ。この人となら、裸でだって抱き合える」
吃驚して顔を上げるとカカシさんが苦笑していた。背後から動揺した気配が伝わる。いつも当たり前のようにしていたことを、してこなかったんだと知って優越感が生まれた。俺は、カカシさんの特別だと思えた。
カカシさんが優しくオレの頬を撫でながら、「もし」と視線を前に向けた。
「オレからこの人を取り上げるって言うなら、お前ら――」
きゅっと耳を塞がれた。二三言動いた唇に、耳を塞ぐ手を外すとカカシさんがはぁっと溜め息を吐いた。
「逃げ足の速い」
「え?」
振り返ると、誰も居なくなっていた。
「ま、アイツ等も上忍だからバカじゃなかったってことだね」
辛辣な言葉を吐きながら、カカシさんが眉尻を下げた。
「ゴメンね、イルカ先生」
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