すこしだけ 36



 任務に出掛けるカカシさんを布団の中から見送った。
「それじゃあイルカ先生、行ってくるからね」
 布団から顔だけ出して頷くと、心配そうな顔したカカシさんが俺の頭を撫でた。
「ゴメンね」
 申し訳なさそうに眉尻を下げたカカシさんの顔が近づいて、額に口吻けると口布を上げた。
「…行きたくないな」
 名残惜しそうにベッドの傍に座っているカカシさんの肩をもう行けと押す。手を振ると、しょぼんとしながら「行ってきます」と言った。
「………」
 『行ってらっしゃい』とぱくぱく口を動かす。玄関に辿り着くまで何度もカカシさんが振り返ったから、俺も何度も手を振った。
「早く帰ってくるからね!」
 朝の光に包まれたカカシさんが玄関で叫んだ。ぶんぶん手を振り返すと、やがて細くなっていく外の光がパタンと閉ざされたドアに消えた。遠離ることなくいきなり消えた気配に一抹の寂しさを感じながら、行き場を失った手を布団の中に引っ込めた。
(………………………………ヤリ過ぎた)
 かあっと赤くなった顔を布団に隠して身悶えた。風呂場から始まった交歓は場所をベッドに変えて、終わったのは朝日が昇ってからだった。最後には俺は疲労で指一本動かせなくなっていたのに、カカシさんは俺の体を好きに動かして体位を変えると何度も挑んだ。
 はっきり言って、カカシさんがあんなに体力があるとは知らなかった。それとも俺の体力がなさ過ぎなんだろうか。俺は朝、一眠りして起きようとしたら一歩も布団から出られなくなっていた。全身そうだが特に腰から下に力が入らなくて体を起こせない。股関節なんて外れてるんじゃないかと思った。
 芋虫みたいにウゴウゴする俺を見かねたカカシさんが、休暇届を出してくれると言うから今日だけ休むことにした。本当なら子供達が楽しみにしていた野外授業の日だから休みたく無かったのだが、声も出ないので仕方なかった。
(大人なのに、こんな事で休んだなんて絶対言えないよ…!)
 再び布団の中で身悶える。だけど、俺を包むのは羞恥心でなく幸福感だった。体の隅々までが光り輝くように満ちている。愛された喜びに細胞が弾けそうだった。照れくさくなってもぞもぞと布団の中で寝返りを打つとカカシさんの匂いが香り立つ。かあっと体が火照りだして布団から顔を出すとカーテン越しの朝の光が顔を照らした。
 窓の外に浴衣が見えた。俺が寝ている間にカカシさんが洗ってくれたのだろう。浴衣は風にはためきながら、両手を広げて手を繋ぐように仲良く2枚並んでいた。パタパタはためく度に光が差し込んだり遮られたりする。ぱたぱた、ぱたぱた……。
 さわさわと頭を撫でられて意識が浮上した。
「ん…」
「目が覚めた?」
 まだ眠たい目蓋を押し上げると、カカシさんがいた。穏やかな笑みを浮かべて、俺の髪を撫でている。ごしっと目蓋を擦って辺りをみると暗くなっていた。夕焼けが部屋を照らし、カカシさんの髪をオレンジ色に染める。
「あっ!ごめんなさいっ!俺、ずっと寝てました。まだご飯の準備が――」
「いーよ。疲れてたんデショ。体、楽になった?」
「…はい」
 カカシさんは起き上がろうとした俺の体を上から押さえると、額を寄せてふふっと笑った。
「すごく幸せ。家に帰ったらイルカ先生がいるんだもん。今日は家を出てからずーっとイルカ先生に会いたくてしかたなかったけど、こんな風に会えるのもいいね。…寝顔、可愛かった」
「か、可愛くなんかありません!」
 カカシさんの甘い言葉が恥ずかしくて、布団から手を出すとカカシさんの胸を押して起き上がった。その腕に、朝手を振った時には無かったものが付いている。
「…これ……」
 髪紐だった。昨日カカシさんが髪に結んでくれたやつ。今は俺の右腕に2重に巻いて固く結んであった。玉虫色だけど、それはまるで………まるで………。
 ぶわっと胸の奥から痛みを伴った温かいものが広がった。それはずっと、ずっと俺が欲しかったもの。本物じゃないけど、カカシさんがくれると言う。
「結んじゃった。イルカ先生がオレのって証し。……イヤだった?」
 堪えようと歪んだ顔にカカシさんが小首を傾げた。無言のまま首を横に振ると、胸の奥で膨れ上がったものが溢れ出しそうになる。
「…証しなんですか?」
「ウン、そう」
「じゃ、じゃあカカシさんも付けてください。俺のって証し…」
 思い切ってお願いするとカカシさんが破顔した。
「ウン、いーよ。付けて」
 そう言うと、カカシさんはズボンのポケットから小さな紙袋を出した。袋を破いてひっくり返すと、中からたくさんの髪紐が出てくる。
「昨日約束したデショ」
「だからってこんなに…」
「だってどれもイルカ先生に似合いそうなんだもん」
 得意げな笑顔を浮かべて色分けしているカカシさんに、そんなのは欲目だと思いながらも嬉しさが込み上げる。
「どれにする?」
 朱、紺、碧…いろんな色の中から俺は自分と同じ玉虫色の紐を選び出した。
「これ…」
「お揃いだーね」
 言い当てられて頬が熱くなる。
「たまたまです…っ」
 くすくす笑うカカシさんの左腕を取ると袖を捲った。カカシさんの右腕には赤い糸が付いているけど、こっちは俺のだ。
 同じように2重に巻いて、解けるなと固く結んだ。
「…取らないでくださいね」
「取らないよ」
「…切れないかな」
「切れないよ。一生結んだままです」
「一生?」
「ウン。一生」
 カカシさんの左手の指が、するりと右手の指の間に入って手を繋いだ。そうすると結んだ紐同士が近くなって、紐が繋がっているように見えた。
「イルカ先生、約束。ずっとオレの傍にいてね」
 誓うように口吻けられて目を閉じた。
 ずっとずっと傍にいたい。だけど永遠の約束は俺の胸の底を冷たくする。いつか必ず来る別れを予感させて哀しくなる。
(本当に永遠ならいいのに…)
 口吻けが深くなり、カカシさんが俺にのし掛かった。布団の上に重なって倒れ込み、カカシさんの体重を受け取る。繋いだ手が離れて、俺の体を這った。唇から逸れた唇が首筋を下りて、付け根を強く吸い上げる。はっと我に返り、
「カカシさん、今日はシませんよ!」
 胸を押し返すと、「ええ〜っ」とカカシさんが大きな声を上げた。
「イルカ先生、ココはスルところデショ!」
「しないったらしませんっ。今日したら、また仕事に行けなくなるじゃないですか!」
「…毎日スルんじゃなかったの?」
「でも今日はシないんです」
「んぅー…」
 拗ねたような声を上げたカカシさんが首筋に顔を埋めた。
「イルカ先生、心臓がドキドキしてる」
「カカシさんだって」
 だけどシないのだ。愛しい背中を撫でてじっとしていると、やがて諦めたのかカカシさんが体を起こした。
「イルカ先生お昼食べてないデショ。ご飯にしよ」
「…はい」
 全く嫌な気配一つ無くカカシさんは俺を引き起こすとニコッと笑った。
「イルカ先生がいいって言ってくれるまで我慢します」


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