すこしだけ 33
真新しい浴衣に袖を通すとカカシさんが前を合わせて帯を巻いた。
「苦しいとこなーい?」
泣いたのが照れくさくて、唇を引き結んだまま頷いた。俺の着付けが終わると、カカシさんも、さっと服を脱いで浴衣に着替えた。滑らかな素肌に浴衣を纏うと、きゅっと帯を締める。銀色の髪に淡い緑色の浴衣が映えて、とても格好良く見えた。
「イルカ先生、こっちおいで。髪、直してあげます」
「いいです、このままで」
「いいから」
腕を引かれてカカシさんの前に立つと、カカシさんは髪を解いて櫛で梳かした。そしてまた纏め上げるとぎゅっと紐で縛る。
「はい、いーよ」
ぽんと肩を叩かれ振り向こうとしたら、何かが首筋に触れた。手を上げると、いつもと紐が違う。
「カカシさん、これ……」
「浴衣だからこっちの方がいいデショ?」
聞かれても見えないから手で探った。紐は編んであるらしいが、つるつるして手触りが良い。
「…へん、じゃないですか?」
「ウン、可愛いーよ」
さっき言われた酷い言葉を思い出して、目の奥がジンとした。
(カカシさんが可愛いと言ってくれるならいいや)
「ありがとうございます」
「ウン。行こ」
カカシさんに手を引かれて家を出た。
通りに出ると人は皆、もう神社の方へ行ってしまったのか疎らだった。辺りはすっかり暗く、花火が上がるのもすぐに思えて、俺たちも急ぎ足で神社へ向かった。あそこは高台になっているから花火がよく見える。
遠くに出店の明かりが見え始めると醤油の焦げた香ばしい匂いが届いた。たくさんの人が出店に並んでいる。
(なに食べよう……)
そんなことを考えていたら、カカシさんがふいに手を引いた。
「え?」
「こっち」
カカシさんが神社への道を外れて森の中へと俺を引っ張った。どんどん明かりからも人からも遠離る。上を見上げても木が生い茂るばかりで、空は見えなかった。
(…やっぱりカカシさんも、俺と一緒のとこ見られるのが嫌なのかな……)
頬が強張り、哀しくなった。カカシさんはどんどん森の奥へと入っていく。泣きそうになって、ぱちぱち目を瞬いた。手を引くカカシさんの姿が滲んでいく。
「カカシさん……」
「もうすぐだよ」
(え――)
さあっと森が開けて光が見えた。池の傍に人が集まり、大筒がいくつも並んでいた。半被を着た人が忙しなく働いて、活気に溢れていた。
「おお、来たのか。カカシ」
「どーも」
カカシさんと話す大柄な男を俺も知っていた。カカシさんに連れて行ってもらった鉄板焼き屋さんの常連さんだ。
「森の方に落ちたら消火は頼んだぞ」
「ああ、任せて」
軽く手を上げると、男は俺にも会釈して離れた。
「カカシさん、ここ…」
「もうすぐ始まるよ。ココね、部外者は立ち入り禁止なんだよ」
カカシさんがまだ何かを話そうとした時、ポン!と音がした。ぴゅーっと甲高い音が空に上がり、火花が弾ける。
「わあ…わあっ!!」
夜空に咲いた花火が更に大きく花開いて、みるみるこっちに迫ってきた。思わず仰け反ると、カカシさんが背中を支えた。こっちに届く前に火花は燃え尽き、きらきらと光線を残しながら消えていく。
「すごいデショ?」
「は、はいっ!すごいです!!」
下から見た花火がこんな風に見えるなんて知らなかった。理論上は火薬の爆発だから、中心から広がっていくのは理解出来るが、実際見ると迫力が違った。火薬の弾ける重い音が体を震わせる。
見蕩れる間に次々と花火は上がって夜空に咲いて花びらを散らした。歓声を上げながらカカシさんを見ると、カカシさんも笑顔を浮かべて俺を見ている。
「カカシさん!綺麗……!」
声を掻き消すように連続して花火が上がった。大輪の花がいくつも開き、夜空を埋め尽くす。
「わあっ」
カカシさんも見ているだろうかと隣を見ると、カカシさんはまた俺を見ていた。あれ?と思う。ドォンと夜空に響く音に目を奪われながら、ちらちらとカカシさんを見るとずっと俺の方を見ている。
「……カカシさん、花火見ないんですか?」
「見てるよ?」
俺が見ていると、カカシさんは空を見上げた。だけど俺も空を見上げると、頬にカカシさんの視線を感じた。顔が火照って、ドキドキしてくる。
「カカシさんっ、花火見てください!」
「だって、イルカ先生見てる方が楽しいんだもん」
「何言って……、あっ!ほらっ」
一際綺麗に上がった大きな花火を、俺はカカシさん越しに見た。一緒に見て欲しくて浴衣の袖を引っ張るが、カカシさんは弓なりに目を細めると、そっと覆い被さって唇を掠めるように合わせた。
「…!」
周囲に知ってる人も居るのにこんな所でと、吃驚しているとカカシさんは何事も無かったように空を見上げた。その綺麗な顎のラインを、花火の光が浮かび上がらせる。背中にはずっと手のぬくもりがあった。どくんと体が震えたのは、心臓のせいなのか花火のせいなのか…。
「……ちょっと低いな」
ぼやく声が向こうから聞こえて、そっちに目を向けるとなにやら合図を送ってきた。
「イルカ先生、落ちてくるって」
「え?」
カカシさんが天を指差して、見ると黄金色の花火が開いた。それは柳の様な筋を描いて、――地表近くなっても火花は消えることは無かった。カカシさんが俺を引き寄せる。
「わわ…っ」
拘束された腕の中で、まるで流れ星が落ちてくるみたいに光が降り注ぐのを見ていた。池に落ちがものジュッと音を立てる。
「……きれい」
幻想的な光景に目を奪われた。いくつも落ちてくる光の雨の中を陶然と見上げる。近くに落ちてきそうなものはカカシさんが避けた。俺ごとひょいとジャンプすると地面に落ちた灯火を踏み消す。
「誰じゃ、火薬の量を間違えたヤツは」
「間違えとらん、本部のやつらが予算をケチったから足らなんだだけじゃ」
「現役退いて、耄碌したんじゃない?」
わいのわいのと揶揄する声をカカシさんが茶化すと、老人達の視線が向いて、
「森に落ちたぞ。さっさと行かんか!」
「ハイハイ」
カカシさんが笑いながら俺の手を引いた。
「行くよ、イルカ先生」
カカシさんに連れられて大木の枝に上がると残り火を探す。
「あっち」
「はい」
燻っている木に近づいて、水遁で作った水溜まりをかけていった。
そうする間にも花火は上がった。
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